カンテラの灯
前の日から急に冷え込んで、もうすぐ雪でも降るんじゃないかといわれていたその日。
僕は凍えるような寒さの中、家の玄関の横に植わっていた薔薇の木の陰に、人目を避けるように座っていた。
ほんとうはそんなことをしなくても家の門から玄関までは結構距離があるので、家族か家に用事がある人以外は玄関までやってくることはなくて見つかることもないんだけれど。
けれども僕は、そんな僅かな、来ることなんて決してない人にすら、今の僕を見られたくはなかった。
そうこうしている間に、はらはらと雪が暗い空から舞い落ちてきた。
今年初めての雪。
その一つを手にとって、掌でゆっくりと溶ける雪をじっとみていたら、昔お母さんから教えられたことを思い出した。
『その年初めての雪の一欠片を掌に掴むと、願いが叶うのよ』
この掌の溶けた雪がその欠片かもしれない。
そんなわけがあるはずもないのに、僕はついついこの雪がその欠片であってほしいと願った。
「どうしたの?」
暖かい色をしたカンテラの灯火が僕の目の前でゆらゆらと揺れていた。
僕は誰にも見つけられないように生け垣の中で小さくなっていたはずだった。
それなのにその人は簡単に僕を見つけたようで、生け垣を覗きこむようにカンテラを灯して僕を見ていた。
大きなフードが影になって顔は見えなかったけれど、その声はどこかで聞いたことのある、優しい声。
カンテラの炎がきらりと瞳を輝かせた。
「どうして家の中に入らないの?」
そう言いながらその人は、冬枯れて鋭さを増したとげを気にすることなくごそごそと薔薇をかき分けて僕の横にちょこんと座った。
ぽんぽん叩きながら僕の膝に乗せられた手には瞳の色と合わせたのか、ヘーゼルナッツ色の毛皮の手袋がはまっていた。
ヘーゼルナッツは僕の大好きな友達の髪の色。
だからか僕は妙に安心してしまって隣に座った人に声をかけようと顔を見たら、びっくりすることにその人は大きな耳を持つヘーゼル色の猫だった。
あまりに驚きすぎたせいで声を出せずにぽかんと見ていると、その猫は困ったように大きな目をすいと細めて僕を見返した。
そのしぐさも僕の大好きな友達みたいだった。
「ここは寒いよ?家に戻ったら?」
「……家に入りたくない」
そうなんだ。
僕は今、家にいたくはなかったんだ。
どうしてかだって?
僕の頭の上にある窓を見たらわかるよ。
窓を覗かなくても、そこからはあったかい光と一緒にあったかい笑い声が溢れている。
あったかいものの中心には、生まれたばかりの妹がいるんだ。
お母さんもお父さんも小さな猿みたいな妹に夢中で、まだ泣くことしかできない妹にいろんなものを買い与えてるものだから、妹の周りにはプレゼントが山のようになっている。
僕がいくらお父さんやお母さんを呼んでも、妹が泣くと二人ともすぐさま妹のそばに駆けつけて、僕なんて見てもくれないんだ。
あの黄色い光の中には、僕がいる必要なんてまったくなくなってしまった。
だから僕はいてもたってもいられなくなって、この場所でじっとしていることにしたんだよ。
そんなつまらない話を、僕は横にいるヘーゼル色の猫にどうして話してしまったんだろう。
僕が話している間、猫はうんうんと何度もうなづいては僕の膝をぽんぽんと叩いた。
それが僕にはとってもうれしかったんだ。
「僕はいらない子なんだよ」
「そんなことはないよ」
猫は頭をふるふると震わせて、大きな目で僕をじっと見つめてくる。
「僕はもう大人なのに、生まれたばかりの妹がうらやましくて仕方がないんだ。だから僕は自分が情けなくてここで頭を冷やさないといけないんだよ」
「……甘えても、いいんだよ」
「え?なに?どういうこと?」
「僕たちは、まだまだ甘えてもいいんだよ」
そういうとヘーゼルの猫は着ていたマントを広げて、僕をその中に包み込んだ。
猫の体温と毛皮が気持ちよくて、僕はちょっとだけぼうっとなった。
