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寒い冬の朝、ワルローズ城の塔に登り目の前に広がる海を見つめる男がいた。
激しく吹き付ける風に外套の裾をなびかせ、目を細めじっと立っている。
細かい霧雨を含んだ風がその栗色の髪を乱す。
その男、ガブリエルはどうすべきか悩んでいた。
ジョスリンの話によると、秋の初め頃にエルギエーンのある地主が王に告訴状を出したらしい。
結婚の決まった自分の娘が数週間前に行方不明となった。
数名の暴漢に攫われたと証言する目撃者が現れたため、直ちに山狩りを命じたが、既に彼等は領地を離れた疑いが高く手がかりを掴むことができなかった。
嫁入り前の貴族の娘を城から攫うような真似が許されてはならない。
彼等が捕らわれぬ限り、他でも同じことが繰り返される可能性が懸念される。
その為、王に娘をかどわかした犯人を捕らえ裁くことを懇願するというような文面だったそうだ。
王は軍を動かすことまではしなかったが、告訴状に基づいた犯人の人相書きをエルギエーンの近隣地方に配り、その首に2千ゾルの賞金をかけた。
それに依頼者の地主が2千ゾルを足したので、犯人を捕らえた者は4千ゾルの賞金がもらえることになっている。
秋からずっとそれらの地方では、賞金を目当てに若い者達が山や森を駆け回り犯人を探しているらしい。
ジョスリンが言うには、その人相書きはガブリエルや騎士達とは似ても似つかぬそうで、その面では余り心配することはなさそうだ。
万が一、メルグウェンがワルローズにいることがばれたとしても、自分達が暴漢から救い出したとでも言い訳はできる筈だ。
だがその場合、メルグウェンは家に連れ戻されてしまうだろう。
都に住むキリルの知人の画家が偶々犯人の似顔絵を描くことを依頼され、こんなことがあったとキリルの城に来た時に話したらしい。
ジョスリンはその話を聞き、ガブリエルがバザーンから連れ帰った娘のことではないかと心配し、ワルローズを見に行く良い機会だと訪ねてきた訳だ。
どうする?
結婚させるか?
ガブリエルはルモンのことを考えた。
あいつはルモンとだったら幸せになれるだろう。
それにルモンだったらメルグウェンがもう少し大人になるまで待ってくれるような気がした。
だがルモンはまだ騎士の称号を授与されていない。
或いはメリアデックか?
メリアデックは若いが既に城主だ。
ガブリエルはメリアデックに好意を持っていたが、メルグウェンを任せるのは迷いがあった。
あの男は真面目すぎて融通のきかない所がある。
貴族の娘らしくないあいつを受け入れることができるのだろうか?
今更こんなことを思っても仕方がないが、あいつを家に戻そうとしたのは失敗だったな。
ガブリエルは溜息をつくと頭を振り、階段の方に歩き出した。
もし追っ手がここを嗅ぎつけた時には直ぐに結婚できる様に準備を整えておこう。
自分の尻は自分で拭うしかない。
その時は俺が責任を持ってあいつを貰ってやろう。
冬の夜は長い。
そして昼間も薄暗い日が多かった。
だがメルグウェンはどんな寒い日でも、朝起きると雨戸を開け海を眺めた。
曇った空の下、海は緑がかった灰色で波は高かった。
霧が深く何も見えない日もあった。
それでもメルグウェンは耳を澄ますと波の音が聞こえる気がして安心するのだった。
どんな海でも好きだと思っていたメルグウェンだったが、ある夜雨戸に吹き付ける風の音で目を覚ました。
外で慌しい物音がして、メルグウェンは慌てて服を来て部屋を飛び出した。
バザーンの嫌な思い出が蘇る。
震えながら広間に下りると既に騎士達は皆起きていて、ガブリエルが地図をテーブルに広げ何か説明しているところだった。
メルグウェンが入って行くと、ガブリエルは一瞬顔を上げたが、すぐにまた地図の上に屈みこんだ。
メルグウェンは腕に抱えてきた外套に包まるとベンチの隅に腰を下ろし、皆の様子を見ていた。
ガブリエルが指示を出し、騎士達は次々と外套を羽織り松明を手にして出て行った。
最後にルモンと兵2名と一緒にガブリエルは広間を出て行こうとし、縋りつくように自分を見つめているメルグウェンに気付いた。
ルモン達を先に行かせると、メルグウェンの側に戻ってきたガブリエルは言った。
「嵐が来た。港の方の様子を見て来る」
不安そうに大きな目を見開いて見上げるメルグウェンにガブリエルは笑って言った。
「すぐに戻ってくるから泣くなよ」
そしてメルグウェンの頭に手を乗せ、子供にするように優しく髪を撫でた。
メルグウェンは動かずにずっとガブリエルが出て行った扉を見つめていた。
この部屋の空気はとても冷たいのに何故私は顔が熱いのだろう?
熱でもあるのかしら?
メルグウェンは嵐の中に出て行った男達を思った。
どうか皆が無事で帰ってきますように。