12-8
明け方、パドリックの看病をルモンに交代してもらい、ガブリエルは自分の部屋に戻った。
あれからメルグウェンの顔を見ていない。
あの時、あいつは何か不吉な影でも見たのだろうか?
長柄の鎌を持ったアンクーでも見たのか?
ガブリエルは服を脱ごうとしていた手を止め考えた。
こんな時に眠れる筈がない。
あいつも眠ってはいないだろう。
あいつが何にあんなに怯えたのか確かめに行こう。
メルグウェンの部屋の前に立ったガブリエルは扉を叩いた。
暫くしてもう一度叩いたが答えはなかった。
扉を開けようとすると、隣の部屋からアナが顔を出して、メルグウェンはパドリックの部屋に向かったことを告げた。
ガブリエルは足早にパドリックの部屋に戻った。
部屋の前で座りこんでいるルモンに気付いたガブリエルは、何をしているのかと尋ねようとしたが、ルモンは人差し指を口に当てガブリエルを黙らせた。
扉は僅かに開き光が漏れていた。
部屋の中からは誰かに話しかけている女の声が聞こえる。
ルモンはガブリエルに頷いて見せるとその場を後にした。
ガブリエルは壁に寄りかかると耳を澄ました。
初めはメルグウェンがジェノヴェファに話しているのかと思った。
「……ごめんなさい……自分のことしか考えていなかったの。もう二度と貴方の側を離れないことを誓うわ。貴方が騎士となるまでずっと一緒にいるわ。だから……お願い……目を覚まして頂戴……」
メルグウェンが泣きながら謝っているのは、パドリックだと分かったガブリエルは愕然とした。
悲痛な泣き声を聞きながら、ガブリエルはじっと考え込んでいた。
やがて立ち上がる気配がして、足音が近づいてくるのを耳にしたガブリエルは蝋燭を吹き消し、息を止めて壁にぴったりと張り付いた。
部屋を出たメルグウェンは、ガブリエルに気付かずに廊下を歩き去って行った。
足音が聞こえなくなるのを待って、ガブリエルは部屋に入った。
ベッドに近寄ると自分に良く似た子供の柔らかい髪に手をやった。
そしてパドリックの耳元に屈みこむと話し始めた。
「パドリック、メルグウェン姫があの時いなくなったのは、決しておまえの所為ではないぞ。あいつはおまえをとても愛している」
ガブリエルはパドリックの手を取った。
くったりとした小さな手。
叔父上、と元気なパドリックの声が聞こえる気がした。
ガブリエルはメルグウェンに任せきりで、もっとちゃんと面倒を見てやらなかったことを悔やんだ。
「あいつが城を逃げ出したのも、長い髪を切ったのも、全部俺の所為だ。俺があいつを悲しませたからだ。だが、おまえが死んだら、あいつは自分を責めるだろう。一生自分を許さないだろう。おまえが目を覚ましたら、俺はもう二度とあいつを悲しませないと約束する。だからお願いだ、目を開らいてくれ」
ガブリエルはパドリックの顔を見つめた。
こんなに痩せちまって、可哀想に。
悪戯っぽく輝いていた瞳は閉ざされ、バラ色だった頬はこけて青白く、まるで石像のようだ。
急にガブリエルは恐ろしくなった。
こいつがこのまま死んじまったら、あいつは気が狂ってしまうのではないか?
「俺達は皆おまえのことを大事に思っている。家族もこの城の住人もだ。おまえがいなくなったら皆が悲しむ。絶対に死んでは駄目だ。まだおまえは全然人生を楽しんでいないだろうが。治ったらあいつと一緒に船に乗って父上達に会いに行こう。だから早く目を覚ましてくれ!」
ぴくりとも動かないパドリックにガブリエルは段々腹が立ってきた。
ドンとベッドの足を蹴っ飛ばす。
「おい、パドリック! いい加減に目を覚ませ。おまえの所為で誰も仕事が手につかないだろうが!! さっさと起きなければ、おまえのために作らせた剣もおまえのために買ってやった子馬も他のガキにくれちまうぞ!!!」
「ガブリエル様、何をなさっているのです?!」
ルモンが驚いて飛んできた。
「病気の子に怒鳴るなんて」
ルモンが非難するように見ると、ガブリエルは肩を竦め大股に部屋を出て行った。
「本当に困ったお方だ」
力任せに閉じられた扉を見ながらルモンが呟いた。
「……僕の馬」
ベッドから聞こえてきた掠れた声にルモンは飛び上がった。