第4話:魔力循環風呂と不法侵入者の末路
「はぁ、はぁ……。ここが、噂に聞く『死の森の館』……?」
館の正門前。泥にまみれ、美しい銀髪を振り乱したエルフの少女、エルナは絶望の淵にいた。
彼女の故郷である聖なる森は、帝国の軍勢によって焼き払われた。汚れを極端に嫌うエルフにとって、泥にまみれ、追っ手に怯える現状は死にも等しい屈辱だった。
おまけに、彼女の背中には帝国騎士が放った「腐敗の呪矢」が刺さっている。
「もう、限界……。せめて、最後は静かな場所で……」
意識が遠のき、彼女が地面に倒れ伏した、その時だった。
重厚な館の門が、ひとりでに、軽やかな音を立てて開いた。
「おっと、危ない。いらっしゃいませ、二人目のお客様。ちょうど客室の換気が終わったところですよ」
彼女の前に現れたのは、場違いなほど爽やかな笑顔を浮かべた青年――リアムだった。
*
「……んっ、ここは……」
エルナが目を覚ましたとき、鼻腔を突いたのは、エルフの森ですら嗅いだことのない「清浄な空気」の匂いだった。
見れば、自分は清潔なベッドに横たわっている。背中の激痛も嘘のように消えていた。
「気がつきましたか。呪いの矢は抜いておきましたよ。傷口も、この部屋に塗り込んである『治癒促進漆喰』のおかげでもう塞がっています」
傍らで木材を削っていたリアムが声をかける。
「貴方は……人間? なぜ、私が生きているの? エルフの体は汚れに弱いはず。なのに、この部屋はなんて澄んでいるのかしら……」
「それは良かったです。ここは僕が昨日リフォームしたばかりの客室ですからね。でも、エルフの方なら、もっと気になる場所があるんじゃないですか? ほら、あなたの服も体も、泥と返り血で大変なことになってますよ」
エルナはハッとして自分の体を見た。潔癖な彼女にとって、今の汚れは耐え難い。
「……っ、そうね。でも、こんな呪われた館に、まともな水場なんて――」
「ありますよ。たった今、僕が完成させた『最高傑作』がね」
リアムに促され、エルナはフラフラと廊下へ出た。
案内されたのは、かつてはカビと腐敗の温床だったであろう浴室。だが今、そこは白大理石が輝き、見たこともない透明度のお湯が溢れる楽園に作り替えられていた。
「これ、は……?」
「【魔力循環風呂】です。館に溜まった余剰魔力を濾過して、お湯の温度と清潔さを永久に保つように設計しました。特にエルフの方なら、お湯に含まれる魔力成分が肌から浸透して、精神的な疲れも取れるはずですよ」
エルナは吸い寄せられるように、服を脱ぎ捨てて(リアムは気を利かせてすぐさまドアを閉めた)お湯に浸かった。
「っ……あ……ああああ……っ!」
お湯に触れた瞬間、彼女は震えた。
汚れが魔法のように剥がれ落ち、お湯に溶け込んだ濃密な魔力が、傷ついた彼女の魔力回路を優しくマッサージしていく。
「なにこれ……最高……。エルフの王宮のお風呂なんて、これに比べればただの水溜まりだわ……。一生、ここから出たくない……」
高潔だった姫のプライドは、リアムが精魂込めて作り上げた「究極のバスタイム」によって、瞬く間に溶かされていった。
一方その頃。
館の敷地外では、エルナを追ってきた帝国の暗殺部隊「黒の牙」の面々が、困惑に包まれていた。
「おい、どうなっている。あのボロ館……以前見た時と、明らかに雰囲気が違うぞ」
「構わん。エルフの小娘を殺せば任務完了だ。突入しろ!」
五人の暗殺者が、影に紛れて館の敷地内へと侵入する。
彼らは一流の潜入のプロだった。だが、彼らが足を踏み入れたのは、単なる庭ではない。
リアムが「不審者の侵入を防ぐために、動線を最適化」した防衛聖域だった。
「……? なんだ、この床は。妙に滑――」
一人が廊下に足を踏み出した瞬間、ツルリと足が浮いた。
リアムが昨日、心血を注いで塗り上げた「魔導防汚ワックス」のせいだ。汚れを寄せ付けないその超低摩擦コーティングは、侵入者の踏ん張りを一切許さない。
「うわぁぁぁ!?」
滑った男はそのまま、リアムが「ちょうどいいゴミ箱を置こう」と設置しておいた自動開閉式の地下廃棄穴へと吸い込まれていった。
「なっ、トラップか!? 散れ!」
残りの四人が壁に張り付こうとするが、壁には「不法侵入者への自動反撃(害虫駆除)」の術式が組み込まれた新しい漆喰が塗られている。
壁から伸びた魔力の手が、彼らの襟首を掴んだ。
「なんだこの力は!? 離せ! 貴様、何者だ!」
「うるさいなぁ。今、お風呂の温度調節をチェックしてる最中なんだから、静かにしてくれませんか?」
廊下の向こうから、ドライバーを持ったリアムが顔を出した。
彼は暗殺者たちの顔を見ると、心底迷惑そうに溜息をついた。
「ああ、不法侵入者ですね。床に泥を上げないでくださいって、門の掲示板に書いたはずですよ。……セレスティアさん!」
「はい、リアム様!」
奥の部屋から、見違えるほど元気になった聖女セレスティアが姿を現した。
彼女はリアムの手によって「浄化・増幅」された聖なる魔力を指先に宿すと、にっこりと微笑んだ。
「我が主の家を汚す不心得者は……『お掃除(排除)』の時間ですね?」
「ぎゃあああああああ!」
聖女の容赦ない閃光が廊下を走り、暗殺者たちは荷物として館の外へと一瞬で射出された。
「ふぅ。汚れを外に出したから、もう一度ワックスをかけ直さないと」
リアムは暗殺者の生死などこれっぽっちも興味がない様子で、モップを手に取った。
その頃、浴室からは「はぁ、極楽……」というエルナの、およそ姫君とは思えない魂の抜けたような声が漏れていた。
伝説の聖女に続き、エルフの姫までもが。
リアムの「リフォーム」の魔力によって、この館の虜になっていく。
「よし、次は脱衣所に床暖房を入れよう。湯冷めしたら大変だからね」
リアムの改善意欲は、止まる所を知らなかった。




