『無事に帰ってきなさいよ』
交差する道の先での1話目になります。
ファンタジー作品における日常って、思いのほか難しかったです・・・。
王都ポーラリア
この世界、ハイメル・クーゲルにおいて中心ともいえる国家、ポーラリアの首都にあたるこの町の片隅にある一軒の宿屋。
歴史ある王都の片隅にあるためか、建物そのものが古びたレンガで作られたその宿屋の一室。
「すかー・・・・すこー・・・・・・・・」
宿だけあって清掃には気を配っているのだろうが、拭い去りきれていない埃っぽさなど意にも介さず眠り続ける一人の少年の姿がそこにはあった。
年のころは16歳ほど。やや赤みがかった茶髪が頭の重みに耐えかねてひしゃげてしまっているのだが、文字通り夢心地の本人は意にも介していないようだ。
陽はすでに高く、外は穏やかな気候に恵まれた晴天だ。
普通であれば外に出かけたくなり、仮に眠かったとしても容赦なく降り注ぐ日差しの前に降参するしかないはずなのだが・・・
「んぁ・・・すぴー・・・・・」
これまた少年は、まぶしがる様子すら見せずに眠っているのだった。
そこに、コンコンという控えめなノックの音が小部屋に響き渡る。
「エストー?」
ノックの音とは裏腹に、朗らかな声がドアの向こうから響き渡る。
だが、夢の世界の住人と化している少年―――エストがその程度の声で目覚めるはずもなかった。
「くかー・・・・・・・・・・・・・・・」
「ですよねー・・・うん、わかってましたよー、私」
がくり、と扉を隔ててもわかるほどに落胆した気配が室内に漂う。
匂い、まぶしさ、外の喧騒、そして自分を呼ぶ声でさえ目覚めない少年は、もちろんこの程度の気まずげな気配程度では起きることはない。
「というわけでー・・・いつもの、行くよー」
かちゃり、という軽快な音と主に扉が開いていく。
本来であれば宿泊客のプライバシーを守る鉄壁たる宿屋の扉がいとも簡単に開いてしまうというのは、本来であれば問題だろう。
本来ならば、だ。
「あーあ・・・ほんとまあ、いつものことながら気持ちよさそうに寝ちゃってさぁ・・・」
侵入者―――エストと同い年くらいの少女は、太陽光に鮮やかに映える茶色の髪を軽くかきあげつつぼやく。
「おーいエストー! 朝だぞー! 幼馴染が起こしに来てあげてるんだぞー!」
「くぉー・・・すぴぃー・・・」
何かに苦悩するように額に手を当てうつむきつつため息をこぼす少女。
穏やかとは言え、じりじりと照らす陽光さえ意に介さず眠り続ける少年のいぎたなさは幼馴染を名乗る少女にとってみれば日常茶飯事のことなので、いまさらそんなことくらいでため息をついたりはしない。
「まーたおじさんに迷惑かけちゃうなぁ・・・でも、ごめんね エストから追加料金をとってね 仕事の一環として、お掃除はちゃんとするからねー・・・」
この場にいない、人のよい宿屋の主に心の中で詫びる少女。
先ほどのため息は人のよい主に対する申し訳なさ、そして・・・自分の仕事が増えてしまうことに対するため息だったというわけだ。
少女の名前はリオ。ここまでの発言からもわかるとおり、この宿屋で働いている。
小柄で快活、大きな目にコロコロと変わる表情から子ども扱いされており、本人も決して嫌がってはいないのだが、幼い外見とは裏腹に宿屋の手伝いに加えて道具屋の経営までもこなしている。
加えて言えば、ベッドの上でいまだ眠り続けるエストとは幼馴染といってもいいほどの付き合いでもある。
「まったく・・・これじゃめきめき腕があがっちゃうなぁ・・・」
申し訳なさそうな表情が一転、真剣な表情へと切り替わる。
ゆっくりと目を閉じ、左手を軽く上に突き上げ意識を集中させた。
「・・・・・・・っ!」
裂ぱく、というにはいささか弱いが気合のこもった声とともに、エストの頭上に大量の水が発生し、降り注ぐ。
大気中の水蒸気が凝集したのでもなく、水をどこかから呼び寄せたのでもない、純粋にそこに水を生じさせたのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・」
ふぅ、と小さく息をついて目を開くリオ。その視線の先では一言も発することなくまっすぐに天井を見上げつエストの姿がある。
寝ぼけ眼というには明らかにぱっちりとしているが、幼馴染であるリタから見れば完全に寝ぼけているのがわかっているのか、軽い足取りでベッドまで歩み寄るとピッと指を彼に突き付けた。
「起こしてって、言ったよね?」
