表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
404号室 禁忌歌~Not found ~  作者: 葉月美緒
6/31

第5話 明るい場所 暗い影

樹が働いている店に入ると、いつもと変わらない温かい光が迎えてくれた。


 照明が優しくテーブルを照らし、香ばしい料理の匂いが漂っている。ここだけは、さっきまでの不気味な出来事が嘘のようだった。

 

 ――けれど、ほんの一瞬だけ、翔琉は足を止めた。

 

 この場所も何も変わっていないはずなのに、なぜだか空気が、ほんの少し冷たい気がした。


 いや、気のせいだ。彼はそう自分に言い聞かせると、軽く首を振って奥の席へ向かう。

 

「はー、やっと落ち着けるな」


 翔琉が深く息を吐きながら、空いていた奥の席に腰を下ろす。


 このお店は週末になると深夜まで営業しているので、遅い時間でも飲食を楽しんでいる人たちで溢れていた。

 

「マ、マジ……で怖かったんだけど……」


 むーさんがまだ少し震える手でメニューを掴む。

 

「だ、だってさ。電話から変な声聞こえた」


「俺も。俺も聞こえた『アエタ……』だかなんとかって」


 翔琉とむーさんはお互いの顔を見ながら頷いている。

 

「マジで? 俺達には聞こえなかったよな?」


 樹が瞳と祥吾に確認すると、「うんうん」と、二人が答えた。

 

 ……が、瞳の表情は、どこか曖昧だった。笑ってはいたが、目が笑っていない。


 何かを隠しているのか、それともただ疲れているだけなのか――誰もその意味を問おうとはしなかった。


 だが、すぐに翔琉は首をかしげた。

 

「……でもさ、あれって本当に“声”だったのかな? ただの機械音の反響か、ノイズの混じった何かじゃないか?」


 彼の声は少し震えていたが、あくまで冷静を装っている。

 

「いやでも、あれ人の声だったと思うよ? 女の……」


 むーさんが言いかけると、翔琉は少し考えてから続ける。

 

「カラオケの配線とか古そうだったし、誰かが前に歌った曲の残響が……あり得ないけど、まあ何かのタイミングで誤作動したとか。あと壁が反響しやすい構造だったし、部屋の外の声が偶然入り込んだ可能性も――」


「また始まった、翔琉の理屈癖」

 

 祥吾が苦笑して言う。


「でもな、変に“呪いだ”とか言ってパニックになるよりマシだろ。まだ何も証拠はないんだから」

 

 翔琉は真剣な顔でそう言いながらも、手元の水をぐっと飲み干した。


 ただ、その手はわずかに震えていた。

 

「きっと気のせいだろ! 樹が作るうまい飯食えば元気出るっしょ!」


 無理に明るく振る舞う祥吾に、みんな苦笑いしつつも頷いた。


 だが、翔琉の背中にはまだ、あの部屋で感じた冷たいものが、どこか貼りついて離れなかった。

 

 気のせいだと頭では理解しても、心の奥に残った不快な感覚が、じわじわと広がっていた。


 そんな空気を払うように、樹がポツリと口を開いた。

 

「……まあ、俺はまだ見習いだからさ。いつかみんなにちゃんとした料理を出せたらいいなって思ってる」

 

 その声は、どこか照れくさそうで、けれど温かかった。

 

「でもぉ厨房には入ってるんだろぉ?そのうち食べさせてくれよな~」


 ニコニコと笑顔の瞳が楽しそうに言う。さっきまでの暗い雰囲気が消えた彼を見て、樹は安堵する。

 

 ジュウッと調理している音が耳に心地よい。だが、その温かな空間にも――あの電話の記憶は、消えない影のように静かに、全員の心にこびりついていた。

 

 ふと、翔琉が店のガラス越しに外を見た。

 夜の闇は深く静かで、街灯の下に人影がぼんやりと揺れている。


「なぁ……あそこ……誰か立ってないか?」

 

 軽く言ったつもりだった。

 え?っと一斉にみんなが窓の外を確認する。


 そこには確かに、店をじっと見つめる影があった。

 満月の光が降り注ぎながらも薄暗い街灯に照らされ、ぼんやりと輪郭が浮かぶ。


 顔までははっきり見えない。ただ、視線のような圧だけがリアルに伝わってくる。

 

「……まさか、な。光の反射か? いや立ち方が……」

 

 翔琉は思わず口にしていた。驚いてるのは間違いない。だが、恐怖よりも現象の意味を考えるのが働いていた。

 

「……いるよ。はっきり見えてる」


 いつになくむーさんが険しい表情で声を上げた。それは恐怖心を落ち着かせる為だったのかもしれない。

 

 ――見えている。俺にもむーさんにも。

 

 翔琉は再び窓に目をやりながら、心の中で理屈を組み立てようとする。


「見えてるって事は、何かある……視覚的な錯覚か、それとも……」

 

 ――と。

 

「え? どこに?」


「なに言ってんだよ、なんもいねーじゃん」


 樹と祥吾が、まるでピントの合わないカメラのように視線を泳がせている。

 

 ――は?

