第4話 都市伝説
――♪
しっとりとしたイントロが流れ始める。
「お? なんか本格的なやつ来たぞ」
「これ……聞いたことあるような?」
画面に映るタイトルを、誰かが読み上げる。
「『ひと恋めぐり』……ああ、懐かしい。中学のときめっちゃ流れてなかった?」
「俺も歌ったことあるわ。たしか、バラード系のラブソングだったよな」
祥吾がすぐ話に乗ってくる。
「お前がラブソングかよ」
似合わない……と翔琉は苦笑している。
「瞳にも似合わねぇよな」
コロっとした体形で、これまで恋愛に無関係そうな彼の姿を揶揄する祥吾の声が届いているかはわからないが、瞳は歌い始めた。
「ひと恋めぐり――♪運命の糸――」
恋愛ソングなのに、ただ歌詞を読んでいるかのように淡々と歌い進めるその光景は、どこか不穏な空気を漂わせる。
「会えなくなる日が来てもぉ――、永遠に~二人でぇ――♪……」
曲が終わりマイクを置いた瞳の声が少し低くなり、空気が変わる。
「この曲、都市伝説があるって知ってるぅ?」
その言葉に、全員の動きが一瞬止まる。
カラオケのモニターから流れる余韻が、妙に静寂を強調する。
「都市伝説?」
樹が眉をひそめて聞き返す。
「どういう話だよ」
翔琉がストローをくわえたまま続けると、瞳はグラスの氷をカランと鳴らして顔を上げ、そこにいる全員の顔を見渡した。
薄暗い照明の中、彼の瞳だけがぼんやり光を帯びているように見える。
「『ひと恋めぐり』を歌うと……奇妙な事が起きるんだ」
「え……ど、どういう意味?」
むーさんが不安そうに眉を寄せる。むーさんだけじゃく、全員が不安そうな表情で、瞳の次の言葉を待っている。
「昔、付き合ってたカップルがいたんだ。二人はよくカラオケに来ていて、彼がこの曲――『ひと恋めぐり』をよく歌ってたらしい」
瞳の声は、抑揚のない静かなトーンだった。
いつもののんびりした口調とは違う話し方。
それが逆に耳に残る。
「結婚の約束までしてたけど……男に、別の女ができたんだ。彼女はずっと彼のことを好きで、どうしても別れを受け入れられなかった」
言葉の合間に、どこか乾いた笑みが混ざる。
「それで……彼がよく歌ってたこの曲を、一人で何時間も歌い続けて、自殺した」
場の空気が、ひやりと冷える。
「……マ、マジで」
むーさんがぽつりと呟いた。
「彼女が自殺したのは満月の夜。自殺した場所はカラオケボックスで、ルームナンバーは……404号室」
「404……って」
樹と祥吾が扉のルームナンバーを確認する。
「ええええええっ!! ここじゃんか!」
祥吾がマイクを持ったまま大声で奇声を上げる。
「満月の夜、404号室で『ひと恋めぐり』を歌うとぉ……彼女の霊が現れて、呪い殺されるって」
「そんなの、作り話に決まってるだろ」
翔琉は感じた恐怖を吹き飛ばすばすかのように笑いながら言ったが、どこかぎこちない笑みだった。
「でも、なーんかその話聞いた事あるかも」
言いながら祥吾はスマホで何やら調べ始めた。
「……あ! これこれ!」
画面を全員の前に差し出すと、そこには瞳の語った内容とほぼ同じ文章が表示されていた。
加えて『実際にその曲を歌ったあと奇妙な影を見た』という体験談まで載っている。
「ほ……本当にあるんだ……」
むーさんが小さく息を呑む。
「ほらな。あるだろぉ? この都市伝説」
ピンと張りつめた空気の中、淡々と語る瞳の姿に違和感を覚えた樹は、ふぅ~と一息吐いて正面の瞳を見つめる。
「まさか、それを確かめるために今日この部屋を予約したんじゃ……」
どうかなぁ?と言わんばかりにニヤリと笑う瞳。
「ま、まぁ……都市伝説だからさ」
引きつった笑いを浮かべ、むーさんはあくまでも作り話にしたい様子。
――プルップルッ。
突然、ルームに響き渡る電話のベル。
「うわっ!ビックリしたぁ。あれ? フリータイムなのに時間の連絡か?」
急に鳴った電話に全身で驚きながらも、あらかじめ設定した終了時間前にお店側から終了の電話が来るのはあるあるで、電話の一番近くにいた翔琉は受話器を取る。