「・・・・あー、ああ たぶん・・・・・・・今日は水、か?」
最初は意味をなさないうめき声を発していたエストだが、目の焦点が合いはじめ少なくとも目覚めはしたのか、リオに質問を投げかけた。
「うん!最近、お掃除のたびに水汲むの面倒だから少し練習したくて」
さらっと言ってのけるリオ。
まったく悪びれる様子のない彼女もなかなかだが、それを意にも介さず起き上がるエストもまたエストだ。
「ホラ!今日はわざわざ水にしてあげたんだから、乾かして! 火の扱いは得意でしょ?」
「朝っぱらから交霊術使うのはたりぃんだけどなぁ・・・」
気のない返事を返しつつぼりぼりと頭をかきながらふわ、と大きなあくびを一つつく。
開いている右手を部屋の中央に向けるエストの眼前で、炎が燃え上がる。
すべてを焼き尽くす赤い炎は、しかしその本質に逆らい何も燃やさない。
炎を中心に渦巻き始めた風もまた、火の粉ひとつ舞い散らせることはない。
彼が求めたのは『燃やさず、温める炎』と『熱だけを運ぶ風』。それに反するような現象は引き起こされない。
「寝ぼけてても二つ同時に使えるのかぁ・・・さすがはエスト、ってカンジ」
普通ならばありえないこれらの奇跡を当たり前の現象として引き起こす力・・・交霊術。
ハイメル・クーゲルに住むものであれば誰もが扱えるこの力だが、どうしても巧拙の差が生まれてしまう。
「こいつばっかはなぁ・・・確かに使い始めのころは、俺も一個でさえ扱いきれねえこともあったけどな」
エストが適当に制御しているにも関わらず二つの現象を同時に引き起こせている一方で、リオは深く集中しても水を生み出すという一つの現象を何とか起こせている状態だ。
交霊術の扱いの巧拙の大半の部分は、いわば才能が占めているのだ。
「けどよ、別にふつーに暮らすだけなら充分だろ。むしろ、そこらのおばちゃんよりかよっぽどうめえんじゃねえの?」
「そりゃね、宿のおじさんとかにも負けないくらいには扱える自信はあるよ?でも、ちょっと悔しい・・・」
まるでしゅん、という音が聞こえてきそうなほどにあからさまに落ち込んだ様子を見せるリオ。
そんな様子を見、少し気まずげに視線をそらしつつ頭をかいて見せたエストは腰かけていたベッドから立ち上がると燃え盛る炎を熱がりもせず通り抜け、リオの前に立った。
「負けず嫌い」
「う、ううぅ・・・いいでしょ!? だって、つい7年前までは私と変わらなかったのに・・・」
睨みつけようにも、思いのほか落胆の度合いが深かったのか。一度は顔を上げるも再びしゅんと首を垂れてしまうリオ。
一方でエストも、交霊術の制御を通して意識が覚醒してきたのか黒い双眸をわずかに鋭く細めるとリオの頭にポン、と手を置いて見せた。
「妹は兄貴に勝てねえもんなんだよ いちいちくだんねえことで落ち込んでんじゃねーよ」
うー、という唸り声をあげるリオ。だが、うつむいたままの顔に浮かんでいたのは怒っているような、それでいて喜んでいるような複雑な表情だった。
リオとエストの間に血のつながりはない。それどころか義理の兄妹でさえない。
だが、幼いころから何かと一緒にいることの多かった二人はまるで実の兄妹のように育ってきている。
「たった1歳しか違わないくせに・・・なんでいっつもお兄ちゃんぶるのかなー」
ついに怒りの色が消え始め、喜び一色となった顔は伏せたまま不満そうな声をあげるリオ。
対して載せているだけだった手にわずかに力をこめグリグリと撫でまわすエスト。
伏せられたままの顔にどんな表情が浮かんでいるかエストは知っているし、手に込められる力が照れ隠しの証だということをリオは知っている。つまりは、いつも通りの光景なのだ、二人にとっては。
「で?頼りないお兄ちゃんは、こんなところで妹相手に油を売っていていいの?」
「んぁ・・あー・・・やべえ、ギルドマスターに呼ばれてたんだった・・・」
暖かいを通り越して、もはや熱いと思えるほどに熱気をばらまき始めた炎の球を一睨みで消す。
同時に髪を穏やかに揺らしていた風も止み、寝癖でつぶれていた気配など微塵も残さない、見事に整えられた髪を軽くかきあげ窓の外へ目をやる。
「あー!また窓から出てく気でしょ!?」
やめてよねー!と頬をふくらますリオに一瞥をくれると、がらりと窓を引きあける。
空はどこまでも青く、ぽつりぽつりと浮かぶ白い雲が目にまぶしい。
「先に金は払ってある。おっさんには、その・・・なんだ、うまく言っといてくれよ」
「もう!お客さん来なくなったらどうしてくれるのー!?」
