前:無茶振りオーダーは慣れっこです
街の隅っこにひっそりとたたずむ古びたお店。
人気のないそのお店には、一人のオルゴール職人が住んでいた。
人間だけでなく、妖精や精霊をも魅了する音を奏でる職人は、まだ十八歳の少年だった。
そんなある日。一人のお客が来た。
緑のフードを目深にかぶった、背の高い何者か。
職人の少年よりも頭二つは高いその者は、恭しく職人に礼をする。
「こちらに、腕の良いオルゴール職人がいると聞いたのですが」
高くも低くもない声だった。男か女かわからない。
奇妙な来客は慣れているから、職人はさしてなにも考えずに応対する。
「はい、僕がその職人です。ご注文ですか? 詳しく聞きたいので、こちらへどうぞ」
ぼさぼさの茶髪にくたびれたエプロン、しわくちゃのシャツという客をもてなす格好としては落第レベルの格好に、職人は「こんなカッコで恐縮ですが」と一言詫びるだけだった。
「いいえ、構いません」
「そう言って頂けると助かります。さて、どうぞおかけになってください」
職人が客用の椅子に、緑ローブのお客を座らせる。以前妖精が差し入れにと窓に放り込んでくれた茶葉で紅茶を淹れた。
お茶で一服したところで、客人は顔も見せずに要件だけ告げてきた。
「夏の夜を思わせるオルゴールを、造って頂きたいのです」
抑揚のない中性的な声で、オルゴールを注文した。
「……。ええ、構いませんよ。具体的な希望があれば今のうちに伺います」
「恥ずかしながら……私はオルゴールというものがよくわからないのです。
こんなことを申し上げてはあなたを困らせるだけですが、
あなたが『夏の夜』だと思わせるような音を、造って欲しいと。
それしか、申し上げられません」
「それは、僕に全てお任せいただけるということで?」
「はい」
「わかりました。いつまでに完成させればいいですか?」
「二か月後の満月の夜までに。完成したらお知らせください。
この鳥を置いていきますので、こちらの鳥に手紙をつけて飛ばしてください」
緑ローブの客人が、懐から黄金色の鳥を差し出した。職人は少しだけぎょっとする。
それは鳥ではなかった。黄金の骨組みで作られた、機械の鳥だ。
「餌は必要ありません。籠も要りません。どこかお部屋の隅っこにでも置いてください」
「え、えー、あー……どうも……。え、餌が要らないのは助かりますねー」
あははーと乾いた笑いを立てて見せたが、空虚な風を呼ぶだけだった。
「鳥の報せを受けたら、その日のうちにまた伺います」
「ん? ご住所までお届けしますよ?」
「いえ、あなた一人では届けられない場所ですから」
「どこにあるんです? っていうか、オルゴールは貴方用ですか?」
緑ローブは淡々と答えた。
「空に浮かぶ小さな城です。私の主人、アウレリアお嬢様への贈り物です」
空に浮かぶ城に住んでいるのは、緑ローブの客人とその主人アウレリアという者らしい。あとは黄金色の機械の鳥同様、機械で作られた動物が駆けまわっているだけらしい。
アウレリアはわけあって城を出られない。が、外の世界には興味を持っていた。機械の鳥たちが外であらゆるものやことを教えてくれる。外の世界の話を、アウレリアはたいそう好んだようだ。
その中で、オルゴール職人の話が上がった。少年のことだった。
アウレリアは興味を持ち、オルゴールを欲したという。
(夏の夜、っていうオーダーは別に困るようなもんじゃないけど)
むしろ妖精や精霊相手にそういった抽象的な注文を頻繁に受ける。そんな身の職人としては別段面倒でもなかった。
ただ驚いたのは、空に浮かぶ城という緑ローブの言った言葉である。そんなものはおとぎ話にしか生きられない空想の建物だとばかり思っていた。
(あのローブの人が嘘言ってる可能性もあるけど)
黄金鳥の機会を指でつつきながら、職人はそう思う。
だが職人は、緑ローブの話を嘘だと一蹴することができないでいた。
もともと妖精や精霊、たまに気の弱い幽霊を相手にオルゴールを作ることが日常だったからか、突拍子もない話には大して驚かなくなっていたのだ。
(そうと決まれば)
職人は工房へこもる。
(夏の夜のオルゴール。作ろうかね)
職人の目が、きらきらと輝いた。
職人はオルゴールを作っている間、下手をすると寝食も忘れる。
それを知っているから、近所の妖精が彼の集中を遮断させてくれる。
集中しすぎて体を壊されてはたまらない。彼に何かあったら、美しいオルゴールは新たに生まれないからだ。
おかげで職人は体を壊さず健康に生きているというわけだ。妖精の世話がなければ、職人はまともに生活もできない。
さっそく作業に取り掛かる。
思い描いたメロディーを紙に書き殴りながら設計図も完成させる。
夏の夜、という言葉を頼りに、職人はどんな音を生み出すかずっと考えていた。
工房の窓から風が入りこんでくる。ざわざわと葉の揺れる音が流れてきた。
(ああ、そういや、もう夏なんだっけ)
職人はそんなことを思い出した。
工房にこもって作業ばかりしている自分をあわれんだのか、精霊たちが職人を工房からひっぱりだしてきた。
外に出て陽の光を浴びろということらしい。注文を受け一週間経った朝のことだった。
眩しい太陽の光に当たり、静かに流れて来る風を全身に受けながら、職人は街並をのんびり歩く。有無を言わせず外に出されたから、服装は作業中のもののままだ。
「……もうちっと優しく引っ張り出してくれたって」
職人はぶーたれながら姿勢正しく歩いていく。
朝はそれほど暑くなく風が心地よい。人もまだ街へ出てきていない。
ところどころに、野良の猫や妖精たちがうろついているだけ。
精霊に連れられ、噴水広場まで背中を押されたり、エプロンを引っぱられて商店街まで連れ回されてきた。
街の殆どを歩き回ったあと、職人が小さいころに見つけた秘密基地へとたどり着く。
街はずれにたたずむ静かな森が、妖精たちの住処であった。職人はその場所を本拠地として、よく冒険をしていた。
オルゴール職人になってからも、仕事で手が止まるとここで休んでいく。
湿った土を踏みしめると、ぎゅうっと土の鳴く音がする。
木漏れ日を受け妖精たちのいたずらじみた歓迎を受け、職人は腐りかけの木箱に腰をかける。
背後に佇む巨木に背を預け、ぼーっと空を眺める。空、といっても樹の葉が邪魔して空はほとんどうかがえない。
ざわざわと風の音がずっと響いている。連れ出されてからたくさん風の音を聞いていた。
妖精の笑い声、虫の音、木々のざわめき、陽のじりじり言う音。
自然の音が職人の耳に入っては消え入っては消えてを繰り返す。
ぼんやり閉じていた瞼をふっと開いた。
職人は立ち上がり、しっかりとした足取りで森を後にする。
妖精と精霊の戸惑ったような声にも平然としてみせ、職人は笑って答えた。
「いいオルゴールが作れそうな気がして」