6-5
数日後、4人の男とメルグウェンは南に向けて城を発った。
半年以上一緒に暮らしてきた人々に別れを告げるのは辛かった。
特にアナはメルグウェンに縋りつき、もう一度自分の姫を失うようだと嘆いた。
カドーとマロは海辺の道を半日程一行について来た。
いつもは一生懸命背伸びしている二人が別れを惜しんで泣くのを見て、メルグウェンも涙を浮かべた。
「ちゃんと勉強して稽古して早く一人前の騎士になるのよ」
「はい、姫もお幸せに」
「お元気で」
馬に揺られながらメルグウェンは海に別れを告げた。
潮の匂いを胸いっぱいに吸い込み打ち寄せる波を見つめる。
そんなに頻繁に来ることはなかったが、メルグウェンは海が好きだった。
上質の布の様に滑らかで透けるような青緑の海も、白い飛沫を立て波が踊る深い青の海も、強い北風の中荒れ狂う鉛色の海さえも。
もう二度とこの景色を見ることはないだろう。
家族の元に戻ることを決心した筈なのに、メルグウェンの心は揺らいだ。
後悔する思いを振り払うようにメルグウェンは頭を振ると自分の前に伸びる道を見つめた。
道中が安全ではないため男達は武装し、メルグウェンは修道女の格好をしていた。
メルグウェンの故郷まで馬で2週間程かかる見込みだった。
ガブリエルは海辺の道を離れたら東に向って進み、首都から南部に下る道を使うつもりだった。
国で唯一石畳で舗装された道である。
その道を行く旅人は多い。
そのため旅人を襲う犯罪も多かった。
王族や金持ちの貴族がこの道を行く時には、護衛の兵が前を行き怪しい者は全て排除するため問題ないが、一般人の場合はそうはいかない。
しかし武装した騎士達を見て盗賊達も恐れをなしたのか、さして危険な目に遭うこともなく一行は順調にエルギエーン地方に向って馬を進めていた。
季節は夏であり、しかも夜は道沿いにある宿屋に泊まれたため、バザーンの時と比べて遥かに楽な旅であった。
道は幅があるため、一行はメルグウェンを真ん中に前後左右を固め守る形を取っていた。
メルグウェンは最後の旅を楽しむことにした。
辺りの景色は農地の多かった平地から、緩やかに起伏する丘に変わった。
時折遠くに牛や羊が草を食んでいるのが見える。
道の両脇に植えてある木々の間を通る時には爽やかな風が吹き渡り、日向では蜂や蝿が羽音を立てて通り過ぎ、蝶が一行の周りを舞うのであった。
メルグウェンはルモンが隣にいる時には、おしゃべりをしたり一緒に歌いながら馬を進めた。
南に近づくにつれ段々と日中は日差しが強くなり、鎖帷子を着ている騎士達にとっては苦痛になりつつあった。
そのため、ガブリエルは旅のリズムを変更し、朝は日の出前に出発し昼食の後休憩して日が傾き始める夕方からあたりが暗くなるまで進むことにした。
そしてとうとうある日の夕方、一行はダネールの城下町に着いた。
ガブリエルは町の門から少し離れた林で馬を止めさせた。
メルグウェンは馬から下りると、別れを告げるため騎士達に近づいた。
「パバーン殿、礼を言います。お元気で」
パバーンはメルグウェンの差し伸べた手を握って言った。
「姫の上に神々のお恵みがありますように」
メルグウェンは次にイアンの手を取って言った。
「イアン、有難う」
「メルグウェン様もお達者で」
ルモンにも手を差し出そうとしたメルグウェンだったが、青い瞳に涙が浮かんでるのを見ると我慢できずその腕に飛び込む。
びっくりしたルモンだったが、ぎこちない手でメルグウェンの頭を撫でた。
「ルモン、今まで本当に有難う。貴方のことは絶対に忘れない」
「私も姫のことは忘れません」
最後にメルグウェンはガブリエルの前に行った。
腰を屈めて丁寧な礼をする。
「今までお世話になりました」
「何だ、俺には握手も抱擁もなしかよ。まあいいが」
メルグウェンの挨拶を笑ったガブリエルであったが、ふと真顔になって言った。
「もしおまえの家族がおまえを受け入れないようなことがあったら、遠慮せずに俺の城に戻って来い。
この町を出る前に明日の夕方の同じ時刻にここで待っているから」
その言葉にメルグウェンは泣き出しそうになり、無理矢理微笑みを顔に浮かべた。
「有難う。それからこれをお返しします。城に持って帰ったら取り上げられますので」
そう言って腰に下げていた剣をガブリエルに差し出した。
メルグウェンにとって剣を手放すことはとても辛かった。
一行は歩いて町に向うメルグウェンを見送った。
メルグウェンは一度だけ振り返り手を上げると、真っ直ぐ前を見て門に向って歩いていった。