3-6
雇い主は一目でそうと分かる格好をしていた。
農夫か何かに扮装しているのだろうけど、重たそうな外套や帽子はともかく真新しい靴が不自然だし、第一農夫は革靴など履かないだろう。
この町まで一緒に来た筈の護衛の姿は見えなかった。
男はガブリエル達が聖堂に入るとすぐに近寄ってきた。
目鼻の丸い、ずんぐりとした中年の男である。
ガブリエルが頭を軽く下げると、その男は前もって決めていた合言葉を囁いた。
「眠っている狐の口には何も落ちてこない」
ガブリエルも答える。
「時間を有効に使わぬ者は非難を浴びるだろう」
明らかにホッとした顔をして男が言った。
「私のことはエスチエと呼んでください」
「私はガブリエル・キリルです。それでは、エスチエ殿、行きますか?」
「馬は聖堂の裏庭に繋いであります。道中よろしく頼みます」
一行はまだ人通りの少ない道を進み、町を出て森に向かった。
道が狭いので、一番にガブリエル、その後にエスチエが続き、ルモン、カドーの順に馬を進めた。
ブレシリアンの森の中はとても静かで、時折パラパラと木の枝から落ちてくる雫の音以外は何も聞こえない。
地面は濡れた木の葉で敷き詰められ、蹄の音もしなかった。
熊は冬眠しているだろうが、狼には出くわす可能性があるので、注意を怠れない。
盗賊のことは心配していなかった。
誰がこんな湿っぽい冬の日にいつ通るかも分からない旅人を待ち伏せているだろう?
その日はかなりの速度で森の中を進み、翌日の昼前には森を出られる予定だった。
辺りが薄暗くなり、そろそろ野宿する場所を決めなくてはと思っている時にそれは起こった。
初めに馬が異変に気付いた。
急に立ち止まると耳をピンと立て辺りを伺うと不安そうに鼻を鳴らし、踵を返そうとする。
「ルモン、後ろを向いて剣を抜け」
ガブリエルは手綱を片手に巻きつけると自分も剣を抜く。
エスチエとカドーを間に挟み込むようにして、ガブリエルとルモンは剣を構えた。
エスチエも外套の下に隠し持っていた剣を抜き、カドーも青い顔をしながら槍を構えている。
木々の間にギラギラと光る目が見え隠れし始めた。
狼だ。
腹を空かせた狼が馬の匂いを嗅ぎ付けて集まってきたのだ。
狼の遠吠えがあたりに響きわたり、カドーの喉がヒュッと言う様な音を出す。
ガブリエルは馬の首に顔を寄せ、落ち着かせるために話しかけた。
十四、五匹いると思われる狼はじわじわと近づいて来る。
群れの中に際立って大きな狼が一匹いた。
かなり歳を取っているようで、額と顎の回りの毛が長く白い。
「奴が頭だ」
ガブリエルがそう言った時、若い狼が頭の合図を待たずにルモンに飛び掛ってきた。
驚いた馬が嘶き後足で立ち上がるが、ルモンは振り落とされずに剣を振るい野獣を傷つけた。
血塗れになって崩れ落ちる仲間を見て怯む狼達。
「今だ」
ガブリエルは自分から頭の狼に突っかかって行く。
狼は年寄りとは思えない敏捷さで飛び上がり、剣をかわすと着地した。
間を空けずに切りつけるガブリエルを横から他の狼が襲ってきた。
まずい、馬が暴れると思った時、その隙を見逃さなかった頭の狼が正面から飛び掛ってくる。
脇の狼を切り捨て、咄嗟に体を立て直したガブリエルは、剣を槍の様に持つと跳躍した狼の胸に的を定めて投げつけようとした。
その瞬間、時が止まったように見えた。
森の中に角笛の音が響き渡った。
腹の底に轟く様なその音は何度も何度も繰り返し鳴り響き、尾を引くようにして消えた。
狼達は攻撃を止め、耳を伏せると後ずさりし一匹、また一匹と走り去って行く。
頭の狼はまだ剣を構えたままのガブリエルと暫くの間睨み合っていた。
しかしガブリエルが僅かに剣を下げると、ブルブルと身震いをして他の狼の後に続いて去って行った。
後に取り残された人間達はしばしぼんやりしていた。
角笛を吹き鳴らした人が現れるかと思ったが、いつまで経っても誰も来ない。
「何が何やらさっぱり分からん」
「あれは誰だったのでしょう?」
「誰か知らんが、俺達は助けてもらった訳だ」
辺りはすっかり暗くなっている。
殆ど手探りで岩に囲われた洞穴を見つけた。
ルモンが油紙に包んで持ってきた火付け石で松明に火を灯し、洞穴に何も住んでいないか確認する。
幸いなことに洞穴は大人が4人楽に座れる大きさだった。
洞穴の前に焚き火を焚き、宿で準備してもらった弁当を食べた。
ルモンは怖がるカドーに松明を渡して狼の死骸を取りに行かせ、毛皮を剥ぐように命じた。
これは町で売れば結構な値がつく。
座って燃える火を見つめていたガブリエルが、ルモンに笛を出すように言った。
「人間だか妖精だか知らんけど、礼に一曲歌ってやれ」
ガブリエルが笛を吹くと、ルモンが歌い出す。
エスチエは目を閉じて聞き入っている。
それは、吟遊詩人が好んで歌う魔術師ミルディンの唄だった。