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404号室 禁忌歌~Not found ~  作者: 葉月美緒
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第6話  事故とパンケーキ

消えたはずの人影に、翔琉とむーさんはまだ心が囚われていた。

 気づけば誰も言葉を発さない。

 

 店内に響くのは遠くのテーブルから漏れるざわめきと、カチャカチャと鳴る食器の音だけだった。

 そんな静けさを破るように、瞳がふと口を開いた。

 

「この辺でさぁ、昔事故があったって聞いたことあるんだけど、知ってるぅ?」


 唐突な問いに、全員の視線が瞳へ向かう。

 

「じ……事故?」


 むーさんが首を傾げる。

 

「そう。まだ小学生だった女の子が車に跳ねられたんだよねぇ」


「あ、もしかして……十年くらい前の?」


 樹が少し遠くを見るように目を細めた。


「確か駅前の交差点の交通事故だったような……」


「よく覚えてんな」

 

 その記憶力を感心するかのように、翔琉は樹に目線を送る。


「親父が言ってたんだよ。その事故で駅前がずいぶん工事されるって」


「歩道が広くなったあたりか」

 

「うん。『海浜通り』って名前になって、車が入れなくなっただろ?事故がきっかけだったらしい」


「へぇ、じゃあその時の工事でお店の場所が変わっちゃったんだ」


 店内を見渡しながら、むーさんが答える。

 

「まあね。前の場所が修繕区域になったから仕方なく。それでここに落ち着いたわけ」


 なるほど、それで覚えてたのか――と翔琉は納得したように頷いた。

 

 そんな様子を横目で見ていた瞳が、ふいに祥吾の耳元に顔を寄せた。


「その跳ねられた子、死んじゃったって話なんだけどさ」


 そう言われた瞬間、ハッと祥吾の手がピクリと止まった。


「なんで、そんな話?」

 

 無理に笑おうとした彼の声は、わずかに強張っていた。


「別にぃ。ただ、あの駅前の辺りってぇ昔から変な噂あるじゃん。行方不明者が出たとか、見ちゃいけないものを見たとか……」


 瞳の言葉は何気ない雑談に聞こえたが、確かに祥吾を探るような響きがあった。

 

「そんなの……め、迷信だろ。ただの」


 いつもなら軽く流しそうな祥吾が慌てて否定する。

 だが、その態度がかえって彼の動揺を際立たせた。


「なんだよ祥吾。怖いのか?」と、むーさんがからかう様にニヤリと笑う。


 瞳はそんな様子を見逃さず、静かに言葉を継いだ。

 

「……祥吾、キミ……本当に知らないのぉ?」


「お……俺が知るわけねえだろ」


 無理に笑おうとしているのが分かる。それでも声の端がほんの少し震えていて、祥吾の顔から血の気が引いていくのが、誰の目にも明らかだった。

 

「祥吾?」


 樹がそう声をかけたが、祥吾は視線を落としたまま、スプーンの先を皿の上でそっと滑らせていた……。


「お待たせしましたぁ!」

 

 弾むような声とともに、笑顔の女性店員が注文したメニューを運んできた。


 テーブルに並ぶ熱々の料理から立ち上る湯気が、さっきまでの緊張を少し和らげる。

 

「わぁ……おいしそ!」


 むーさんが目を輝かせ、ハンバーグにナイフを入れる。

 

「……とりあえず飯。話はそれからだろ」


 翔琉はボソッと言いながら、スプーンを手に取った。

 その一言に、みんなが少しずつ笑顔を取り戻していく。

 

 ――だが。一人、祥吾だけは手を動かさず、黙ったままだ。

 

 皿の前に置いたスプーンをじっと見つめ、何かを噛み締めるような顔つきのまま。


 その目の奥に、何かを思い出そうとしているような、あるいは振り払おうとしているような影がよぎった。

 

 次の瞬間――。

 

「やっぱり、ここのチーズハンバーグ最強だよ。チーズがトロトロ」


 むーさんの明るい声に、祥吾がフッと顔を上げた。

 さっきまでシンとしていた祥吾も、ようやくいつもの調子を取り戻したように、


「デザートも頼んじゃおうぜ!」

 

 大きな声で叫ぶとパラパラとメニュー表をめくる。

 その声に、また笑いが広がり和やかな空気が店内に戻っていった。

 

「だな。デザートも美味しいし」


 樹が静かに言って、手元のメニューを指先で軽く押さえる。

 

 みんなもそれに続くように次々とメニューに目を落とした。

 

「んー……いちごのケーキか、プリンか……」


 むーさんが迷いながらつぶやく。


「どっちも頼んじゃえばいいんじゃね?」


 と、祥吾がにやりと笑いながら提案し、みんなが笑い出す。

 

「なら俺、チーズケーキとアイスクリームで!」


 翔琉がすぐに決めると、瞳もメニューを見つめながら尋ねた。


「樹、ここのデザートで一押しはぁ?」


「やっぱ……パンケーキだな」


 樹が指さしたページには『当店おすすめ』の文字と、色とりどりのパンケーキが並んでいる。

 

「じゃあ、それにしよっかなぁ」


「俺もそれで!」と祥吾。


 注文が決まり、先ほどの店員が再びテーブルにやってきて、手際よくメモを取り始めた。

 

