11-7
中庭の隅でダレルカは石の段に腰を下ろし、吐き気が治まるのを待っていた。
ルモンが手渡した水で濡らした布で顔を拭い、母親が背中を摩るのを煩そうにすると、騎士達を見上げて言った。
「城主様は勿論この張本人を厳しく罰してくださるでしょうね?」
ルモンとパバーンは顔を見合わせた。
「それは誰の仕業か分かったら、必要な処置は取られると思いますが」
二人はパドリックの悪戯ではないかと思っていたのだ。
ダレルカの母親も言った。
「娘はもう少しで気を失うところでしたのよ。私もまだ胸が苦しいですわ。是非とも厳密な調査をお願いしますわ」
漸く立ち上がれるようになったダレルカは、母親とパバーンに支えられて城の方にそろそろと歩き出した。
その足取りは不確かだったが、目は冷たい怒りに燃えていた。
丁度その時、ガブリエルが城から出て来た。
パバーンが場所を譲ると、ガブリエルはダレルカの腕を取って主塔の方に導いた。
広間の暖炉の近くにダレルカを座らせると、ガブリエルは頭を下げて言った。
「城の者がご無礼を働いたこと、深くお詫びします」
「それで張本人は?」
「決してこのようなことを繰り返さぬよう、きつく叱っておきました」
「私は死ぬほど恐い思いをしたのですよ。それでは満足できませんわ」
「どうしろと仰るのです」
「張本人に鞭打ち五回の刑をお願いします」
ダレルカはガブリエルの目を見ながら静かにそう答えた。
ルモンが何か言おうとするのをガブリエルは目で押し留め、扉の前に立っているメルグウェンの方を見た。
ダレルカもそちらを見る。
ガブリエルはダレルカに言った。
「貴方は誰がやったかご存知のようだ。何故だかお尋ねしてもいいですか?」
「はい。ここに証拠がございます」
ダレルカが差し出した皮羊紙を読んだガブリエルは、メルグウェンを呼んだ。
「こっちに来い。これはどういうことだ」
メルグウェンはガブリエルに近寄りながら答えた。
「書いてあるとおりです」
ダレルカが遮った。
「そんなことはどうでもいいでしょう?ガブリエル様、この無礼な娘を罰してくださいませ」
ガブリエルはメルグウェンを見つめたまま言った。
「説明しろ」
「相手が男なら決闘を申し込んでいるところです。私が烏なら、貴方は綺麗な皮を被った鼠だわ」
メルグウェンはダレルカを正面から見て言った。
ダレルカは聞こえなかったようにガブリエルの方を向き、その胸に擦り寄った。
そして上目遣いでガブリエルを見つめると甘えた声で言った。
「ガブリエル様、お願いしますわ」
寄り添った二人を見てメルグウェンは眉を顰め、踵を返しながら言った。
「刑罰が決まったら呼んでください。私は逃げたりしませんから」
扉の方に行きかけたメルグウェンは、ふと立ち止まり振り返るとガブリエルを見て言った。
「一つだけお願いがあります。城主様手ずから私に罰を与えてください」
メルグウェンは自分の部屋の窓辺に座り、風に髪を靡かせて海を眺めていた。
火照った頬に冷たい風が心地よい。
ガブリエルはダレルカの言うとおりにするのではないかと思われた。
だから、メルグウェンは広間を出る前に言わずにはいられなかったのだった。
もし、ガブリエルがダレルカの希望通り自分を鞭打ちの刑にするなら、ガブリエル自身が打てばいいのだ。
鞭打ちの刑は子供の頃、父親の城で見たことがあった。
盗みを働いたその男は上半身裸に剥かれ、厩の柱に抱きつくように縛られていた。
革で作られた鞭が宙を舞い鋭い音を立てて襲い掛かり、男が獣のような吼え声を上げる度に、乳母に手を取られた幼いメルグウェンは身を竦ませ、恐怖に満ちた目で罪人の背中に次々と紅い線が走り、血が滲んでくるのを見ていたのだった。
メルグウェンは身震いをすると、自分で自分の体を抱き締めた。
ある意味、それは一種の賭けでもあった。
ダレルカか、メルグウェンか?
メルグウェンは、もしガブリエルがそう決めたのなら、潔く罰を受けるつもりだった。
あの女の前で晒し者になるのは辛かったが、勝負に負けたのなら仕方がない。
そしてその後、誰にも言わずに城を抜け出し、エルギエーンの山奥に帰るつもりだった。
暴漢に攫われた私をもう父上も無理矢理結婚させようとはしないだろう。
メルグウェンは気を取り直すと数少ない自分の荷物を纏めた。
母上に頂いた首飾りと衣類が少しばかり。
ガブリエルにもらったものは、剣以外は全て残していく。
忘れるのに時間はかかるだろうが、わざと思い出すような物を持って行く必要はない。
もし無事に父親の城に着いたら、スクラエラの剣は自分の恋心と一緒に葬るつもりだった。
だが、男の格好をしていても、たった一人で父上の城まで帰り着けるのだろうか?
今までは私は幸運だった。
今回も何とか切り抜けられるだろう。
もし上手くいかなかったとしたらそれまでだ。
メルグウェンはそう決心すると、窓辺に戻り呼ばれるのを待った。