12-2
海から吹き付ける冷たい風の中にも僅かな春の兆しを感じる頃になった。
日中、雲の隙間に青空を見かけることも稀ではなくなった。
今はまだ裸の枝を晒している木々も、そのうち一斉に芽が吹くことだろう。
ガブリエルは戸惑っていた。
ルモンに言われたようにしてみたのだ。
メルグウェンの着ている新しい服を褒めてみたのだ。
メルグウェンは初めきょとんとし、それから噴出した。
「何か私にして欲しいことがあるのでしょう?」
「いや、別に何もないが」
「この青い布はまだありますから、胴着を縫いますね」
「ああ」
どうやらメルグウェンは自分が同じ布で服を作って欲しがっていると勘違いしているようだと、ガブリエルは気付いたが何も言わなかった。
ルモンに話しかけられ、笑いながら答えているメルグウェンを眺めながらガブリエルは思った。
こいつは笑顔がいい。
見ている者の心を暖かくする笑顔だ。
二度と悲しい顔はさせたくないと思った。
俺は今までこいつをスクラエラの代わりと思ってきた。
妹として愛してきたのだ。
だが、女としても愛することはできるのだろうか?
メルグウェンは嬉しかった。
城に戻って来てから、ガブリエルを以前よりも身近に感じるようになっていた。
それに最近はあまり私のことをからかわない。
その代わりに何だか色々と聞かれるようになった。
あんなことを調べて何をするつもりなのかしら?
他の人にも聞いているのだろうか?
ある夕方、メルグウェンは広間にいたルモンに、最近ガブリエルに食べ物の好みや好きな鳥を聞かれたかと尋ねてみた。
「いいえ。何か新しいゲームですか?」
「さあ、あの男の考えていることはさっぱり分からない」
そう首を傾げたメルグウェンにルモンは言った。
「だったら貴方も聞かれてみたらどうです?」
あの男が北極星よりもアークツルスが好きかどうかなんて...
…知りたいような気もする。
つい最近、珍しく晴れた夜にメルグウェンが裏庭に立って星を眺めていると、側に来たガブリエルにそう聞かれたのだった。
赤い方が暖かそうで好きだとメルグウェンは答えたのだ。
「どうしてガブリエル様は、貴方の好みを知りたいのか」
だがそれらのことは全て一瞬のうちにメルグウェンの頭から消え去った。
翌朝まだ部屋にいるメルグウェンの所に、パドリックが熱を出してメルグウェンを求めていると侍女が呼びに来たのだ。
うつるかも知れないから、医師が診るまで側に行かない方が良いとアナが止めるのも聞かずに、メルグウェンは部屋を飛び出した。
パドリックは前の晩、珍しくお腹が空いてないと言って、夕食を食べずに寝に行ったのだった。
やっぱりあの時、何か暖かい物でも飲ませてやれば良かったとメルグウェンは悔やんだ。
パドリックは真っ赤な顔をして、熱に潤んだ目をしていたが、メルグウェンを見ると嬉しそうに笑った。
メルグウェンは、起き上がろうとしたパドリックを押し留めた。
「もう直ぐお医者さまが来られるから、それまで横になってなさい。何か欲しいものある?」
「喉渇いた」
メルグウェンが水を飲ませると、パドリックは大人しく横になった。
ぐったりとして息遣いが苦しそうだ。
メルグウェンは水に浸した布を絞ると、パドリックの焼けるように熱い額に乗せた。
召使に続いて入ってきた医師は背の低い太った男だった。
医師の服装と決まっている裏には白い毛皮がついた立派な赤い外套を着ている。
余程急かされたようで、額に流れる汗を拭きながらベッドに近寄った。
そして、せかせかとパドリックを診察すると言った。
「熱病ですね。熱が冷めるまで様子を見て、食事に注意してください」
医師は熱を冷ますと言われる冷たい食べ物を次々と並べ立てた。
メルグウェンは不服そうにその様子を見ていた。
この季節に瓜も胡瓜もサラダもある訳ない。
どうしろと言うのだろう?
帰ろうとする医師を捕まえてメルグウェンは尋ねた。
「それで、何を食べさせれば良いのですか?」
「私が今言ったことを聞いておられなかったのですか?」
「今はお医者さまの仰った野菜はありません」
「では冷ました鶏のスープをあげてください」
「お薬は?」
「熱が下がるまでは薬は飲まない方が良いです」
「その他に注意することはありますか?」
「ご容態が変化したら呼んでください」
そしてパドリックの部屋に薬草を燃すようにと言って、さっさと帰って行った。
とんでもない藪医者だわ。
召使に鶏のスープを作るよう頼んでから、メルグウェンはパドリックの側に戻ると、安心させるように微笑んだ。
「ゆっくり休んで早く良くなるのよ」