最終話 ~Not found~
静かな墓地には風の音すらなく、白い吐息だけが空に消えていった。
木々の葉は落ち、枝が骨のように空を刺し、空気はあらゆる音を凍らせているかのようだった。
その中に、ふたりの男女がひっそりと立っていた。
女は墓前に花を手向け、男は無言で線香を焚き、視線を落としたまま立ち尽くしていた。
その視線の先、墓石の表面にはこう刻まれていた。
――川瀬家之墓。
――川瀬 美咲 享年九歳。
長い時間、手を合わせていた二人がゆっくりと目を開けた。
女の頬を伝う一筋の涙が、風に紛れて消えていく。
「……これでようやく、終わったのね」
女が静かに呟く。
「ああ。これでやっと美咲へ報告が出来る」
隣に立つ男はそう呟くと、上空へ登っていく線香の煙を見つめた。
* * *
あれは、まだ若かった頃の話だ。
付き合っていた女がいた。
けれど、彼女の愛情は次第に狂気じみていき、日常を侵食していった。
耐え切れなくなった男は、別れを切り出した。
そして、その数日後──彼女は死んだ。
偶然だったのか、彼女の中で何かが壊れていたのか……いまでもわからない。
だが、若さゆえの軽薄さが、その死さえも**“ネタ”**に変えていった。
飲み会で、噂話として、友人に面白おかしく語るようになった。
「満月の夜、《ひと恋めぐり》って曲を歌うと呪われるらしいぜ」
「声を聴いたらその霊が出てくるって」
仲間うちで流行った悪趣味な怪談。
ふざけた話が、やがて小さな都市伝説として広まり、いつしか誰も信じなくなり、忘れ去られた……
――数年後。
思いもよらない事が起こる。
ネット社会になり、面白半分ライバー達によって掘り起こされたあの作り話。
自分がかつて作った“作り話”が、都市伝説として復活していた。
* * *
――あの日、娘、美咲が突然命を落とした。
警察の話では、美咲が車道に飛び出してきたのが原因の事故。
けれど親として、それを納得できるはずがなかった。
あの子が、自分から飛び出すはずがない。
ちゃんと教えていた。ちゃんと確認する子だった。
「あの子が、美咲が前も見ずに飛び出すなんて、ありえない」
「誰かが、あの子に何かをしたんじゃないのか……」
ひとつひとつ、手がかりを洗っていく中で浮かび上がった名前。
事故の相手──祥吾。
調べれば調べるほど、美咲が悪いとは思えなかった。
むしろ、祥吾が美咲にぶつかった為に、車道に突き飛ばされた形で起こってしまった悲運な事故。
それを確信した時――夫婦は決意した。
祥吾に復讐する……
だが、どうすればいい?
そのときだった。父親の脳裏に、ふと“ある話”が蘇った。
若い頃、ふざけ半分で作った“ネタ”。
自殺した元恋人のことを元にした、都市伝説。
あの話を使えば……
呪いに見せかけて祥吾を殺すことができる。
それも、証拠を残さずに。
しかし、いざ自分の手で“それ”を行おうとした時──
心の奥底にある正義感が、顔を出した。
躊躇いが、罪悪感が、彼の手を止めた。
そんな時だった。
「わたし達が手を汚すことはないわ。美咲を実質的に殺した、あの運転手……白玉という男に、やらせることはできないかしら」
妻のその一言が、この復讐劇の始まりだった。
だが――
肝心の白玉健司は、すでに自ら命を絶っていた。
事故の後、責任を悔い、精神を病んでのことだったらしい。
その報せに、美咲の両親は一瞬、気持ちが揺れた。
しかし、怒りの火はすでに消えかけていた良心を焼き尽くしていた。
だったら――その息子、“瞳”を使えばいい。
あの事故を背負って生きているという、白玉の息子を。
「瞳を使えば、祥吾に裁きを下せる」
もはや、二人に“人の心”はなかった。
瞳の家族愛、父親への思い、そして年頃の恐怖心。
すべてが、あの**“都市伝説”**に適していた。
