姫さま、わんぱくに育つ
寒風吹き付ける中、膝小僧をむき出しにした短パン姿の少年が木の上に立っている。
(こんな格好で外に出たら、ぜったい熱出してたよなあ)
二階建ての建物くらいの高さにある木の枝に仁王立ちして、少年は感慨深く思う。今回の体はずいぶんと丈夫にできているらしい。ありがたいことだ。
前世で叶わなかった木のぼりをするという夢がかなって、少年はご機嫌だ。冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、ぐんとのびをする。
「お前も早く来いよ。気持ちいいぞ!」
声をかけた先には、元騎士がいた。
顔を青くして地上でおろおろと歩き回っている。
「姫、危ないですよ!早く降りてきてください!!いや、危ないですから、ゆっくり、ゆっくりでいいから、降りてきてくださいっ」
前世では無茶なことなどする体力もなかったため、この騎士の慌てる姿など見たことがない。基本的に人の良い笑顔を浮かべている騎士ばかりが記憶にある。それ以外の表情といえば、熱を出した自分を心配して困ったように笑う顔くらいか。
(いや、俺が死ぬときには、泣き顔も見たな……)
そんなことを思い出して、少しばかり胸が痛む元姫さまは、現在小学3年生。前世でできなかったあれやこれやを行うため、日々活動的に過ごしている。そのため、膝小僧の絆創膏は、もはやトレードマークとなりつつある。
ちなみに、元姫さまに絆創膏を貼るのは、元騎士の役目になっていた。
(泣かれても、楽しくないしな)
心配のあまり泣き出しかねない顔でこちらを見上げる元騎士を見て、仕方ないな、と木から降りる。
ひょいひょいと降りていって、のこり1メートルに差し掛かったところで、油断した。
ずる、と片手がすべり、やばっと思った時には、浮遊感。
次の瞬間には衝撃を感じていた。
が、地面にしては柔らかい。覚悟したほどの痛みもない。
「姫、お怪我は!?」
体の下から聞こえた、元騎士の声。
慌てて飛び退いて、彼の手をとって起こす。こちらの心配ばかりしている元騎士に適当に返事をして、彼の服についた土をぱたぱたと叩く。同時に怪我がないかを確認すると、手のひらがすりむけていた。
「絆創膏くれ」
「姫、どこにお怪我をされたのですか!」
手のひらを彼に向けて絆創膏を要求すれば、顔色をさっと青ざめさせて、聞いてくる。
人のことばかり心配する元騎士にいらだち、勝手に彼のズボンから絆創膏を取り出して彼の手をつかむ。急にズボンに手を突っ込まれて驚いた彼が飛び退くのも構わず、つかんだ手を引き寄せた。
「怪我したのはお前。おとなしくしろ」
そんな恐れ多い、私などのことはお構いなく、などとわめく元騎士を無視して絆創膏を貼る。貼り終えたその手で彼の頬をつかみ、左右に引き伸ばしてやった。
「にゃ、にゃにをなさりゅのれすか、ひめ」
元騎士の言葉を聞き流しながら、頬を伸ばして遊ぶ。ひとしきり遊んでから、最後に伸ばせるだけ伸ばして手を離す。
「何で庇った」
「姫をお守りするのが、私の使命です」
問えば、即答された。予想通りの答えに、元姫さまは苦い顔をする。
「俺はもう姫じゃない。お前に守られる存在じゃないんだ」
「それでも、私にとって仕えるべき人。守るべき人は、あなたです」
迷いなく、まっすぐに見つめてくる瞳は、たしかに前世の騎士と変わらない光を宿していた。わかっている。こいつは、そういう男だ。
それでも、ため息が出てしまう。だって、自分は。
「俺は、お前と一緒に遊びたいんだ」
ため息まじりにそう告げれば、元騎士はぽかんとした顔をしている。
「言っただろう。一緒に遊ぼうって。木のぼりしたい、川遊びしたい、買い食いもしようって、言っただろう」
忘れてしまったのか、と問えば、驚いた顔のまま元騎士は首を横に振る。
「俺は、お前を従えて遊びたいって言ったんじゃない。お前と一緒に遊びたいって言ったんだ」
そう言えば、元騎士は感激に頬を染めた。その顔に機嫌を良くした元姫さまは、一番言いたかったことを伝える。
「俺は、お前と友達になりたかったんだ」
前世から、ずっと伝えたかった言葉。かつては身分のために伝えられなかった言葉。今ならば、こんなに簡単に言える。だから、仕えるなんて、守るべき人なんて言って、俺を遠ざけないで。
それを聞いた元騎士は、喜びのあまり泣き出した。涙でべちゃべちゃになった顔はとても間抜けだったが、あの、最後に見た苦しそうな泣き顔とは大違いで。
(こんな泣き顔も、できるんだなあ)
元姫さまはあきれて笑いながらも、元騎士が泣き止むまでその顔を眺めていた。
元騎士、ちびっこのときは結構泣き虫です。
元姫さまは、郷に入っては郷に従うタイプなので、少年らしく振舞っています。
少々、やんちゃが過ぎるようですが。