9-2
長い長い時間が経ったような気がした。
外では更に風が強まり吹き荒れている。
戸の隙間から入ってくる風の音は、まるで獣の唸り声のようで恐ろしかった。
雨戸にバラバラと叩きつけるような雨の音が聞こえる。
もう夜が明ける時間の筈だがまだ外は真っ暗だった。
アナに声をかけられてメルグウェンはベンチの上で縮こまっていた体を伸ばした。
胡椒と肉桂の効いた暖かい葡萄酒の入った杯を受け取ると両手で持って啜る。
大きな暖炉には赤々と火が燃えているが、寒さで体が強張ったようだった。
それとも不安の所為だろうか?
メルグウェンの頭の中は一つのことでいっぱいだった。
どうか誰も怪我をしませんように。
皆ちゃんと戻って来ますように。
自分の祈りが無意識のうちに変化しているのにメルグウェンは気付いていなかった。
いつしかメルグウェンは一人の男のためだけに祈っていた。
どうか、どうかあの男が無事でありますように。
早く戻って来て。
お願い。
私は貴方のことが…
メルグウェンは居眠りから覚めたようにビクンとすると、真っ直ぐに座り直した。
今私は何を思っていたの?
まさか私はあの男のこと?
いや、そんなことある訳ない。
あの男がいなくなったら皆が困るのだもの。
メルグウェンは妙な思いを振り払うように頭を振った。
この嵐の所為で私はどうかしてしまったのだわ。
皆のことが心配なのに。
どうか皆無事に戻って来ますように。
メルグウェンの祈りが叶った様に騎士達は一人、また一人と城に戻ってきた。
ずぶ濡れで寒さで唇を紫色にしているが、それでもやるべきことをやり遂げた満足そうな顔をしている。
着替えた後、皆広間に集まったが報告すべき人がまだ戻って来ていない。
馬丁が駆け込んで来て、厩の屋根が吹き飛ばされたと告げた。
馬を安全な場所に移すため数人の騎士が一緒に出て行く。
途中でガブリエルと別れたというルモンが戻ってきた時、メルグウェンは我慢ができなくなった。
先程帰ってきたパバーンの側に行く。
「港の方に様子を見に行くことはできませんか?」
パバーンはメルグウェンの怯えたような様子に驚いた。
「ガブリエル殿はまだ戻っておられないのですか?」
「はい。もう随分経ちますし」
「分かりました。様子を見てきましょう」
「私も一緒に」
パバーンは呆れた顔をしてメルグウェンを見た。
「そんなことをしたらガブリエル殿に私が絞め殺されます」
「でも」
「姫はここで待っていてください」
暖炉の前で悴んだ手を温めているルモンと話した後、メルグウェンを安心させる様に力強く頷いたパバーンは数人の家来と共に広間を出て行った。
クエノン城の年若い城主は暖炉の前に座り物思いにふけっていた。
赤々と燃える火がその彫刻のように美しい顔を照らし出す。
時折煙突から風が雨と共に吹き込み、薪がパチパチと音を立てた。
外は嵐のようだが、海の近くのワルローズではこことは比べものにならないほど風が強いことだろう。
メルグウェン姫は無事だろうか?
この秋に初めてワルローズで会った時から、メリアデックはメルグウェンに強く惹かれていた。
この地方では珍しい黒髪黒目の美しい姫に。
メリアデックはその優れた容貌のお蔭で子供の頃から人々に、特に女性にちやほやされてきた。
女の媚びるような態度には馴れていたし、相手を傷つけずにかわす術も心得ていた。
しかしメルグウェンにはそのような態度は一切見られず、かといって無関心という訳でもなく自然で、メリアデックは好もしく思ったのだった。
姫はワルローズの新しい城主とは兄妹のように仲良さげだったし、騎士達にも大層慕われているように見えた。
狩の時に見た限りでは馬の扱いも慣れているようだったし、隼も彼女によく懐いていた。
音楽を少々たしなむと言っていたし、勿論刺繍や縫い物は聞いてみるまでもないだろう。
メリアデックは食事の時見たメルグウェンの小さな可愛らしい手を思い出した。
城主の奥方として申し分ないと思える。
嵐が過ぎ去ったら、様子を見にワルローズに行って見よう。
姫は自分を嫌っていないと思うが、今はまだ特別な感情は持っていないようだ。
これは頻繁に会って積極的に近づくしかない。
そして絶対に姫の心を捉えてみせるとメリアデックは決心した。