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走って走って異世界で僕は  作者: 銀貨
第一章 小さな風と大きな火
9/12

4 久し振りに走ったら

 そこは言うなれば待合室か待機場、もしくは処刑台に向かう列かもしれなかった。数日で作り上げたとは思えない規模の大型テントの中には、会場と呼ぶに相応しい、見世物をするには十分な広さの場ができあがっている。

 そして、壱はセネーレが危惧した通りにあの後すぐにお呼びが掛かり、こうして今か今かと待っていた。商人本人とは会わず、案内してくれた部下の人に「生き残れ、それだけだ」と端的に告げられ、薄暗い幕間に立っている。

 セネーレの働きかけ空しくこうも軽々しく死地へと送られてしまったわけだが、壱自身としてはそこまで悲観しているわけではなかった。理不尽さや唐突さはあろうとも、まだチャンスを与えられているだけましだと思えるのは、奴隷の身分に落ち、奴隷に成り下がったゆえの自暴自棄ではなく、本物の『理不尽』さや『唐突』さを知っているからこその感覚麻痺なのかもしれない。

 開始は正面の扉が開いたとき、その先には会場が、狩り場が、殺し場が待っており、ここにいる奴隷は制限時間まで生き残れという――非常にシンプルで、わかりやすいルールだ。およそ二十名程が壱と同様に集められており、その殆どが陰鬱な表情をしているが、中にはやってやると意気込む者や、黙って牙を潜ませる者もいる。

 このチャンスを活かし、生きようとする者達。

 諦めている多数が人間で、逆に生き残る気がある少数は亜人だった。

 初めて見た亜人はエルフだったわけだが、それでもやっぱり、見慣れないからこそ新鮮だった。見た目だけの決めつけであるが、少なくとも獣人が数人に、ドワーフが一人いる。

 知っている通りの外見と、初めてみる本物に少なからず感心していると、こちらの視線に気付いたのか、はたまた他に項垂れていない人間が自分以外にいなかったからか、一人だけいたドワーフの男が話し掛けてきた。

 いや、絡まれた。


「何かようか小僧、その妙に落ち着いた表情に免じて話を聞いてやってもよいぞ」

 

 この面構えは元からではあるが、そんなに落ち着いてるだろうか。

 やはり、冷めているのか。でなければ、この程度では反応すらしないほどに壊れ、狂ってしまったかだが。

 こちらの表情をじっと見詰めてくると、ドワーフの男は釈然としない様子で口を開く。


「……この場に降りるのは二度目か?」

「いえ、初めてです」


 壱の返答に顔を顰め、ドワーフ特有の厳つい面構えがさらに深くなる。


「ならばあ奴らのように諦めることを何故しない、人間という種族は己の力ではなく、己の周囲が終われば諦める種族だろう」


 非力ゆえに集まり、社会という強大で圧倒的な仕組みを作り上げたわけだが、こうしてばらされ零れ落ちてしまえば諦めてしまう、社会に生きていたからこそ、諦めが着いてしまう。

 足掻きようがないと、知っている。

 それはとても人間らしく、普通だった。


「単純に性格……ですかね、奴隷になったのも少し前ですし」

「奴隷根性に染まっていないからと言いたげだが、小僧、その顔つきははっきりいって奴隷ではないぞ」


 しかし、壱は実際にこうして奴隷に落ち、奴隷としてこの場に降りてしまっている。此処で生き残れたとしても奴隷を抜け出せるわけでもなく、ただ取引額が上がるか、セネーレのおまけとしての品質を証明してやれることくらいだ。

 それくらいしか、奴隷となった壱にはできない。


「あの、僕からも訊いていいですか? えっと……おじさん?」

「ふふん、そこでおじいさんと言っていたら鼻を圧し折っていたところだぞ小僧。ドワーフの外見は人間から見ればたしかに若いとは言えんが、だからといって年寄り扱いは気に喰わん」

