12-4
ガブリエルは馬に揺られながら思った。
もしパドリックのことさえなければ、この旅は楽しかったに違いない。
ここのところずっと城の仕事ばかりでくさくさしていたのだ。
潮風はまだ冷たかったが心地良かった。
「おい、少し駆けるぞ」
ガブリエルは後ろのルモンにそう叫ぶと馬の腹を蹴った。
できるだけ時間を稼ぐ為に、二人は夕方は足元が殆ど見えなくなるまで、そして朝は夜が明ける前から道を急いだ。
先週からの雨で道は少々泥濘んでいたが、危険という程ではなかった。
出発する前に見たパドリックの様子では、もうそう長くはもたない気がしたのだ。
どうしても8日以内に戻らなければならぬ。
ガブリエルは病気の子供と、その側に付き添っているだろう黒髪の娘に思いを馳せた。
あいつがパドリックの側にいなかったら、一週間も城を留守にすることは考えられなかっただろう。
信心深いとは決して言えないガブリエルだったが、今は神々に縋りたい気持ちだった。
どうか……
どうか、あの二人をお守りください。
俺達が戻るまで……
3日目の夕方、二人はガブリエルの叔父ルゲーンの城に着いた。
城主とその奥方は数年振りに会う甥を見て喜んだが、パドリックの話を聞いて顔を曇らせた。
広間で食事を取りながら、ガブリエルが魔女のことを尋ねるとルゲーンは言った。
「ああ、あの女はずっとあの家に住んでいる」
「それは良かった。明朝、さっそく会いに行ってきます」
「だが、魔女なんかよりも、アランダルスから連れてきた医師の方が良いのではないか?」
ルゲーンは1年前からアランダルスで医学を学んだ医師を城に住まわせていたのだ。
「あれが調合した薬で、持病の神経痛が大分良くなった。少しの間だったら貸してやるぞ」
「叔父上、とても有難いのですが、パドリックの病には魔女の力の方が効果があるような気がするのです」
「相変わらずおかしな奴だ。大人になっても変わらないな」
ルゲーンが呆れたように言った。
翌日、まだ暗いうちからガブリエルが広間に下りて行くと、暖炉の側に座っていた少女が立ち上がり嬉しそうに挨拶をした。
ガブリエルの従妹のコラリーズである。
「すぐにお食事を準備しますね」
長く重たそうな金髪の三つ編みを背中に垂らしたコラリーズの後姿を眺めながらガブリエルは思った。
俺が城にいた頃はまだ幼かったのに、女は成長が早いもんだ。
ガブリエルは食事をしながらメルグウェンのことを考えていた。
ずっと近くにいたから気付かなかったんだ。
あいつがもう子供ではないことを。
森でやっと見つけたとき、何故か以前よりもあいつを女らしく感じたのだ。
どうしてだろう?
髪は短くなってしまったというのに。
それに、とガブリエルはメルグウェンの潤んだ黒い瞳を思い浮かべた。
あいつは俺の前で涙を見せるようになった。
以前は意地を張って必死で我慢していた癖に。
ガブリエルは立ち上がると、自分の胸を押さえた。
最近何故か息苦しくなることが多い。
何なんだいったい?
パドリックの病がうつったのだろうか?
ガブリエルとルモンは城下町を出た。
領地から出る訳ではないので、二人共普段着に剣を帯びているだけで、鎖帷子は身に纏っていなかった。
朝靄の中、二人は畑沿いの道を馬で進んだ。
時折農家の近くを通ったが、人には会わなかった。
道の両脇には植物が生い茂るようになり、辺りは急に薄暗くなった。
ガブリエルとルモンは口を利かずに森の中を進んで行った。
やがて、農家のような造りの家の前でガブリエルは馬を止めて言った。
「ここだ」
青い粘板岩で葺かれた屋根はひしゃげており、分厚い石の壁には小さな窓がついていた。
煙突から一筋煙が流れ出ている。
馬を前庭に立っている木に繋ぐと、露に濡れた草を踏みしめて二人は家の方に向った。