何気なく目をやったはずの空は、思いのほかまぶしくて。
リオの怒鳴り声がひどく遠くに聞こえる中、足をかけた窓枠から真上を覗けば、頭上にはひときわ大きな雲が一つ。
ほかの雲が動かないのに、なぜかふわふわ・・・もとい、ふらふらと漂う雲になぜか言いようもない親近感を覚えるエスト。
「俺も・・・行きますかね」
その手に手繰り寄せるのは風。エストが足をかける窓は5階のもの、どれほど体を鍛えていようともこの高さから落ちれば無傷とはいかない。
だからこそ風の出番なのだ。
優しく自分を包む風を。この高さを、怪我の一つさえ負うことなく降りられる風を。
意識を鋭く、細くよっていくイメージで、風に包まれた自分が無事に地面に降り立つ姿を想像する。
「うわぷ・・・埃がぁぁぁぁ・・・」
先ほどとは比べ物にならないほどの密度の風が、狭い部屋の中に吹き荒れる。
ふわり、と足が地を離れる感触をすでに楽しみ始めているエストは、リオの抗議の言葉には耳もくれずに窓の外へと飛び出すイメージを頭に描く。
「--------っゃっほぅ!」
そして、飛び出していく。頬を膨らませた少女を一人、部屋の中に残して
彼の日常へと。
「・・・・もぅ、エストってば」
膨らませたままにしていた頬から力を抜く。少しばかり張っているように感じ、両手で軽くもみほぐしてみる。
宿のサービスの一環として各部屋に備え付けられている姿見に向けて笑顔を作るリオ。
「・・・ん、よし まったく・・・エストはいつまでたっても子供なんだから」
前髪につけられている二つの髪飾りに手を伸ばす。
幼いころ、まだ本当に幼くて、今のように『妹』を使いわけることなんてできなかったころにエストからプレゼントされたそれは、エストを起こしに行くときにのみ彼女の額でその存在を主張する。
いつの間にか彼女の中でできていたルールだった。
「よいしょっと、今日も無事起こしましたよー、だ」
優しい手つきで外したそれを、大事そうにポケットにしまう。
手慣れた手つきで髪をかきあげ、手首に巻いていたゴムでもって後ろにひとまとめに束ねる。
鮮やかな赤い花があしらわれた髪飾りとは対照的に、簡素な黒いゴム。
「・・・妹が待ってるんだからちゃんと無事に帰ってきなさいよー、なんて恥ずかしくて言えないわよね」
いつの間にやら定着してしまった兄と妹の関係。
時折頭に乗せられる手が暖かくて、からかわれた後に一緒に笑いあうのが楽しくて、ついつい妹を演じてしまうのだが、そういつまでも子供子供していられない。
仕事がある、店がある、そして一度はなくしてしまっていた居場所がある。
「待ってるんだから・・・あんたの妹が、ここで。だから無茶して、帰ってこないなんて許さないんだから」
自分だって居場所がないくせに、必死に人に居場所を与えようとしてくれたお人よしが、妹という自分をよりどころにして無事に帰ってきてくれることを祈る。それが、彼女の日課だった。
日課を済ませた彼女は、開け放たれた窓を閉めるべく窓辺に歩み寄る。
「うわっ・・・うーん、いい天気」
あまりのまぶしさに一瞬だけ目を細めたが、すぐに抜けるような空の青へとその眼は釘付けとなった。
「大きな雲・・・ふふっ、なんか頼りなげに流れてるなぁ」
まるでエストみたい。奇しくも幼馴染同士、同じ感想を抱いたようだ。
風が流れ、大きな雲はその流れに逆らうことなく空を流れていく。広い広い空の中、どこかを目指しながら。
「・・・・・よし!頑張りますかっ!」
エストが飛び出していった窓とはちょうど反対側にある扉。
彼女が入ってきたときに開け放たれっぱなしだった扉を外側から丁寧に閉め、鍵をかける。
兄であり、弟のような少年が帰ってきたときのために。
そして彼女の日常もまた、始まっていくのだった。
主人公エストと幼馴染の少女リオの日常の一コマになります。
リオは前話のキャラ紹介では書かれていません。
エストと一緒に冒険していく人のみをキャラ紹介として紹介していく予定だったもので。
でも幼馴染というポジションもありますし、何よりなかなかエストとはかかわりが深いキャラですので、きっとこれからも活躍してくれるはずです(作者の言葉ではないですが・・・)
交差する道の先で、は今の流行(VRMMOものとか、転生ものとかをよく見かけるもので)とはかなりかけ離れた作品になります。
読んでくださる方がいるのかどうか、かなり不安ではあるのですが、読んでくださる方がいましたら、どうぞこれからもよろしくお願いします。