「もしもし……もしもし?」
受話器に向かって何度となく同じ問いを話しかける翔琉に、むーさんが声をかけた。
「どうしたの?」
「なにも言わないんだけど」
そう言いながら、翔琉はむーさんに受話器を渡してみる。
『…………』
「本当だね。なにも聞こえない」
間違い電話かな――そう言い聞かせるように、翔琉とむーさんは顔を見合わせながら受話器を置く。
――プツッ。
突然、ルーム内を包む雑音が途切れ、耳鳴りのような静寂が広がった。同時に室内の空気が冷たく重くなったように感じる。
「なんか、寒くね?」
なぜかマイク越しに喋る祥吾の声が、いつもよりかすかにくぐもって聞こえたかと思うと、まるで見えない手が這うように背筋がざわりと冷たくなった。
室内の蛍光灯が一瞬ちらつく。嫌な静けさが降りてくる。
「そ、そろそろ終わりにして、樹のお店でメシでも食べに行くのがいいと思うが――」
翔琉が口を開くと、誰も反対せずにバタバタと片付けを始めた。
早くこの異様な雰囲気から抜け出したい――皆の焦りが伝わるほど、動きに落ち着きがなかった。
――プルップルッ。
「ま、また……電話」
むーさんが小さく悲鳴を上げる。
恐怖のせいか、彼の腕は細かく震え、受話器を掴む指先は氷のように冷たかった。その掴んだ受話器を耳に当てた途端、耳鳴りのような雑音が一瞬響く。誰かが小さく息を吸うような音――が、向こうから漏れてきた。
――――――――
「ん?……なんか、言ってる?」
震える声で呟きながら、むーさんは翔琉に受話器を渡し二人で耳を傾ける。
その時――。
『ヤァット……アエタァ……』
湿った喉をかきむしるような、低く濁った声が、耳元にぬるりと絡みついた。
「ぎゃあっ!」
翔琉とむーさんが同時に悲鳴を上げ、受話器を床に叩きつける。
断続的でまるで何かが受話器の奥で歯を鳴らしているような、金属的な『カチ、カチ』という音が響く中、部屋の空気が張りつめる。
「ちょ、何!? どうしんだよ、二人とも!?」
驚いた祥吾が声をかける。
むーさんは青ざめた顔で震えながら答える。
「……声が……き、聞こえた。電話の向こうから……」
「声? 何の話?」
呆然とする樹が、床に転がる受話器を見つめる。
「……いや、たぶん気のせい……かもしれないけど……」
翔琉は青ざめた顔で、言い聞かせるように続けた。
「受話器の向こうから……低い、濁った声で……“やっと会えた”って……そんなふうに聞こえた……んだ」
震える声で答える翔琉に、残りの三人は顔を見合わせた。
「え? 声? 俺ら何も聞こえなかったけど……」
真面目な表情で祥吾が答える。
「まさかぁ……呪いが発動しちゃったぁ?」
と笑う瞳の表情は、なぜかどこか他人事のようだった。
その口元の笑みには、どこか張りついたようなぎこちなさがあって、冗談にしては空気が冷えすぎていた。
その言葉に、翔琉とむーさんは顔を強張らせた。
さっきの声は、確かに聞こえたのだ――二人だけに。
「変な事言うなよ、瞳!……とりあえずここはもう出よう」
翔琉の声に、むーさんも素早く頷いた。
「そうだな。もう十分だ……」
樹も覚悟を決めたように受話器を拾い上げ、落ち着いた声で言った。その手はほんのわずかに震えていて、無意識のうちに強く受話器を握り締めていた。
「じゃあ早く樹の店行こうぜ」
少しひきつりながら、大声で祥吾が提案する。その声には、無理やり明るさを装おうとする焦りが滲んでいた。
……が、なぜか翔琉の背中に、じんわりと冷たいものが這い上がる感覚が残っていた。
でも目を凝らしても何もない。ただ、壁の隅が妙に暗く見える気がして――彼はすぐに目をそらした。暗がりの中から、何かがこちらを覗いているような気がした。視線のようなものが皮膚を刺す感覚として残り、体の奥が冷えていく。
——気のせいだ。そう思いたい。でも、胸の奥で警鐘のように、微かな不安が鳴り始めていた。