目玉焼きの楽しさ
去年の晩秋にひどい風邪をひき、そこからなし崩し的に副鼻腔炎を起こして、下がらない熱と終わらない鼻水に実に辛い思いをした。
医者は私の体力低下を指摘し、私が毎日あふれるように採れる自宅の畑の野菜を無駄にしたくない一心で腹いっぱいに食べ、結果、たんぱく質を含む副食をあまり取っていないことを自白すると、それで昔の人は死んじゃってたんだよ。といたって真剣な顔で忠告された。
医者からたまにでいいので動物性たんぱく質を食べる日を作ること、面倒ならそれこそ1日おきに卵をひとつ食べるだけでもいいと言われ、私は迷いなく卵を買って食べるようになった。
2日に1回、朝ごはんに目玉焼きを作る習慣はそこから始まった。そうしてなかなかどうして、目玉焼きは奥が深くて、まもなく1年になろうと言うのに私は未だに目玉焼きに凝る事に飽きていない。
フライパンは直径20センチ程度の小さいもの。コンロに置くと、さて今日は何の油で焼こうか?と楽しく贅沢な迷いの時間が始まる。
サラダ油なら端をカリッと焦がすのがいいし、オリーブ油でもこれまた美味しい。
ひまわり油はビタミンEなどカロリー以外の栄養価を期待できるし、米油だって甘く香ばしい風味は他の油にないものだ。
金に余裕があるならベーコンを弱火でじっくり炒めて脂を溶かし出して、それで目玉焼きを焼くと実にリッチな気持ちになれる。
その日はオリーブオイルにしようと決めて瓶を取り出した。小さじ2をテフロン加工のフライパンへ敷くと表面張力で丸く綺麗にまとまって、色味も相まって色付きガラスの工芸品を思わせる。
コンロに点火して中火へ。好きな歌のサビを口ずさみながら20秒ほど予熱すると鍋と油が卵を迎える準備を整える。さあいよいよだ。冷蔵庫から卵をひとつ取り出して、シンクの縁に軽く打ち付けてヒビを入れ、そっと熱い油の真上へ割り落とす。
卵はジュッと言う音を発して白身部分から固まりだす。端っこがカリカリになることを願って火を極弱火に落とし、冷蔵庫から昨日切ったトマトにナスの浅漬けと、ピーマンの細切りを油炒めして顆粒の昆布だしのもとで味付けしたものを取り出し、魔法瓶に残ったぬるくなったお湯をマグカップに入れ、電子レンジでアツアツに加熱してインスタントコーヒーを溶かし、牛乳を加える。
そんなふうに朝ごはんの用意を進め、今度は冷やご飯をレンチンしてこれまたアツアツに。そこまで来るとフライパンに落とした卵は見事な目玉焼きに焼き上がっている。嬉しいことに白身の端は狙い通りのカリカリだ。せっかくのオリーブオイルなので卵と一緒に食べようと、湯気の立つごはん茶碗へフライパンの中身をスライディングさせて乗せる。目玉焼き丼といえば聞こえはいいが皿を1枚余分に洗う手間を惜しんだだけのことだ。
朝5時半、そうして私の朝食が始まる。ご飯に乗せた目玉焼きに塩をかけようか醤油をかけようか一瞬考えて、醤油を選ぶ。はたと思いついて粗挽き胡椒も上からかけ、黄身を割ると半熟よりは火の通った黄身がゆっくり断面から溢れ出す。
アツアツのご飯とともに大きな一口。
「んん」
改心の出来に、自画自賛の唸り声が出る。
オリーブオイルと醤油の組み合わせが、正統な和食とはまた違う独特な香味をもたらすと知ったのは、朝ごはんに目玉焼きを焼き始めてからのことだ。さらに思いつきで振った粗挽き胡椒の香りが洋食でもなく和食でもない無国籍の朝ごはんを作り上げている。トマトを一切れ食べ、茄子漬けをかじってピーマンの炒め物を頬張ったあと、また目玉焼き丼へ戻る。私はまた唸る。カリッと焼けた目玉焼きの端っこが嬉しい。オリーブオイルの香りがご飯の湯気に混じって立ち昇ってくる。トマトをもう一切れ食べると、そのオリーブオイルの香りがトマトと出会い、いかにも西洋のような雰囲気を一瞬感じさせる。地中海あたりで朝食を食べる人たちは、こういう風味を地元の味として愛するのかなあ、などと脈絡無い想像をする。
そんなこんなで、今日も朝食は終わる。1日おきの目玉焼きは栄養とともに、楽しみを私に供給してくれる。
あさってはどう焼こうか?楽しみは尽きない。私の目玉焼き道楽は、きっとこれからもまだまだ続く。
そう言えばやってなかったと思って、生まれて初めて食事シーンを書くことに挑戦した。冗長なのと言葉足らずなのとの間で延々反復横跳びを繰り返しやっと形になった。まだまだ改善したい部分あり。そのうち再挑戦する。