15-11
セズニは、ネヴェンテルの野営地からさほど離れていないと思われる丘の上で馬を止めた。
そしてドグメールを傍に呼ぶと言った。
「俺は荷物とここで待っているから、兵を連れて偵察に行ってくれないか?」
しかし、セズニの近くにいたメルグウェンが口を挟んだ。
「偵察にはセズニ殿が行って頂戴。そして、私も一緒に行くわ」
セズニは顔を顰めた。
「危険な真似はしないって約束したじゃないですか」
「危険じゃないわよ。様子を見に行くだけでしょう?」
「ネヴェンの兵に貴方の身元がばれたら」
「ばれっこないわよ。お願い、一緒に連れて行って」
セズニは途方に暮れたようにドグメールを見た。
ドグメールはそしらぬ顔をして遠くの山を眺めている。
セズニは大袈裟な溜息を吐くと言った。
「分かりました。だけどガブリエル殿に知られたら私の命が危うくなるようなことは、しないでくださいよ」
ドグメールと兵達に金を守ることを頼み、セズニはメルグウェン、ダネールの兵二人とワルローズから一緒に来たギー、それから道案内の宿屋の息子と共に山道を進み始めた。
やがて先頭に歩いていた道案内のアルバンが、指を唇に当てて皆を振り返った。
「直ぐそこの筈ですよ。おかしいですね、静か過ぎる」
セズニは辺りを見回した。
「どうやら逃げられたようだな」
つい先程まで大勢の兵がいた形跡がそこら中にあったが、人の影は見えなかった。
メルグウェンは焚き火の跡に手を翳した。
「まだ温かいわ。行きましょう!! そんなに遠くには行っていない筈よ」
「ちょっと待ってください。我々が金を持って来ると思っているのに何故逃げるのでしょう?」
傍にいた兵が積んである藁の束を槍で崩しながら不安そうに聞いた。
「罠でしょうか?」
「もう少し探らせてくれ。何か手掛かりが掴めるかも知れない」
セズニは頭を振って、城主のテントが張ってあったであろう空き地の中心に向かって歩き出した。
平静を装っていたが、胸は不安で一杯だった。
身代金を待たずに捕虜を捕らえていた敵が逃亡する。
胸騒ぎがする。
捕虜はどうなったのだ?
その後を小走りに追いかけていたメルグウェンが、急に息を呑んで立ち止まった。
「どうしたのです?」
びっくりして振り向いたセズニに、黙ってあるものを指差した。
彼らの立っている場所から右手に見える葉の散った楢の下に、何者かが横たわっているのが見えた。
二人は恐る恐るその木に近付いた。
それは武具を着けた騎士のようだった。
そして木に立てかけてある盾にはよく知っている紋章があった。
左半分にはキリル家の紋章であるアーミン地に帆船と麦束と赤のレイブルが、右半分にはワルローズの紋章の青地に黒い海豚が描かれている。
眠っているのだろうか?
それとも……?
恐ろしい考えが頭を過ぎりメルグウェンは蒼白となった。
セズニが手を広げ止めようとしたが、それを振り切って走り出す。
「ガブリエル!!!」
メルグウェンは大声で叫ぶと許婚の体に取り縋った。
「森を封じるのは少しばかり待ってくれ。あいつらを取り戻してくる!!!」
ガブリエルはそう叫ぶと、引き揚げて行く敵の後を追った。
あんな小さな生き物を慰み者にしたり、奴隷にしたりする奴らを許す訳にはいかぬ。
胸にメラメラと怒りが燃え上がる。
ガブリエルは歯を食い縛り全速力で走った。
迂回して木の陰に隠れ、動悸を治めながら敵を待つガブリエルは、先程長老が言ったことを思い出していた。
―――― 兄弟、親子で殺し合う人間とは、残酷で愚かな生き物だのう。
確かにそうだ。
他種族しか襲わぬウンゲルミールの奴らにも劣る。
だが、それが私益の為ではなく、自分の保護下にある者、家族や愛する者を守る為であれば、少しは俺達の罪も減少されるのではないか?
やがて縄で繋がれた妖精達を引き立てていく敵が木々の後ろに現れた。
全員を救うことは無理かも知れぬ。
ガブリエルは敵の人数を数えると、剣を抜き払い列の前に躍り出た。
そのような攻撃を受けるとは夢にも思っていなかったのだろう。
敵は一瞬戸惑ったようだったが、相手が一人だと分かると、猛然と立ち向かって来た。
ぶつかり合う剣の音と共に醜悪な生き物達の唸り声や叫び声が辺りに轟いた。
どす黒い血が飛び散り、敵の体から剣を引き抜いたガブリエルは、一瞬の隙に奴隷達を繋いでいた綱を切ると叫んだ。
「逃げろ!! 逃げろ!!! 森に向かって走れ!!!!」
逃げる妖精達の何匹かは後ろから斬り付けられ倒れたが、残りの者は転がるように森に向かって駆け出した。
物音を聞いて先に進んでいた敵が走って戻って来るのを見たガブリエルは、目の前の相手に最後の一撃を与えると妖精の子供を3匹程、脇に抱えて走り出した。
やっと森の境界線が見えてきた。
「早く、早く!!!」
既に森に行き着いた者達と女王と一緒にいた者達が口々に叫んでいる。
だが後ろには新たな敵が迫っている。
妖精達が放つ矢も攻撃を妨げることはできない。
「姉上、今だ!!!!!」
ガブリエルは腕に抱えていた子供達を妖精達の方に放り投げた。
そして、すぐさま振り向くと、剣を構え敵を待ち受けた。
次の瞬間、眩いばかりの黄緑の光が辺りを包み、ガブリエルは目を閉じた。
だが急に目の前が真っ暗になり、慌てて目を開く。
…………………………………………………………………
……………………辺りはまったくの暗闇だった。
敵はどこだ?
奴らも何も見えぬのか?
地面に蹲って様子を窺うが、何の音もしない。
直ぐそこまで迫っていた敵は消え失せてしまったようだ。
「姉上! 妖精共!!」
小声で呼ぶが、誰も答えない。
「誰もいないのか?」
妖精達の力になってやりたいと思った。
捕虜になった妖精達を助けに行くか?
この世界に残って女王の騎士として戦うか?
……だが、俺には人間の世界で守るべき人々がいるのではないか?
……………………………海の都ワルローズ。
そうだ、俺の大切な場所だ。
そして、俺がそこで大事にしていたのは…………
あれは一体誰だったのだろうか?
…………………………………………
…………………………………………………………………………………………………………
「……………ガブリエル!!!」
この声はよく知っている。
優しい懐かしい声。
ガブリエルは胸の中が温かくなった。
だが、誰だったのか思い出せない。
母上か、アナか?
…………それとも、スクラエラだろうか?