「ねえ。僕たちはまだ八歳なんだよ。……知っている?歳の数え方ってあるでしょう?ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつって。あれってね、最後までいうと、ここのつ、とうってなるでしょう?どうして最後は『つ』が付かないんだろうって思ったことはない?僕はあるんだけれど。あれはね、『つ』のつく九つまでは子供でいてもよくて、『つ』のつかない十になったらもう子供ではいられない、一人前の大人になる準備をしなくちゃいけないってことなんだって。十になったら僕たちは大人になる準備を始めなくちゃいけないんだ。けれども九つまでなら、僕たちはまだまだ子供だから大人に甘えてもいいんだよ。九つまでだよ。だから八つの僕たちはまだまだ子供なんだ。甘えていいんだ。……甘えても、いいんだよ」
「そうなの?」
「うん。そうなんだ。だから僕たちはいくら下に妹ができたって、もっともっと親に甘えてもいいってことなんだよ」
「甘えても、いいんだ」
「そう」
「そっか」
猫が言う言葉はとっても温かくて、まるで眠りを誘う呪文を聞いているみたいだった。
だから僕は頭の中がふわふわとしてきて、僕は猫に身体をゆっくりと預けていった。
「それに、君は大切にされているよ」
「え?」
「ほら、家の中が騒がしくなっている」
猫が窓を見上げていると、確かにさっきまでの静けさはなくて、がやがやと騒がしい音が窓から漏れてきた。
けれども僕はそんなことよりも、隣に座るヘーゼルの猫の温かさがとっても気持ちがよくて、眠たくて眠たくて仕方がなかったんだ。
「ねえ。君の名前、教えて」
僕は眠気と必死に闘いながら、猫の名前を聞こうとした。
だって次はいつ会えるかわからないから、せめて名前だけでも聞いておかなくちゃっておもったから。
「僕?僕の名前はシオンだよ」
「……しおん……?僕の大好き…な、ともだ……」
僕が覚えているのは、そこまでだった。
目が覚めると、そこは自分の部屋だった。
-――――なんだ、昨日のことは夢だったんだ。
窓からは昨日の夜積もったんだろう雪に朝日が反射してキラキラと輝いている。
昨日はとても寒かったから、夜のうちに積もったんだろう。
生まれたばかりの妹には雪なんて興味ないかもしれないけれど、僕はなんだか急に妹に雪で作ったうさぎをプレゼントしたくなって、ベッドから飛び起きた。
身支度を整えようとクローゼットから服を取り出そうとしたときに、明らかに自分のものではないマントが掛かっていた。
あれ?このマント、夢でててきた猫が羽織っていたマントと同じものだ。
不思議に思ってマントを持ってリビングにいくと、朝食の支度をしていたお母さんが手を止めて、おはようの挨拶とキスを僕にくれた。
僕はそんな小さなことがとてもうれしく感じた。
「お母さん。このマントは誰の?」
するとお母さんは大変驚いて僕をじっと見て言った。
「昨日の夜のことは覚えてない?」
「昨日の夜?」
「そう。あなたの友達のシオンくんが、外は寒いからと自分のマントであなたを包んでくれていたの。マントを返そうとしてもあなたは眠っているはずなのにちっともそのマントを離そうとしないから、シオンくんは笑ってマントを貸してくださったのよ。後からお礼の電話をかけておきなさいね」
「え……?シオンが来たの?」
「あらあら。そこから覚えてないのかしら。困った子ね。昨日の夜は大騒ぎだったというのにね」
お母さんは面白そうにくすくすと笑って、テーブルに座るように促すと、僕に美味しそうな朝食をだしてくれた。
もしかして。
もしかして昨日の夢は、本当のことだったの?
でも夢のシオンくんは、ヘーゼル色の猫だったよ。
そりゃあしぐさがシオンに似てるなって思ったけれど。
そのときになって、昨日の出来事が頭の中をぐるぐると廻っていった。
僕は確か猫のシオンくんに『大好きな友達と一緒』だって言ったんだ。
その時に猫のシオンくんは毛皮の上から分かるほどに真っ赤になっていたように思う。
なんだ、そういうこと。
僕は朝食を食べ終わると、妹のために雪うさぎをつくろうと外へと飛び出した。
もちろんシオンのマントを手に持って。
この物語は『帽子屋さんとごいっしょに』のスピンオフで、店長さんとふうかちゃんの息子・シオンのお友達のお話になります。
とかいいつつ、お友達の名前、でてこないんですけれど(爆)
子供はいつだって親の愛情を求めているけれど、でもお兄ちゃんだからお姉ちゃんだからといわれて刎ねつけられるのは嫌だと感じているんじゃないかと思ってこの話を考えました。
もしよければ、感想などいただけたらと思います。