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キリルの執事のユリオは、物珍しげに図書室の壁に掛かったタペストリーを眺めていた。
それはエルギエーン地方に伝わる英雄の生涯を描いたもので、手の込んだ美しいものだった。
山奥の貴族にしては金を持っておられるようだ。
地税の利益か、それとも鉱山でも持っておられるのだろうか?
キリルの為に難しい交渉をしたことは何度もある。
だが、娘のメルグウェン姫から聞いたところでは、ダネール殿は大層頑固で融通の利かないお方のようだ。
話は慎重に進めた方が良さそうだ。
やがて図書室の扉が開かれ、幾許か白髪の混じった黒髪の小柄な男が入って来た。
ユリオは男に近づき丁寧な挨拶をする。
ダネールは暫く鋭い目でユリオを見つめると、やっと厳しい口元を緩めた。
「ギドゴアールから遥々訪ねて来られたそうだな。長旅さぞお疲れでしょう。どうぞお掛けください」
そして傍に控えていた家来に飲み物を持って来るように命じた。
「それで、娘の消息を伝えに来てくださったそうだが」
ダネールは表情を変えずに尋ねた。
「はい。メルグウェン様はお達者で、ギドゴアールのワルローズ城で暮らしておられます」
「それは確かに私の娘に違いないのか?」
「背は中位。ほっそりとした黒髪黒目の美しい姫です。ラウドをお上手に演奏されます。それから、剣術に長けておられると聞きました」
「間違いない。メルグウェンだ」
ダネールの声が震えていることに気付いたユリオは、これは是非ともメルグウェン様にお伝えしなければと思った。
キリルと共にメルグウェンの話を聞いたユリオは、ダネールが娘を愛していないと思い込んでいた。
だが、これは父親の顔だ。
目を片手で隠し暫く黙っていたダネールは、落ち着きを取り戻すと口を開いた。
「娘は囚われの身なのか?」
「姫はある約束に縛られてはおりますが、牢に繋がれている訳ではございません」
「身代金は?」
「姫がご結婚なさったらお与えになるつもりだった金額では如何でしょうか?」
「それを支払ったら娘を返してもらえるのか?」
「メルグウェン様をどうなさるおつもりですか?」
ダネールは溜息をついた。
「無一文で穢れた娘を嫁に欲しいと言う者はいないだろう。私の城で養っていくつもりだ」
「それでも構わないから妻に迎えたいと望む者が現れたら?」
「身分の低い者なら、妻にと望む者もあるかも知れん。あれは母親に似て見目形が良いからな」
ユリオは頷くと、話を変えワルローズの美点を次々と並べ始めた。
「姫が暮らしておられるワルローズは、ギドゴアール地方北部にある海に面した豊かな港町です。領地には面積数百ボワスレの麦畑や葡萄畑があり……」
ダネールは黙って聞いている。
「現城主は、ギドゴアールきっての名門キリル家当主の次男のガブリエル様。まだお若いですが、ジュディカエル王も彼の才能を認めておられます。奥方は……」
ダネールはユリオを遮った。
「その男が娘を捕らえているのか?」
「捕らえているとは人聞きの悪い。ガブリエル様は戦に巻き込まれた姫を救い出され、ご自分の城に連れ帰られて介抱されたのです」
「娘を攫った暴漢達はどうなったのか?」
「戦のことですから、はっきりとは分かりませんが、殺されてしまったのではないでしょうか?」
「それで娘を助けた代わりに金をと言うのか?」
「ガブリエル様は金が欲しいとは仰っておりません」
「では何だ?」
ユリオは手紙を差し出した。
「どうぞキリル様の手紙をお読みください」
手紙に目を通したダネールは顔を上げた。
「よく分からない。先程その城主には妻がいると言ったのではなかったか?」
「いいえ。メルグウェン様をとても大切に想っておられ、奥方に迎えたいと」
ダネールは考え込んだ。
ここぞとばかりキリルの忠実な家来は、話し続けた。
「王も認めておられるこのご結婚。ここは、どうかダネール様もお許し頂けませんでしょうか? キリル家と縁続きになるのは、貴方にとっても悪い話ではない筈です」
王の手紙を読んだダネールは諦めたような顔をした。
「王が承認されたとなれば仕方がない。だが筋を通してもらわねばならぬ」
「それはどのようなことでございましょう?」
「娘をいったん返してもらいたい。我々の手で全てを整え、ここから輿入れさせる」
ユリオは、これは困ったことになったと思った。
ガブリエルは絶対にメルグウェンを離さないだろう。
メルグウェンの父親が許さないなら、略奪婚ととってもらっても構わないと言われているのだ。
だが、どんなに説得してもダネールは頑として聞き入れようとせず、ユリオはすごすごと引き下がるしかなかった。
数週間後、キリルの城から来た手紙を読んだガブリエルは、眉を顰め唸り声を上げた。
あいつの父親のことだから、一筋縄じゃ行かぬだろうと思っていたが。
メルグウェンを返したらどうなるのか?
本当に俺との結婚を許してくれるのか?
返してから、約束を取り消したいなどと言われたら?
今度はもう脱出することは無理だろう。
返してはなるものか。
だがあいつはこのことを知ったらどう思うのだろうか?
貴族の娘らしく親が仕度を整えてやると言っているのを、俺が拒否したと知ったら?
あいつも本当は親に認めてもらいたい筈だ。
ガブリエルは溜息をついた。
あいつに決めさせよう。
だが、もし家に戻ることを決めたなら、俺が送っていく。
やがてメルグウェンを探しに部屋を出たガブリエルは、そう決心していた。