「やっぱりあなたはドワーフ……なんですよね?」


 壱が意を決して尋ねると、たしかにそうだがとドワーフの男は軽く頷く。


「ドワーフを見るのは初めてか」

「はい、人間以外を見たのもついさっきが初めてで……」

「人間以外をか? 小僧と言えど数十年生きた身でそれは珍しい。ならば見たのは獣人か、人間には劣るが奴らも一定数以上の数はいるからな」

「いえ、エルフです」

「エルフ? 初めて見た種族がエルフだと? それもそれで珍しいことこの上ないな、人はドワーフを穴ぐらに住む引き篭もりなどと言うが、エルフは森の奥底に隠れ住み一切の交流を絶つ種族、昔よりも交流はあるとはいえ、鍛冶関連でかかわるドワーフよりもさらに姿を見せない」


 逆に獣人は古くから人間とかかわることが多く、戦争もすれば交流もする、それだけ互いに見知った種族ではあるらしい。ただ『獣人』という一括りでは数え切れないほどに種類と特徴があるため、そのことでいざこざが絶えないというのもお決まりのようだが。

 因みに此処にいる獣人はわかるだけでも犬人に猫人、あとは丸い耳をしているおっさんは狸だろうか、獣耳おじさん、リアルで見ると似合っていないというよりも何だか凄いと壱は感じた。

 それから何気ない雑談を続けたが、そのどれもが壱にとっては未知な情報だらけだった。何も知らない壱に対してドワーフの男は「何処かに幽閉でもされてたのか?」と、壱の生い立ちについて多少なりとも気になっていたようだが、「貧しかっただけですよ」と笑いながら返す壱にそれ深くまで追求はしなかった、そんな話が丁度一区切りついたときだった、

 

『ゴォン、ゴォン、ゴォン』 


 三回鳴らされた重厚な鐘の音。少しはほぐれ、緩んでいたその場の空気がより一層張り詰め、引き締め、圧迫され、小さく悲鳴を上げる者や唾を飲む者など、誰しもが反応してしまう。始まりに案内人などいない、開始前の合図が鳴らされ、少し経ったら扉が開き――始まる。

 シンプルなルール説明で話された、始まりと終わりの説明。


「ふむ、お喋りは終わりのようだな」


 ドワーフの男の顔を見遣ると、直前まで話していた顔つきのままに、より鋭くなったその双眸は覚悟を決めた重厚なそれだった。 


「では、互いに生き残ればまた会おう、いい気晴らしになった」


 そう言って、ドワーフの男はあっさりと元いた位置に、生き残れる可能性が高いであろう亜人の集団が集まるポジションへと戻っていった。

 そういえば名前を聞いてなかったと壱は思うが、それは後でいいだろう。生き残った後で、聞けばいい。ならばどうするべきか、今や死ねない理由は二つとなった。一つはあのドワーフの男の名前を訊くこと、もう一つは生き残り、死なずに、あの心配顔のエルフに再び顔を見せてやることだ。

 自分のためにも、人のためにも死ねないと思うなど、幸せだろう。

 項垂れていた人間達も諦めから諦めたように顔を上げ、扉の前に集まっていく。運よく生き残ることを願い、または楽に死ねることを望み、扉の前に立っていた。

 壱も扉の前に歩み寄り、自然と最前列に、扉の目の前に立っていた。

 誰かに場所を譲られたわけでも、無理矢理そこに移動させられたわけでもなく、珍しくも自身の意思で、いつもの習慣でそのポジションをキープしたのだった。

 この感覚には覚えがあった。

 今か今かと始まりを待つ複数の集団、全員の緊張が空気を張り詰めさせ、その扉が開く瞬間を、死が待っている場へと行くための一歩を踏むのを待つ。

 壱は走り続けるためにも長距離競走の練習ばかりしていたが、走りそのものを学ぶために短距離競走の練習もそれなりにしてきていた。でも、メインは長距離競走だった、長く長く走る道を選んだし、それしか選べなかった。長距離競走と短距離競走、同じようでまったく違う二つの競技、一つを極めれば一つを捨て去らなければならない、最適化した身体は一つにしか適応できないのだが――それは元の世界の話。

 ここは異世界。

 壱の気付き通り、生徒達の身体はこの世界に適応し始めている。でなければ、たとえ走り続けることに慣れて得意な壱であっても、狂って笑って精神も肉体も誤魔化そうとも、ああも全速力で走り続けるなど不可能な話。

