表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死に損なった冷酷公爵様、中身が「別の何か」に入れ替わっています 〜完璧な愛に私は喰べられる〜  作者: 綾瀬蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/20

第19話 起きる鼓動

 地上へ戻る頃には、東の窓がわずかに白んでいた。

 夜が終わる音はしない。影が少し薄くなるだけだ。薄くなった影ほど、目立たないぶん怖い。


 寝室に入ると、空気が“軽い”。

 輪を地下へ縫い付けたせいだ。息をする檻がいないだけで、私の肺はこんなに広かったのかと思う。


 ユリウスは真っ先にレオンハルトの脈を取った。

 アルノーは椅子に沈み込み、足首を押さえたまま目を閉じる。マルタは何も言わず、寝台の四隅の塩糸を指先で確かめる。役目の動き。


「……揺らぎが、少し戻っています」


 ユリウスの声が低く震えた。

 私は息を吐いた。吐けたことに驚く。秒針に合わせなくていい呼吸。


 レオンハルトの胸が、ゆっくり上下する。

 私が名前を呼んだ時に返ってきた掠れ声を思い出し、喉の奥が熱くなった。


 私は寝台の脇に座り、彼の手を取った。

 冷たい。けれど、人間の冷たさだ。膜越しではない。湿り気もない。


「……戻って」


 言葉が漏れた。しまった、と思う。

 でもこれは怪物への餌じゃない。夫への願いだ。私はその区別を、今夜で覚えたはずだ。


 しばらく、何も起きなかった。

 けれど――


 レオンハルトの指が、微かに動いた。


 握り返す、というほど強くはない。

 それでも確かに、私の指を探るような動き。


「……!」


 私は息を止めた。

 ユリウスも息を止めているのが分かった。部屋の全員が、音を出さないように生きている。


 レオンハルトの瞼が、少しだけ持ち上がる。

 薄い金の瞳が覗いた。光の奥に同心円はない。瞬きは遅れない。

 揺れる。人間の揺らぎ。


『……』


 声にならない息が漏れた。喉が乾いている。

 私は水差しに手を伸ばし、杯を持つ。手が震える。震えがあるのは、生きているからだ。


 杯を唇に当てると、レオンハルトの喉が小さく動いた。

 それだけで、胸が痛い。偽物の完璧ではない。弱さのある現実。


 彼が、掠れた声で言った。


「……どこだ」


 短い問い。冷酷公爵の言い方。

 私は笑いそうになって、堪えた。笑えば泣きの形になる。泣きは餌になる。


「屋敷です。あなたの寝室」


「……俺は」


 言葉が途切れる。記憶の断片を掴もうとするみたいに、眉が寄る。

 その瞬間、私の背中が冷えた。――影の記憶が彼に残っているなら、夢の入口は彼の側にもある。


 ユリウスが慎重に言う。


「閣下、無理に思い出そうとしないでください。心臓に負担が」


 レオンハルトはユリウスを一瞥し、短く言った。


「黙れ」


 いつもの調子。

 その言葉に、私は泣きそうになった。冷たいのに、ひどく安心する。


 彼の瞳が私へ戻る。


「……エルサ」


 私の名。

 重なりがない。ひとつの声。私は頷いた。


「はい」


 レオンハルトは数秒、私の顔を見た。

 まるで私が“私”か確かめるように。あるいは、私が怖がっていないか見るように。


「……無事か」


 たった三文字。

 それだけで、胸が熱くなる。


「無事です。あなたは……」


 言いかけて、私は止めた。

 “あなたは本物”と言う言葉が、逆に隙になる気がした。定義は危険だ。確かめるのは、脈と揺らぎで足りる。


 レオンハルトは小さく頷き、目を閉じた。

 疲れたのだろう。まだ起きてはいられない。


 その瞬間、マルタが淡々と告げた。


「奥様。輪を地下に縫いました。……ですが、もう一つ残っています」


「残っている?」


「『糸』です」


 マルタはアルノーの足首を見た。

 黒い痕。そこに残る目の芽。地下の檻を閉じても、現実の媒介に残った“糸”がある限り、あれは戻る道を持つ。


 アルノーが目を開け、怯えた声で言った。


「……俺の足に、まだ……?」


 ユリウスが唇を噛む。


「傷口を切除すれば……いや、それは――」


 マルタは首を横に振った。


「切除ではありません。縫い直すのです。奥様の誓いで」


 私の誓い。

 鍵守になった私の言葉が、次の封じになる。


 私はレオンハルトの手を離さずに、マルタを見た。


「どうすれば」


 マルタは淡々と答えた。


「奥様が、アルノー殿を『人間側の者』として定義し直す。言葉ではなく、塩と鉄と血で。

 そして旦那様が目覚めた状態で、最後の“拒絶”を与える」


 拒絶。

 怪物への拒絶。愛の偽物への拒絶。

 私がやる。レオンハルトも、起きているうちに。


 私は息を吸い、頷いた。

 完結はまだ先だ。けれど、夫の鼓動が起きた。

 それが、次の戦いの始まりの合図だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