かつて男が、若気の至りで面白半分に作り上げた“作り話”。
別れた恋人の死を、ネタに変えた最低の冗談。
「声が聞こえたら、死ぬ」という、根も葉もない噂。
それを、道具に利用した。
SNS、掲示板、そして匿名のメッセージ。
瞳に“それ”を信じ込ませ、誘導した。
「瞳くん。よくやってくれたわよね。わたし達が望んだ通りに、あの祥吾って子を……」
静かな墓前で、美咲の母親がふっと笑みを浮かべながら語りかける。
まるで遠くの誰かに向けるような、空に溶ける声だった。
隣に立つ男も、わずかに口元をほころばせる。
「その後、瞳って子も……死んだらしいな。原因不明の“事故死”だとか」
「ええ。きっと全部、“呪い”のせいよ。ふふふ」
二人は一瞬だけ目を合わせ、確かな満足を宿した静かな微笑みを交わす。
少しの間、線香の煙が細く昇っていく音だけが空気を満たす。
「あなた……あの時、ふざけて作った“話”が、まさかここまで現実に影響するなんて、思ってなかったわよね?」
妻の言葉に、男は肩をすくめて苦笑した。
「作り話に踊らされるなんて、バカみたいだよな……でも、便利だった」
少しの沈黙……
まるで反省の色のない、淡々とした沈黙だった。
そして、ぽつりと妻が訊ねた。
「ねえ……あの子と付き合ってた頃、本当に歌ってたの? あの曲」
男はうっすら笑いを浮かべ、空を見上げる。
「……ああ。やたらと好きだったからな。俺が歌えば、嬉しそうにしてたっけ」
その唇が静かに旋律を刻み始める。
「ひと恋~めぐり~~♪運命の糸~……
会えなくなる日が来ても~~、永遠に~二人でぇ~♪……」
かすかな歌声が、冬の風にさらわれるようにして、空へと消えていく。
ふたりは言葉もなく、ただ静かに墓前を見つめていた。
――長い間、積み重ねてきたものが、今ようやく解放されたかのように。
空気が冷たくなる。風が、少しだけ吹いた。
「……行きましょう。亮介さん」
妻がそう告げる。
それが、この会話で初めて男性の名前が呼ばれた瞬間だった。
「ああ」
ふたりはゆっくりと背を向け、墓地の出口へと歩き出す。
「カァ~……カァ~……」
どこからともなく、くぐもったカラスの鳴き声が響く。
それは、祝福にも、警告にも聞こえた。
そのとき――ふと、亮介が足を止めた。
……誰かに、見られている気がした。
視線を感じて振り返るが、誰もいない。
冬の墓地は、ただ白く静まり返っているだけだった。
――プルルルル、プルルルル。
突然、スマートフォンの着信音が鳴った。
亮介は眉をひそめ、ポケットからスマートフォンを取り出す。
画面には、見覚えのない番号が表示されていた。
「……誰だ?」
訝しみながらも、彼は通話ボタンを押す。
「はい……」
だが、応答はない。無音。風の音も聞こえない。
「……もしもし?」
そう問いかけた次の瞬間だった。
ザザ……ザ……
耳に届いたのは、まるでノイズの混じった機械音のような声。
そして、確かに言った。
『ヤットォ……ミィツケタァ……』
~ Not found~
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます
「404号室 禁忌歌 ~Not Found~」という物語を通じて、皆さまと一緒に呪いや都市伝説の闇を歩むことができたことを心から嬉しく思います
この物語は、恐怖と謎だけでなく、登場人物たちの切なさや葛藤も描きたくて書きました。彼らの運命が、少しでも皆さまの心に何かを残せていれば幸いです
そして、皆さまの感想や応援が、次の物語を紡ぐ力となります
もし気に入っていただけたら、ぜひまた遊びに来て頂ければ嬉しいです
最後に、物語の世界で過ごした時間が、あなたの心に小さな灯りを灯せていたら幸いです
これからも、素敵な読書体験を
本当にありがとうございました