 元の世界の常識的には、無理なのだ。

 いつもの長距離競走のスタートラインのように並び立ってスタートを待ち、短距離競走のようなクラウチングスタートの体勢は取らないが、この疼きはなんだろう。

 これは走る前の感覚。

 待ち望むはスタート、たとえその扉の先が死地だろうとも、道があり、走れる。身体が動き、走れる。人を殺しても、走れる。人を殺さなくとも、走れる。人のために、走れる。自分のために、走れる。


 走って走って走れる。


 このとき、壱は考えるのをやめた。

 それはいつも通りの走るときの姿勢で、無心と同じだったわけだが、今日は溺れてしまった。地面を走るのに、走るのに溺れ、見失ってしまった。



 扉の外で待ち構えるならず者達も、これから狩られるであろう者達と同様に奴隷落ちしてもおかしくない犯罪者である。けれど、彼らは捕まって此処にいるわけでも奴隷なわけでもなく、運営サイドに雇われる形でこの場に立っていた。傷付き、死ぬ恐れはあれども、それ以上に魅力的な報酬を考えれば、盗賊業のように同じ人を襲い殺す作業をやるのならば、此処で放出される奴隷を殺すほうが遥かに安全で高収入なのだ。

 今日も今日とて、そんな作業をという気持ちがなかったわけでも、まるっきり油断していたわけでもないが、普通が始まると思っていた。いつもなら、勢いよく飛び出してきたとしてもそれは我武者羅で無茶苦茶で、形振り構わずの烏合の衆なのだが、今日このときはいつもではなかった。

 烏合の衆ではなく、黒くて小さな一羽が風の如く駆け抜けた。


 誰かなど言わずともだが、それは壱だった。


 扉が開け切る直前ではなく、扉が開き始め、やっと人一人が入れる隙間が出来上がった瞬間、壱の身体は既に扉の外へと飛び出し――駆け出していた。

 その理由は様々だった。壱の身体が異世界に適応し始めているという事実や、シンプルがゆえに力を発揮できる壱の特性が際立った結果でもあるが、何よりも、久し振りに走れる環境にはしゃいでしまったがために、鈍った感覚は自制を緩め、競技ではもっとも重要な項目の一つであるスタートダッシュを見事に決めてしまったのだ。

 無心とは方便で、無我夢中か、あるいは一生懸命。

 あまりに速く、あまりにも虚をつかれた登場に対応が遅れてしまい――全員の動きが少し遅れる。

 そう、全員が。

 待ち構えていたならず者達から、これから始まる催しを見ようと集まっていた観客、壱と同様に狩られる獲物サイドだった奴隷達も、ワンテンポだが遅れてしまう。

 絶妙な一間が、生まれてしまう。


「え、ま――」


 壱のフライング気味の登場に、近くにいた男が慌てて振り下ろした凶器は間合いを損ない、目測を見誤り、空を切って地面まで到達した。吹き抜けた風へと注意を逸らされ、自然と目線も抜けた風に向けられ――後続への対応が疎かとなった。

 振り抜いた凶器を再び構え直す暇も、断末魔を上げる意識さえなく、扉近くにいた男は集団で雪崩れこんできた本来の形の獲物に逆に襲われ、呑み込まれた。

 壱は己が引き起こした大惨事、はたまた大手柄に振り返りも、一瞥もせずに、ひたすらに走る抜ける。

 思い起こすのはもはや部活動ではなく、つい先日の盗賊達との対峙、あのときと違って手に武器はなく、殺すための凶器を所持していないし、拾ったり奪い去る手段もなかったが、今の壱にはどうでもよかった。

 やっぱり、と言うべきか、剣など重たい物を持っているときよりも、格段に走りは速く、駆けれた。気持ちよく、走り抜けれた。

 道途中の者達が反応し切る前に通り過ぎ、早々と円形状のテントの向かい側へと到達してしまい、久方振りの全速力に満足し、はっと気づき、そこで初めて来た道を振り返る。

 自身が駆け抜けた道を、その結果を見る。

 総崩れとなる武器を持つ者達と、それらを追い立て駆逐していく奴隷達。

 諦め消沈していたはずの人間達は徒党を組み狩人を囲い込み、亜人種も際立った身体能力で次々に浮足立つ狩人を仕留めていく。そこに『いつも』はなく、一つのきっかけからの逆転が起き、駆け巡っていた。