「いちごのパンケーキで!」


 むーさんがはっきりと伝え、他のみんなもスムーズに注文を終える。

 

「じゃあ、俺は……キャラメルバナナパンケーキで」


 最後に樹がそう言うと、店員の彼女がにっこりと笑った。

 

「了解です。樹くんも食べてくんだね、今日は」


 樹の仕事仲間がこっそり声をかける。

 

「うん、友達と来ててさ。あとで厨房にも顔出すよ」


「わかった! じゃあちょっとサービスしておくね」


 そんなやりとりに、瞳がくすっと笑う。

 

「……職場って感じがするぅ」


「やめてくれ、休みの日くらい普通にいさせてくれよ」


 そう言いながらも、樹の顔はどこか嬉しそうだった。

 

「店の人たちとも仲いいんだな」


 祥吾が感心したように言うと、翔琉もコップを回しながらうなずく。

 

「うん。なにせ樹の親父さんのお店だしな。カウンターの人も愛想いいし」


「みんないい人ばかりで。俺なんか本当に助けられてる」

 

 そう答える樹の背後、奥の厨房からは小さな調理音が聞こえていた。客足は落ち着き、他のテーブルでも低めの声で会話が交わされている。


「それにしても、制服、あれなかなかいいよね。ネイビーに白のラインって渋い」


 ふいにむーさんが言い、目を輝かせた。

 

「ああ、あれ? 季節ごとに少しずつ変わるんだよ。いまは夏仕様」


「まじか。あのセンス、オレ好きだなあ。デザインもお父さんのこだわり?」


「いや、そこは母さん。『男くさい店はだめ』って言ってさ。春夏秋冬、地味に変えてる」

 

「まじかよ、ちゃんとしてんな〜。俺、秋バージョンも見てみたいかも」


「写真は禁止な」

 

 思わず噴き出した樹に、全員が笑い声を漏らす。


 その直後、店員が飲み物を運んできた。パンケーキはもう少しかかるらしい。


 会話がひと段落し、ふと瞳が窓の方へ目を向けた。ガラス越しには、街灯に照らされた夜道と、コンビニの看板が浮かび上がっている。

 

「……こうしてるとぉ、普通の夜って感じだなぁ」


 低くつぶやいた彼の声に、誰もが一瞬言葉を失う。


「さっきまで人影が見えてたとは思えないよな……」


 翔琉が苦笑まじりに返すと、空気がわずかに緩んだ。

 

「……本当にな。変な感じ」


 樹はそう小声で呟きながら、グラスの水をひと口飲んだ。冷たい感触が、どこか現実に引き戻してくれるような気がした。

 

「でも……やっぱ、こういう時間が一番だよな」


 気を取り直したその言葉に、誰からともなく小さくうなずきが返ってきた。


 何事もなかったかのように笑い合う仲間たち。 

 

 やがてデザートが運ばれ、みんなのテンションは最高潮に達する。

 

「やばぁ!ふわっふわだぁ!」

「このチョコ、濃厚すぎ!」

「いちごが、おいしい」

「むーさんはいちご大好きだもんな」

 

 笑い声と食器が触れ合う音が、店内に響く。

 だが、ふとした瞬間、樹の耳に違和感がよぎった。

 

 ――カチャリ。

 

 ほんの一瞬、小さな音。ガラスの器が、何かに微かに触れたような。

 空気が、わずかにズレた気がした。


「……?」


 気のせいかと思いながらも、ふと視線を向けると、祥吾の手が止まっていた。

 フォークを握ったまま、彼はじっと一点を見つめている。


「祥吾?」


 呼びかけても、彼はすぐには反応しなかった。


「……なんか、さ」


 小さく息を飲んだ祥吾が、ぽつりとつぶやく。


「あ、いや……。なんでもない」


 無理に作ったような笑顔で、祥吾はパンケーキを口に運ぶ。


 (どうしたんだろう?)


 樹はなにか言いたそうな祥吾を横目で見る。

 目元が笑っていない。視線はどこか遠くを見ながら何かを考えているようにも見える。


 (……本当に、なんでもないのか?)


 パンケーキを口に運ぶ手は動いているのに、祥吾の表情だけが置いてきぼりだった。


 ――さっきの“間”は、何だったんだろう。


 何かに気づいた顔。思い出したような顔。でも、それを言わなかったのは、言えなかったのか、言いたくなかったのか。


 どちらにせよ、嫌な感じが胸に引っかかって離れない。

 その違和感は、甘いはずのパンケーキの味さえ、どこか苦く感じさせた。

 樹は手元の皿を見つめながら、小さく息を吐いた。


「……なんかあったら、いつでも言えよ」


 フォークを置いた樹が、そっと祥吾に声をかけた。

 祥吾は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく笑ってうなずいた。


 そのやりとりを、瞳はテーブルの向こうでじっと見ていた。

 表情は何も読み取れない。ただ、視線だけが冷たく、真っすぐに――祥吾を射抜いていた。

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― 新着の感想 ―
仲間たちの何気ないやりとりにほっとしつつも、祥吾くんの揺らぎや瞳くんの視線に次に何が起こるのかとても気になります(*^-^*)
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