姫さま、もう姫ではない
むすり、とした表情の元騎士。
腕を組んで睨みつけるように彼を見る元姫さま。
二人の間にある座卓の上には、二枚の紙切れが置かれている。
嫌な沈黙が満ちた部屋に、気の早いセミの鳴き声が漏れ聞こえてくる。季節は夏。高校三年生になった二人の目下の悩みは、高校卒業後の進路である。
「…なあ、本当にここに行きたいのか」
沈黙をやぶって、元姫さまが口を開いた。視線は座卓に置かれた二枚の紙へと向けられている。
一枚は元姫さまの名前が書かれた進路調査表だ。もう一枚には元騎士の名前が書かれている。そして、元姫様が視線をやっているのは、二枚の紙の第一から第三まである希望進路の欄だ。
元姫さまの第一希望、第二希望、第三希望と、元騎士のそれらは、すべて同じ進路が記されている。 大学の学部、学科まですべて同じだった。
それを見て、元姫さまは元騎士に問うたのだ。
じっと見つめて返事を待っていると、斜め下を見ながら元騎士が答えた。
「はい。本当に、行きたいと思っております」
その返答に、元姫さまが堪えきれずにため息をつく。
「行きたい、理由は?」
まっすぐに視線を向けてくる元姫さまに、元騎士は顔を上げない。
「行きたいから、です」
「なぜ、行きたい?」
重ねて問えば、元騎士は黙り込む。
沈黙が続くが、元姫さまは視線をそらさない。再び嫌な沈黙が広がり、部屋に充満するころ、ようやく元騎士がぼそりと言った。
「…あなたが、行くからです」
元姫さまは、ため息をついて自分の髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。もう一度ため息をついてから、元騎士をまっすぐ見据えた。
「お前の道だ。お前のために、考えろ。俺をお前の理由にするな。…いや、してもいい。嬉しいけど、だけど。お前の選択肢を俺だけに頼るな」
静かに、言う。
「もう姫と騎士じゃないって、わかってるだろ?」
ゆっくり、静かに、確実に伝えていく。
「だったら…わかるだろう?」
元騎士はじっと座卓の上を見ている。
「俺とお前は、友達だ。生涯、守って、守られているだけじゃ、ダメなんだ。お前が俺を支えて、俺がお前に頼ってるだけなのは、ダメなんだよ」
そんなのは、友達じゃない。依存するだけの関係なら、いらない。
わかってくれよ。
「俺たちは友達、だろ?」
「…友では、傍にいることも許されないのですか。それならば、私はあなたの騎士でいい。友ではなくて、姫と騎士でいたい。それでは、ダメですか」
すがるように、元騎士が言う。
元騎士が見つめる先で、元姫さまが眉を寄せる。開きかけた口を閉じ、目を伏せてからもう一度口を開いた。
「…お前の『姫』は、俺じゃなくて、いいんだ」
言った元姫さまの顔が歪み、聞いた元騎士の顔も歪んだ。
「お前は、自分の『姫』を探していいんだ。自分の守りたい人を自分で決めて、いいんだ」
ずっと、出会ってからずっと言おうと思っていたこと。
「…それでは、何故、私たちは記憶を持ったまま生まれてきて、何故、出会ったのですか。あなたに仕える騎士でいられないのなら、出会わなければ良かったのに…!」
元騎士は、呆然と吐き出すように言う。
涙はない。瞳は、からからに乾いていた。
「…友では、ダメか。共にあった記憶を持って、これからも共に、心を許せる相手として、生涯の友としてあることは、できないか…?」
「ならば…」
元姫さまを見つめながら、その心に映るのはかつての主の姿。
「ならば、そのように、命令してください。友として、あれと。それならば、私は、そう振る舞います。振舞えます。それでは、ダメですか」
苦く、泣き笑いの表情を作って、元姫さまはかつての騎士を見つめた。どうか、その瞳に俺を映して。姫じゃない、俺を。
「…お前を誇りに思っているんだ。かつては騎士として、今は友として、いつでも真っ直ぐに立つお前を、誇りに思っているんだ。俺の誇りを、汚さないで」
最後は、ささやくように告げた。
長い、長い沈黙。
互いに視線はそらさないまま。
瞬きすら忘れたように、動かない。
いつの間にか陽は落ちて、セミの声はもう聞こえない。
「…すぐには、無理です」
唐突に、元騎士が言った。
「私は、守る人がいなければ立っていられない。今すぐに、あなたをただの友として見ることは、できません」
元姫さまは頷いた。少しだけ、表情がゆるんでいる。
「それで、いい。今はそれで十分だから」
少しだけ、表情がゆるんでいる。
「お前が、お前のために生きてくれるだけで、十分だ」
泣きそうなのを我慢したような下手な笑顔で、元姫さまが言う。
返事は、とても小さく。けれど、確かに返った。
コメディーじゃない…。
広告に偽りあり、ですね。すみません。
騎士、めんどくさいやつです。