 一体、誰が予想できたであろう。時間内の狩人からの生き残りを賭けるはずの見世物が、いつのまにやら狩人が何人生き残るかの見世物へと変わっているなど、そこにいた誰もが驚いたが――


 ――沸き立ち興奮する観客達の姿がそこにはあった。


 これは娯楽なのだ。面白ければ面白いほどよく、突き詰めてしまえば主旨が違くなろうとも面白さ(ハプニング)が優先される、そのために観客は此処に集まり、この村を形成したのだから。まともな思考の持ち主など望むほうが頭がおかしく、むしろ奴隷に落ちた者達のほうが幾分か根幹の部分では真っ直ぐでまともであり――それゆえに犯罪者となった者だっている。

 堪ったものではないのは立場が逆転してしまった、狩っていたはずが狩られるはめとなった雇われた犯罪者達のほうである。雇用内容と違うなどと紛糾する暇もなく、数を減らしていく同業者達だったが、これはこれで、と考える者達も一部にはいた。

 何も今回の雇用が初めての者ばかりではなく、演出の盛り上げ役としてのベテラン勢も少なからず混じっている。だからこそ、この場、この村の性格、本質を理解している者にとっては今回の事態は予想外でも、継続されるのは想定外でもなく、寧ろ当然と思うべきだと知っていた。

 たとえ雇われだろうと、この場に降りてしまえばゴミ同然の命だということは理解していた。

 ただ単に業務内容が変更しただけのこと、面白さが優先されるこの場でも、何日も形成していては『村』の露見にかかわるためスケジュール管理に関しては、制限時間だけはきっちりとしている。時間内まで生き残ればよいと知っているために、防御へと徹し、制限時間を知りえないか、はたまたそこまで頭が回らない新人に演出を任せ、生き残り報酬を手にする。気の回る運営のことだから、もしかしたら特別手当が出るかもしれないとも考えられる。

 金を積めばいくらだってこの場に人は呼べるが、モチベーションありきかそうでないか、内容を理解しているかそうでないかでは断然違う。圧倒的で一方的はたしかに爽快で壮観で簡単だが、ドラマやエンターテインメント――面白さを望む者達にとっては見慣れて見飽きた光景なのだ、そこら辺の微調整は運営が行うのだろうが、いつもうまくいくとは限らない、同じくらいの力しか持たない者達での潰し合い殺し合いでは予定調和しか起こりえない。

 そして今回、観客を盛り上がらせ、運営にとっても満足のいく内容となった。


 ざっくりと、生き死にの結果は以下の通りである。


 狩人の生き残り、十五人中四名、死亡十名、内二人重傷、残り四人も軽傷。無傷無し。

 獲物の生き残り、二十一人中十八名、死亡三名、内四人重傷、十二名軽傷、無傷二名。


 吹き鳴らされた終了の合図と同時に、観客からは称賛の歓声が上がる。

 突進し、突出し、突発した黒い髪の人間へ対して。

 いつもは添え物として、他種族の影の踏み台として扱われるはずの者が活躍したとなれば、同じ人間種が活躍したとなれば、それに盛り上がらない同種はいない。沸き立った観客の中には明らかな他種族の者も混じっているわけだが、弱者が劣勢を覆した事実には――少種族(亜人)多種族(人間)の中で成り上がった過去を持つ者にとっては、湧き上がる衝動に身を任せたくなる光景だった。

 そして、当の本人、壱とはというと、彼にしては珍しく立ち止まっていた。

 走り抜け、振り返った後から、また走ろうとはせず、終わりまで動こうとはしなかった。

 誰も手に掛けず、昔のように他者任せとなったけれども、人殺しを任せてしまったわけだけれども、不思議な感覚だった。

 いつもとは違った。

 久し振りに走れた喜びよりも、その違和感に立ち止まり、困惑していた。

 

『走って走って走って――立ち止まってみればわかるさ』


 思い起こされる、先生の言葉。

 でも、わからない。まだ、わからない。


『立ち止まって、もう一度お前が走り出したときこそが――』


 もう一度とは、一体いつなのか、わからない。

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