第8話 順 番
カーテンの隙間から入り込む光が、朝の訪れを教えてくれた。
「う~ん」
うずくまるベッドの中で思い切り伸びをすると同時に、祥吾の事がすぐに脳裏をよぎる。
――昨日の事が夢であってほしい。
そう思いながら、樹は重い瞼を開け身体を起こす。
祥吾が事故でこの世を去った。
しかも『呪い』をいうワードを付けて……。
「本当に呪いなのか?」
何度も自問自答するが、答えは見つからない。
ぼんやりとした意識のまま、樹はスマホを手に取る。通知はない。代わりに祥吾の最後のメッセージが画面に残ったまま。それがなにより本当に祥吾がいなくなった事を物語っていた。
昨夜の疲れが残ったままの身体を引きずりながら、樹はベッドから降りた。顔を洗い、冷たい飲み物で喉を潤す。
「……落ち着いてよく考えろ。とにかく出来る事から始めよう」
深く深呼吸し、意識を整える。
――まずは祥吾の事故について調べてみよう。呪いなのかそれとも別の原因があるのか。
スマホを操作し、祥吾からのメッセージを遡って読み返す。しかし特に参考になりそうな言葉は見当たらない。
『今日、メシ行こうぜ』
『カラオケ行くだろ』
そんなたわいのない話題ばかりだ。
読み返しながら祥吾を思い浮かべる。大きな身体にスピーカーのような声。いつもみんなを笑わせてくれるムードメーカーだった。その彼はもういない。気付けば涙が頬を伝い、目は霞んでメッセージが歪んで見える。
――ブーブー。
その時スマホが震えた。翔琉からのメッセージ。
『今日お前、店か? 話したい事があるから行っていいか?』
なぜかわからないが指が震えた。その震える指でなんとか言葉を入れる。
「わかった。店で待ってる」
樹はすぐに返信をし、身支度を始めた。
* * *
――カラン。
コップの中の氷が解ける音がする。
翔琉はストローでアイスティーを弄びながら、樹の休憩時間が来るのを待っていた。
「ごめん。お待たせ」
お昼のピークが過ぎたころ、樹が慌てて翔琉のテーブルに座る。隣にはむーさんの姿。
「むーさんも一緒だったか」
コクリと頷くむーさんの表情は、いつものようなおどけた顔ではなかった。
翔琉の目にはクマが出来ていて、明らかに疲れた様子だった。
「寝てないのか……」
樹は正面にいる翔琉に聞くと、彼はアイスティーを飲み干して苦笑した。
「まあな。色々調べてたら止まらなくなって、気づいたら朝だった」
「祥吾の事……だよな?」
二人の顔を交互に見ながら、樹が口を開く。それを合図にしたかのように、翔琉がスマホを取り出した。
「……ちょっとこれ見てくれ」
翔琉は画面を樹に向けた。そこには、とある都市伝説に関する記事が表示されていた。
『呪われるのは、影を見た者か、声を聞いた者』
その記事を見たむーさんが口を開く。
「声って、あの時電話で聞いた声って事?」
「……カラオケで声聞いたの、翔琉とむーさんだったよな?」
樹は確認するように二人に問いかける。
「そうだ。でも、正直言って呪いなんて信じてない」
翔琉は首を振りながら言った。
「俺は、事故か誰かの悪意の可能性のほうが現実的だと思ってる」
「でも、あの影を見たのは……」
むーさんの声が震える。
「それに、なぜ祥吾が死んだんだ? 呪われるはずの俺たちじゃなくて」
その言葉に、樹の中で何かが引っかかった。
樹は唇を噛み、考え込むように言った。
「もし呪いが本当にあるなら、犠牲になるのはお前たちのはず……なのに」
沈黙が三人の間を覆う。
「……祥吾の死は、呪いとは違う何かが原因かもしれない」
翔琉の声が少し震えた。
「事故か、それとも……」
樹の言葉は途切れた。
答えのない謎に向き合いながら、静かにその場に座っていた。
そんな中、翔琉は空のグラスに残っていた氷を一気に口に流し込んで、思い立ったように二人に向かって話しかける。
「なあ……樹、むーさん。俺もしかしたら……マジでヤバいかもしれない」
「……なに?」
「これがもし本当の呪いだとしたら、どうすればいいんだ?」
翔琉の手がかすかに震えていた。
「俺は理屈で考えるタイプだ。だけど、現状だと、どう説明しても辻褄が合わない。つまり、俺は次に死ぬ可能性があるってことだ」
その言葉が、店の静寂の中で重く響いた。
「ま、待ってよ!そしたら、オレもヤバいじゃん」
言いながら、むーさんはテーブルにあるメニューをめくり始める。
――どうした?
