3-1
2年前の冬。
ドドッ、ドドッ、ドドッ…
冬の朝の冷たく湿った空気の中、落ち葉の敷かれた狭い林の道を馬で駆け抜ける男がいた。
馬の背に身を伏せてただまっしぐらに馬を走らせる。
林を抜け、今は干からびた草しか生えていない畑の間を通って行く。
やがて畑も途切れ、馬は速度を緩めないまま丘へ駆け上がった。
しかし、前方に海が見え始めると男は手綱を引き、並足で小道を進んだ。
丘の頂上近くに馬を止めた男はまだ若かった。
端正な顔の口元にはまだ幾らかあどけなさが残っていたが、大柄で逞しい体つきは既に大人の男のものだった。
体にぴったりとあった鼠色の胴着を着て、腰には剣を帯びている。
海から吹き付ける身を切るような風にもビクともせず、どこまでが空でどこからが海かはっきりしない水平線をじっと見つめている。
冬の海は鉛色で波が高く、うねり狂うような水面は眩暈を引き起こしそうだ。
馬が身震いをして嘶いた。
波の音に混じって蹄の音が聞こえ、海を見ていた男は眉を顰めチッと舌打ちすると、自分が来た方向を振り返った。
馬に乗った男が二人近づいて来た。
一人は男と同じ年恰好、一人はまだ少年だ。
二人共顔を火照らせ息苦しそうだ。
「ガブリエル殿、今日はご報告の日です。逃げ出すことはできませんぞ」
「せめて一言私に声をかけてからお出かけください」
同時に声をかけてくる二人を鬱陶しそうに見ながらガブリエルは答えた。
「逃げ出してなどいない。海を見に来ただけだ」
それだけ言うと馬の首を返し、さっさと元来た道を戻り始める。
二人は慌てて後を追いかけた。
その日の午後早く、ギドゴアール地方きっての名家キリル家の城に、家来二人を伴い馬を乗りつけた若者がいる。
それは、ダネールの城はともかく、ザルビエルの城も足元に及ばぬ壮大な城だった。
果てしなく続くと思われる城壁には東と西に正門と裏門があった。
建物全体の屋根と高く聳える数多くの塔の屋根は鉛の板で葺かれている。
建物の窓には珍しい色のガラスがはめ込まれている。
レースの様に細かく石を刻んだ立派な聖堂もある。
跳ね橋を通り正門を潜ると若者は、目深に被っていたくすんだ青の外套のフードを脱いだ。
その首筋あたりで切られた髪は栗色で、目は青みがかった灰色だ。
朝早く海を見に行っていたガブリエルである。
ガブリエルを中庭に出迎えた男は、城主キリルの長男ジョスリンだ。
こちらは流行りの形の緋色の帽子を被り、薄茶色で内側が緋色の外套を着ている。
ガブリエルより頭一つ程背が低いが、良く似た整った顔立ちをしている。
ガブリエルが馬を下りると、近づいてきたジョスリンが肩を抱いた。
「元気か、ガビック?」
抱擁を返したガブリエルが言う。
「ああ。兄上は元気そうだな」
「相変わらずさ。チビは日々悪知恵が発達してくるようだし、赤ん坊は泣き喚くし、忍耐力が求められる毎日だ」
「ハハッ…パドリック殿は俺に似ているからな。アゼノール様はお元気か?」
アゼノールはジョスリンの妻である。
「ああ、後で顔を出すと言ってた。おまえに冬物を縫ったそうだ」
「それは有難い」
「ほら、行こう。父上が待ちかねている」
二人は話しながら城主の寝室や居間がある主塔に入って行った。