 

 翔琉はゆっくりとむーさんと目を合わせる。むーさんも、困惑した顔で視線を合わせた。


 確かにそこに“いる”のに、他の誰にも見えていない?

 この"現象"を俺とむーさんだけが認識している――?

 闇の中、街灯の薄明かりに照らされたその影は、ただの人影ではなかった。


 黒いもやのような、輪郭の曖昧な存在――。それが夜の闇に、異様に浮かび上がっている。

 

「……いる、よな?」

 

 震える声で囁く翔琉に、むーさんは無言でこくりと頷く。


 翔琉は胸の奥がざわいた。理屈で説明出来ないことが起きている。

 

  (どうして、樹と祥吾には見えないんだ?)


 心の中でそう問いかける。

 理屈が追いつかない。だが、確かにそこに“いる”。

 

 「……光の加減か? でも、あの動き……いや、それにしては……」


 思考がぐるぐる回る。可能性を消去しようとするが、どれもしっくりこない。

 

「からかってんのかよ、おまえら」


 祥吾が笑って肩をすくめる。

 

「瞳は? お前は見えてる?」


 翔琉は問いかける。わずかに希望を込めて。


「え? なにがぁ?」


 瞳はまるで興味がなさそうにストローをくわえたまま首をかしげる。

 

「……見えてないの? 本当にいるんだって」


 必死に説明しようとする翔琉だったが、その声は自分でも頼りなく感じた。


 むーさんも「ほ、ほら、あそこだって……!」と指をさすが、瞳はきょとんとした顔で首をかしげる。

 

「何もないじゃん。ほんとに大丈夫かぁ?」


 違う、いるんだ。確かに見えている。けれど、この不自然な違和感は何なんだ?


 再び窓の外に視線を戻した瞬間――その人影が、わずかに首をかしげたように見えた。まるで、自分たちにだけ気づいていることを確かめるかのように。

 

「……どうして、俺たちにしか見えないんだよ……」


 翔琉の手は、いつの間にか冷たくなっていた。


「瞳くんのせいだよ。あんな都市伝説の話なんか……するから」


 俺は知りませ~ん……とドリンクを飲んでいる瞳を横目で恨めしそうに見つめるむーさん。

 

 翔琉は息を飲んだまま、窓の外を凝視していた。むーさんも、何かに縛り付けられたように指をさしたまま固まっている。


 それなのに、樹たちには見えていない――この違和感が、じわじわと胸を締めつける。

 

「まさかとは思うけどさ……」


 ふと、樹が申し訳なさそうに口を開いた。


「さっきカラオケで瞳が試した都市伝説……あれのせいじゃ……ないよな?」


「あ! あの歌うたっちゃったから、出てきちゃった?」


 祥吾は目を見開いて叫ぶ。

 

 だがすぐに、照れ隠しのように樹は肩をすくめた。


「ごめんごめん、今の冗談」


 そのときだった。

 翔琉とむーさんの視界に映る影が――ふっと、揺らいだ。

 

 もやが晴れるように、塊がぼやけ始める。少しずつ輪郭が崩れていく。


「……消える?」


 思わず翔琉が呟くと、むーさんも小さく息を呑んだ。

 確かにそこにいたはずの影が、静かに、音もなく薄れていく。


 ぼんやりとした塊のような人影。ゆらゆらと揺れて見えているのは髪の毛?それも徐々に舞うように消え、最後に残ったのはこちらを射抜いていたはずの視線――。

 

 それも、消えた。


 まるで初めから何もなかったかのように、窓の外には薄暗い街灯と夜道が広がっているだけだった。

 

「……い、いなくなった……」


 むーさんの震える声が、静まり返った空気に染み込む。


「だ~から、何もいねえって言っただろ?」


 祥吾が呆れたように笑うが、翔琉とむーさんは返事ができなかった。

 

 本当に――あれは、何だったんだ?


 消えたはずなのに、さっきまで感じていたあの視線だけは、まだどこかに残っているような気がしてならなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
不覚でした。 この物語は今後も続くのでしょうか? プロローグの女の子の事故死にどう繋がるのか、怖いけどワクワクしています。 それまで取り敢えず、他の作品にも順次お邪魔させていただきますね。 宜…
瞳って男だったの?名前からテッキリ女性だと思っていました。 自分の思い込みが怖い! 表面的なストーリーに埋没していた浅はかな自分の内面の常識が壊れました。 これは計算?それとも偶然? 自分の初歩的な読…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