3 『村』
その『村』に名前はない。
そもそも、その場所その土地に村があった記録など一切なく、蜃気楼の如く、突如として湧き上がってきたかのように村はできあがっていた。無論、村は勝手にできあがりはしない、誰かの手によって、何らかの目的のために作られた村なのだ。
そもそも、前言を覆すようではあるが此処は村なのではない。簡潔に言えば、村と呼べるほどの規模を持った密集地帯。今日この日から数日に掛けて行われる興行のために集まり、合わさり、現れた会場こそが、その村の正体で実体で、興行の内容も様々である。
普段、法で縛られ守られている街や村ではお目に掛かれない、熱気と興奮、快楽と愉悦に塗れた催しが繰り広げられていた。
中央に立つ特設会場の中では決闘から殺し合い、それらに乗じて繰り広げられる大口レートの賭け事、闘いが終わればそこはオークション会場へと早変わり、お披露目を終えた奴隷の売買に、各商人が持ち寄った選りすぐりの商品達の競り合い。身分を隠し、はたまた隠そうともしない貴族や富豪が狂乱し、味わうは特権階級ゆえの優越感。
欲望の限りを尽くした、欲望の縮図にして果てなき執着の終着点。
それが此処、名前のない、存在しない『村』の本質だった。
そして、壱とセネーレを乗せた馬車の目的地こそがその村であり、今現在、その村中に到着していた。セネーレから目的地を教えてもらい、どういった場であるかも説明を受けていたが、数日で生まれた村だとは到底思えないくらいに整備され、用意されていた。
既に痛みも引き、倦怠感も抜けた身体で、脚で、久し振りの地面へと脚を付ける。違和感はない、そのまま走り出したい衝動に壱は駆られるが、逃げたと誤解されて、首が飛ぶのは嫌なので自重する。自重して、気を紛らすためにも辺りを見遣ると、恰幅の良い、周囲にいる人間に指示を飛ばす身形の良い男性がいた。
そこで初めて、壱を拾ったのだという所有者の顔を見る。実際にはセネーレの一言で助かったわけなのだが、商人もまた命の恩人であることには変わりない。礼を言おうと、口を開いたのだが、言葉まで繋がらなかった。
話し掛ける間もなく、ただの一瞥だけ、商品の状態をチェックすると、同行していた部下らしき者達にその場を任せ足早に去って行ってしまった。奴隷という意味を、存在を、身を持って実感してしまう。
それでも、比較的扱いが良いのはセネーレのおかげだろう。
馬車から降りてきたセネーレには、まさに壊れ物の高級品と同じく、丁重とも言えるほどの物腰で対応に当たり、周囲にいる同じく積荷を降ろしているであろう商人やその人夫達も手を止め、その美しさ、その有り様に恐々としているように見えた。
そんなことを知ってか知らずか、セネーレは軽く伸びをして、場を任された商人の部下に尋ねる。
「さて、私達はどの檻に入っていればよいのかな」
「い、いえ、檻など入れたら主人に怒られてしまいます。こ、こちらにどうぞ……」
「イチ、行くぞ」
馬車内で話していたときの軽快な口調はなりを潜め、エルフ特有の神秘性を発揮するかのように、腰が引けている人夫達を更に圧倒してしまっている。壱に対しても、完全に格下を相手取る格上の立場を装い、同じ奴隷にして同じではないと周囲に知らしめていた。
「そ、その奴隷も一緒にですか?」
「ああ、身の回りの世話をさせる、問題があるのか?」
「!ないです! ありません! 主人にも伝えておきます!」
完全に気圧されている人夫を余所に、壱にだけ隠れて「どうだ」と言った表情を向けてくるのだから大したものである。性格はエルフの性質とは程遠くとも、振る舞いをするには持ち合わせた才能だけで事足りてしまっているあたり、やっぱりエルフ何だなと思ってしまう。
しかし、やっぱり、奴隷か。
セネーレも奴隷だが、格が、価値が違う。その奴隷などと呼ばれている時点で、他の奴隷の扱いは相当に適当で、悪いのだと予想できてしまう。
こうして、商人の部下に案内されてテント群を抜けていき、テントではない木造の建物が数件立つエリアへと行き着く。
奴隷も価値が上がれば特別なんだなと壱が思っていると、
「すまないが、私ができるのはここまでだ」
本当に申し訳なさそうに、セネーレは小声で壱へと話し掛ける。謝る要素など何処にあっただろうか、最初から今迄、壱からセネーレに対しては感謝以外の言葉はないはずなのに、彼女は視線を落とす。
「ここは『村』、私のような出品が決まっているもの以外の奴隷の売り買いなど二の次、たとえ私のおまけだとしても、『催し』に参加させられるのは目に見えている――私は、イチを助けて良かったのだろうか、ただ話し相手として、私の都合だけで助けてしまっただけなのかもしれない」
無残な死が待っているかもしれない、傷付き、倒れ、治療もされないままにその生を終えてしまうかもしれない、それはあのまま放置され死んでいたほうが幸せだったかもしれない、助けたセネーレに恨み言を発してしまうかもしれない。
様々なかもしれないが頭によぎり、更なる苦しみを味あわせるために、壱を助けてしまったのではと彼女は自責していた。
あり得ないと、壱の中にある何かは突如として膨れ上がった。
だからこそ、焦ってしまい、冷めているはずの壱は、
「そんなことはないッ!」
「!」
思わず、叫んでしまった。
案内をしていた商人の部下も一体何だと振り返るが、セネーレが「問題はない」と言い繕い、壱も叫んでしまった自分を恥じ、取り繕い、言葉を続ける。このままでは収まりがつかなかったし、非常に珍しくも照れ隠しでもあった。
「助けてくれて、とっても感謝している、だから、そんなこと言うなよ」
「……ごめん、でも、ありがとう」
だから、お礼を言うのはこちらだよと、壱は仕方なく笑い。
セネーレもまた、ごめんとありがとうを、今度は微笑みながら言うのだった。