9-3
昼食に殆ど手をつけなかったメルグウェンの側に来たルモンが言った。
「私ももう一度港に行ってみます」
「気をつけてね」
「大丈夫ですよ。ガブリエル様のことだから、きっと元気で戻って来られますよ」
「そうね」
無理に微笑もうとするメルグウェンにもう一度大丈夫ですよと繰り返すと、ルモンは兵2人と共に嵐の中へ出て行った。
風が弱まった気配はないがそれ以上に雨が激しくなり、まるで空が落ちてくるようだと玄関から外を覗いた騎士が言った。
酒蔵が水浸しになっちまうなあと誰かがぼやいた。
2、3人が笑ったが、すぐに静かになってしまう。
皆口に出さずともガブリエルのことを心配しているのだ。
メルグウェンは寒いのも構わず、広間を出て玄関までの薄暗い廊下を行ったり来たりし始めた。
何かしていないと悪い方向にばかり考えてしまう。
頭の中を空っぽにし自分の足元に注意を向けひたすら歩く。
何度往復したか分からない。
急にガヤガヤと人の話し声や足音が近づいてきた時、メルグウェンは初めは錯覚かと思った。
扉が勢いよく開かれ濡れ鼠の男達が姿を現した。
その中に他の男よりも背の高い逞しい男を見つけたメルグウェンは、麻痺したように動けなかった。
ぼんやりと突っ立っているメルグウェンの前に来たガブリエルは愉快そうな顔をした。
濡れた髪が男の整った顔をより精悍に見せている。
「何だ。幽霊でも見たような顔をして」
メルグウェンは他の男達と快活に話しながら自分の部屋に上がっていくガブリエルの後姿を睨んだ。
人がこんなにも心配していたというのに、何でもないような顔して帰ってきて!
もう会えないかと思ったのに!!
メルグウェンは急に鼻がつんとして慌てて目をギュッと瞑って涙を止めようとした。
だが夜からの緊張が急に緩み、硬く閉じていた唇が震え嗚咽が漏れてしまう。
自分達を押し退ける勢いで階段を駆け上がり、顔を背けて自分の部屋に飛び込んだメルグウェンを見て、ガブリエルは目を丸くした。
「何だあれは?嵐の所為であいつは気が狂ったのか?」
一緒にいたルモンが言った。
「姫はガブリエル様のことをいたく心配なさっていたから」
「そうか?」
パバーンも笑いながら言った。
「そうですよ。私と一緒にガブリエル殿を迎えに行くと言われた時はギョッとしましたよ」
「あいつは冒険好きだからな。だが一緒に連れて来ないで正解だったぞ」
「まるで魚にでもなった気分でしたよ」
男達の笑い声を扉越しに聞きながら、メルグウェンは床にズルズルと崩れ落ちた。
膝がガクガクして立っていられなかった。
震える両手で自分の体を抱きながら蹲った。
よかった。
本当によかった。
頭にはその言葉しか浮かばなかった。
翌日は前の日の嵐が嘘だったようにからりと晴れた。
沼のようになっている裏庭の辺りや屋根のなくなった厩、水浸しの地下室等が嵐の被害を物語っていた。
しかし城や城下町の被害は大したことがなかったと言えるだろう。
港付近は他よりも嵐の影響を受けていたが、それでもガブリエルの適切な指示のお蔭で破損した船の数は少なかった。
死者、負傷者は今のところ報告されているのが、水に流された者が3名、木の下敷きになった者が1名で、過去の嵐と比べても多くはないようだ。
季節が冬だったのも幸いした。
農作物への被害は少なく、嵐の所為で飢饉に見舞われる可能性は殆どない。
その為、嵐が過ぎ去った後は皆元気に後始末に励んでいる。
城でも地下室の水を掻き出したり、屋根を修理したり大騒ぎだ。
そんな所へひょっこりと家来を従えたメリアデックが現れた。
こんな忙しい時にと騎士達は眉を顰めた者もいたが、ガブリエルは見舞いに来たと言うメリアデックを丁寧に迎えメルグウェンを呼びに行かせた。
台所の者が皆食糧貯蔵室の整理と水を掻き出す役目に駆り出されてしまったため、メルグウェンは料理長を助けてパン生地を捏ねている所だった。
「パンを釜に入れてしまうまで待ってもらってください」
メルグウェンは呼びに来た侍女に言った。
「姫様、そのようなことは私がやります。どうぞ早くお客様のもとへいらしてください」
メルグウェンは渋々パンから手を放すと、料理長のお礼の言葉に頷いて台所を出た。
部屋に戻るとメルグウェンは手を洗いそのまま客の待っている応接間に行こうとした。
せめてその粉だらけの服を着替えてからと言うアナにメルグウェンは答えた。
「皆が忙しくしているのに、私だけ着飾ってなんかいられないわ」
そしてパンパンと服を叩くと広間に降りていった。