樹は目を丸くしてその行動を見つめたが、すぐに理解した。
「逃避のために、食べ物で現実から目をそらそうとしてるんだな……」
翔琉は少し呆れたように苦笑しながらも、続けた。
「呪いなんて非科学的な話は本来信じない。だけど、こうなった以上、理屈だけじゃ片付けられない」
「だからこそ、冷静に、次に何が起こるのかを予測して、対策を練らないと」
むーさんの慌てた様子とは対照的に、翔琉は感情を押し殺し、論理的に状況を分析しようとしていた。
「じゃあ、なにか食べようか。俺も昨日からなにも食べてないからさ」
樹がそう提案すると、むーさんは一瞬驚いた顔をした後、少し肩の力を抜いてうなずいた。
「うん、食べよう、食べよう……」
「じゃあ、みんなでシェアするか?オムライスとか、パスタとか、どう?」
「オムライス食べたい!」
大声で即答するむーさんの表情はやや引きつっていた。心を落ち着かせようと必死なんだろう。
要望通り、オムライスやサラダ、フライドポテト等を注文し、しばらくすると料理がテーブルに並び始める。
「うわ。すごい量……だな!」
むーさんは目を丸くして、大きなオムライスを前にして笑顔を見せた。
「それ、どんだけ食べる気だよ?そんなに食べて胃袋が呪いのせいで爆発でもするってのか?」
翔琉が半ば冗談めかしてツッコむと、むーさんは顔を赤らめて俯いた。
「いや、だ、だって、何か食べて現実逃避しないと……怖いんだよ。呪いとか、なんか色々……」
「わかるけど、さすがに食べ過ぎだろ」
――こんな時、祥吾がいたら……。
樹はそこにいない祥吾を思い出す。身体の大きな彼は、食べる量も人の何倍も上回っていた。一人で二人、三人前くらい平気で食べて、いつもみんなから「よく食うなぁ」と言われていた。そんな光景を思い出しながら目の前の翔琉とむーさんを見つめる。
おいしそうに料理を食べるむーさんを見て、少し安心した。
――もう誰もいなくならないで欲しい。
そう思いながら、笑顔になっている二人を見て、樹も食事を楽しむ事にした。
しばらくは食事をしながら、軽い会話が続く。
「ここからどうする? 祥吾の死が単なる事故死だったのか、それとも呪いによるものなのか」
「そうだよね。まずはなにが起こっているのか調べないと」
「でも、この時代に、呪いなんてあるの……かな」
それぞれが思いを口にする。
「翔琉はどう思う? 呪いの事」
樹が尋ねる。
「いや、信じたくはないけど……でも、カラオケで見たあの影とか、声を聞いた事とか考えると……」
翔琉は手を止めてテーブルの料理を見つめる。
「そもそもさ」と、思いついたような翔琉。
「瞳はなんであんな都市伝説を試そうと思ったんだ?」
(確かに。都市伝説だから呪いなんて起こるはずがないと思って単にふざけただけだったのか?でも祥吾が死んでしまったとき、やたらと呪いを強調してたよな)
樹には瞳の意図がわからない。
なにか知ってるんだろうか?
と、むーさんがおもむろにスマホを取り出し、どこかに電話をし始めた。
その様子を樹と翔琉が見つめる。
――プルルルル。
電話の向こうで呼び出し音がかすかに聞こえてくるが、応答はない。
「瞳くんに聞いてみようかと思ったんだけど……出ないな」
むーさんの声は少し震えていた。
「瞳があの都市伝説を試したのは、ただの好奇心なのか……それとも、もっと何か理由があるんじゃないか?」
樹がぽつりと言う。
「もしかしたら、最初から呪いを起こすつもりだったとか……」
翔琉が眉をひそめて続ける。
「でも、なんでそんな危険なことを?」
――本当の呪いなら、まずは翔琉かむーさんのどちらかが犠牲になるはず。なのに犠牲になったのは祥吾。
どうしてもこの矛盾が樹の頭でグルグルと回っている。
「とにかく調べるよ、呪いの事。はっきりさせないと怖くて仕方ない」
思いつめたようにボソっと翔琉が口にする。
「そうだな……まずは何が起こっているのか突き止めよう。何かわかれば、きっと解決できるはずだ……」
樹は暗い表情の翔琉に向かって、なるべく明るい声で言いながら笑顔を見せる。
何かしらの真実を掴まなければ、全員が不安に飲み込まれてしまう。
食事を終えた後、みんなで店を出ると、翔琉が少し元気を取り戻したように言った。
「怖いけど、何もしなきゃ進まない。俺はまず、あの都市伝説に詳しい人の情報を集める」
「わかった。じゃあ俺は、祥吾の事故の詳細を調べる。どこから手をつけるか考えないとな」
「オレも翔琉くんと一緒に、呪い調べる」
なにかを決心したようにむーさんが前を向く。
「じゃ、またなにかわかったら報告しあおう」
そう言って、みんなはそれぞれの道に分かれて行った。
樹は少し考えながら歩き、突然思いついたように足を止めた。
――事故なのか、そうじゃないのか。はっきりさせないとな……。
その思いが、胸の中でますます強くなっていた。