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それから何週間か、ガブリエルにとって忙しい日が続いた。
城には眠るためだけに帰り、昼間は殆ど野外で麦の刈り入れを見回って過ごす。
領地には小麦や大麦、カラス麦の畑があったが、パンが主食となる生活で特に小麦は重要な作物だった。
刈り取られた麦は、その場で直ぐに脱穀される。
仕事はそれでおしまいではなかった。
農民達は乾燥させた藁を集め束にする。
藁は家の屋根を葺くのに使われるし、厩や鳥小屋に敷かれ、人々の寝床にもなった。
また干草の足りない冬には家畜の食料にもなったし、薪の代わりに燃料にもなった。
収穫の終わった畑は、それから耕され、秋には次の年の麦が蒔かれるのだ。
農民達にとって、夏から秋にかけてのこの季節は一年中で一番忙しかった。
明け方から日が暮れるまで毎日働く。
メルグウェンはパドリックと一緒に、昼には弁当をガブリエルと騎士達に届けた。
農民達は好奇心に満ちた目でメルグウェンを迎えた。
噂は既に町だけではなく村にも届いていると思われ、特に女達は城主様の許婚に興味を持っているようだった。
皆に挨拶をして籠をガブリエルに渡した後、メルグウェンは居心地悪そうに立っている。
女達の話し声が耳に入ってきた。
「可愛らしいお姫様じゃないか」
「あんなに細っこくて果たして丈夫な赤ん坊が産めるのか?」
「関係ないよ。赤ん坊と一緒に女の体も育つんだ」
「そうだよ。あのケルラン村のリザだって若い頃にゃほっそりしてたんだぞ」
「早く立派な跡継ぎをこさえてもらわなけりゃな」
「そりゃ、城主様に頑張ってもらわねば」
「城主様だったら瞬く間に奥方を身二つになさるだろ」
「直ぐにでも頑張りたいのは山々だが……」
女達の話を聞いたガブリエルが横目でメルグウェンを見ながら言った。
メルグウェンは眉を顰めるとそっぽを向いた。
「婚礼が済むまでお預けだそうだ」
ガブリエルの一言に皆が笑い声を立て、メルグウェンは真っ赤になった。
麦畑の収穫がやっと終わると、今度は葡萄畑だ。
木陰で休憩していた者達からワッと歓声が上がった。
ガブリエルは馬を下りると、後に続いた荷馬車から家来に大きな樽を降ろさせた。
樽の中身は葡萄酒だ。
葡萄酒は毎日飲んでいるビールと違って農民達には、めったにありつけない飲み物だった。
数人の男が樽から素焼きの椀に葡萄酒を注ぐと皆に配り始めた。
全員に配ると椀に半分位しかなかったが、それでも皆嬉しそうに騒いでいる。
ガブリエルは木の根元の空いた場所に腰を下ろすと、女達が持って来たチーズを乗せた大きなパン切れと葡萄酒の入った椀を受け取った。
農民達は気前の良い主人に杯を掲げる。
2年前、ワルローズの農民達は自分達が干草を集めている所や、葡萄を摘んでいる所に一人でふらりと現れては、天候や農作物の出来について気さくに話す若者を初めは訝しく思った。
次第に、溝に落ち込んだ荷車を皆と一緒になって引き上げるのに手を貸したり、足を挫いた女を自分の馬で村に連れ帰ったりしてくれる男に好意を持つようになった。
だが、城主様に畑の見回りを命じられている気の良い家来と思っていた男が、実は城主様本人だと分かった時、農民達は非常に驚いたのだった。
ガブリエルにしてみれば、状況を把握するには現場の者に聞くのが一番手っ取り早いし、正確だと思えた。
その為、今でこそ家来に任せていることも多いが、城主になったばかりの頃は全て自分で確認しようとしたのだった。
そして、農民達が汗水垂らして造った葡萄酒を、彼らに一滴も飲ませないのは、おかしいのではないかと思ったのだ。
味見ぐらいさせてやろうではないか。
それで仕事の効率が良くなるのなら、願ったり叶ったりだ。
そのような訳で、それから年に一回葡萄の収穫の時期になると、ワルローズの農民達は自分達が前年に造った葡萄酒を飲めることになったのだった。
やがて皆は仕事に戻った。
手で葡萄の房を摘んで籠に入れる者、葡萄で一杯になった籠を担いで桶に運ぶ者、桶の下に開いている穴から流れ出る果汁を受け皿に受ける者。
桶の中には服をたくし上げた裸足の男が、額から汗を流しながら、一人葡萄を踏みしめている。
暫くして別の男に交代する頃には、男の脚は紫色に染まり、服も染みだらけになっていた。
収穫の最後の夜には、村で祭りが行われる。
一日の労働で疲れ果てている人々も、夜が来ると不思議と元気になるのだ。
村人達は夜通しビールを飲み、ガイディやタラバードの奏でる音楽に合わせて踊る。
ガブリエルは見回りで一緒だった者達と長居はしなかったが顔を出した。
その夜はメルグウェンも同行していた。
アナは大事な姫がそのような庶民の祭りに行くのは反対したのだが、メルグウェンがどうしても行くと言い張ったのだ。
「一緒に来いよ。じゃないとまた俺が村一番の別嬪と踊らされる」
ガブリエルの誘い文句にメルグウェンは腹を立てていた。
行ったらまるで私がやきもち焼いているみたいだし、行かなかったらあの男の浮気を許しているみたいじゃないの。
でも綺麗な村娘と踊っているガブリエルを想像するのは本当に嫌だったので、行くことにしたのだった。
二人が着くと既に村の広場では火が焚かれ、音楽に合わせて数人の若者達が踊っていた。
ガブリエルは馬を下りるとメルグウェンの腕を取り、村長の所に連れて行き紹介した。
暫くして踊りの輪の方に向かいながら、メルグウェンはガブリエルに尋ねた。
「私のことを皆に許婚と紹介して、父が結婚を許してくれなかったら困らない?」
ガブリエルは片方の眉を上げ、からかうように見下ろした。
「許してもらえなかったら、大人しく親の許に戻るつもりなのか?」
メルグウェンはそっとガブリエルに寄り添うと小声で答える。
「嫌。帰りたくない」
「だったらここにいて俺の妻になれ。親が何と言おうと構わん」
メルグウェンはホッとしたように微笑んだが、ガブリエルを見上げると言った。
「でも父は持参金をくれないでしょう?」
「そうしたら、俺が代わりにやるよ」
「貴方の所にお嫁に行くのに?」
「ああ」
ガブリエルはそう答えるとメルグウェンの肩に両手を置いた。
「親も金もどうでもいい。おまえと一緒に生きたいんだ」
口を利いたら泣きそうだったので、黙ったまま大きく頷いた。
ガブリエルが屈み込み、メルグウェンは顔を上げてそっと目を閉じる。
周りからワッと歓声が上がり、照れたような顔をしてメルグウェンはガブリエルから離れた。
「ご婚約おめでとうございます!!」
「お幸せに!」
「城主様万歳!!」
ガブリエルはメルグウェンの手を取ると、踊りの輪に引き込んだ。