第20話 点と線
駅近くの喫茶店の窓際に、瞳は静かに座っていた。
その姿を見つけた瞬間、樹の足が止まった。
待ち合わせの時間よりも、ほんの少し早かった。
夕暮れの光が窓越しに差し込み、二人の間に長い影を落としている。
「ごめん。急に呼び出して」
目の前の席に座ったと同時に投げかけた樹の言葉に、瞳は無言で頷いた。
どこか張り詰めた空気が漂っている。瞳の表情は柔らかいが、そこに油断はなかった。
「いや。また甘い取り調べなのぉ?」
瞳の口調は穏やかだった。
それでも、言葉の奥に何かを探るような鋭さがある。
樹はその視線を受け止めたまま、静かに答える。
「……あの日、翔琉が死んで……むーさんはその後も、必死に調べてたんだ。でもむーさんまでが……死んだ」
言葉の途中で、喉が詰まりそうになる。
信じたくなかった。なのに、現実は残酷にそこにある。
「まさか、こんなことになるなんて……」
自分の無力さが、悔しさと共に胸に広がっていく。
一瞬、瞳の瞼がわずかに揺れた。だが、口元はまったく変わらない。
「そうかぁ……」
ただ、それだけ。
同情も驚きも、悲しみも浮かべず、ただ事実を受け止めたような声だった。
樹の胸の奥がざらついた。
瞳は、やはり何かを知っている。
いや、知っているだけではない。
「……瞳は、呪いを信じてるんだよな?」
問いかけると、瞳は少しだけ微笑んだ。
「信じるかどうか、じゃないよぉ。……起きてるから、ある。それだけ」
その言い方が、妙に冷たく聞こえた。
自分の周りで人が死んでいるのに、それをまるで“面白い話”のように扱っているような響き。
「……どうして、そんなに詳しいんだ? あの都市伝説のこと……」
瞳はふとスマホを軽く握りしめた。
「……親切な人が、教えてくれたんだ。ずっと前にねぇ」
「親切な人?」
樹が問いかけた瞬間、瞳の表情が一瞬強ばり、すぐに目をそらしてごまかすように言った。
「なんでもないよぉ、気にしないで」
ニコリと笑ったその顔は、どこか不自然で作り物めいていた。
樹はその笑みの奥に、隠された思惑を感じ取った。
(……瞳はやっぱり、呪いを“肯定”してる)
翔琉も、むーさんも。――でも、祥吾は?
死に方が違う。状況も違う。
あれは本当に“呪い”だったのか? それとも……。
樹の中に生まれた疑念が、やがて形を持ち始める。
「……祥吾のことは、どう思ってる?」
瞳はわずかに表情を曇らせる。
「あのカラオケの時、声を聴いたのも影を見たのも翔琉とむーさんだけだ。二人の死に方は……どう見ても不自然だった。それこそ呪われたかのように」
樹は言葉を選びながら続ける。
「でも祥吾は違う。……事故だった。そこだけは人為的なものを感じるんだ。瞳はどう思う?」
瞳は沈黙した後、静かに答えた。
「人は……簡単に許されない。償いが必要だっただけ」
言葉は冷たく、重かった。
「償い? それってどういう意味だよ」
樹の問いかけに、瞳はゆっくりと立ち上がり、窓の外に視線を落とした。
「……祥吾は、“正当な裁き”を受けたんじゃない?」
低く静かな声だった。まるで誰かに聞かせるでもなく、自分自身に言い聞かせるように。
「でも……あの呪いまで、本当に動くとは思わなかった。……別に、僕のせいじゃないけどねぇ」
独り言のように落とした声だったが、その奥に、ほんの一瞬だけ影のような感情が滲んだ気がした。
後悔か、それとも戸惑いか――樹には判断がつかなかった。
「……じゃあ、またねぇ」
瞳は背を向けて、ゆっくりと喫茶店を後にした。
まるで何もかもを置いていくように、静かで淡々とした足取りだった。
樹は残された席で、深く息を吐いた。
震えているのは指先だけではなかった。胸の奥で何かが軋んでいる。
(……本当に、偶然だったのか?)
翔琉が死に、むーさんまで死んだ。
そして、祥吾――
「ただの偶然とは思えない。誰かが仕組んだものなのか……」
(瞳は何を知っている……? 本当に全部、呪いで説明がつくのか?)
視線を落としたテーブルの木目が、奇妙な形に見えて胸がざわつく。
瞳が最後に見せたあの表情。無関心の仮面の裏で、微かに揺れた何か。
(……もしかしたら、瞳自身も後戻りできない場所に踏み込んでしまったんじゃないのか……)
樹の胸に浮かんだのは、ただの敵意や憎しみではなかった。
恐怖。そして、理解したいという衝動だった。
* * *
店を出てからも、瞳の言葉が耳の奥で何度も反響していた。
――正当な裁き。
あの穏やかな声で、祥吾の死をそう断じた瞳の姿が、頭から離れない。
復讐心に燃えていたわけでもない。悲しみや怒りをぶつけたわけでもない。ただ、当たり前のことを話すように「償ってもらった」と言った。
(まるで……人の命を、ただの秤にかけて測ったような言い方だ……)
樹は胸の奥に、冷たいものが落ちていくのを感じた。
何がどう転んでも、そこに情はない。瞳の言葉には、救いのかけらすら感じられなかった。
(まさか……瞳が祥吾を……?)
(それとも、何かもっと別の理由や誰かの思惑があったのか……)
道を歩きながら何度も自分に問いかけた。
いや、そんなはずはない。いくらなんでもそんな……でも。
答えは出ない。けれど胸の奥に、今まで感じたことのない嫌な予感だけが、じわじわと広がっていく。
(瞳が……あんな風に言うなんて……)
歩道を歩く人たちの笑い声が、どこか遠い世界の音のように聞こえた。
自分だけが、世界の裏側をのぞいてしまったような感覚。
帰宅しても、その感覚は消えなかった。
部屋の灯りをつけ、何度も深呼吸しても胸の奥のざわめきは収まらない。
メモに走り書きで書かれたその日付は、ちょうど十年前だった。
(十年前……そう言えば)
樹はスマホを取り出すと、池田から来たメッセージを確認した。
――十年くらい前にも、あの近くで似たような事故があった気がする。確か女の子が車に轢かれたとかそんな話だったと思う。
メッセージにはそう書いてある。
祥吾のメモと女の子の事故……
(もし……祥吾が悔やんでいた事故が、この事故だとしたら?)
(瞳の言う“償い”って……そのことじゃないのか?)
事故。呪い。都市伝説。そして十年前――。
樹はスマホを開き、「十年前 事故」「女子児童」「死亡」などのキーワードをいくつも試しながら、検索をかけていく。
画面をスクロールする指先が汗ばんでいた。
――違う、これじゃない。
出てくるのは他県の事件や、内容の違う事故ばかり。
どれも該当しない。関係なさそうな記事ばかりが画面に並ぶ。
(本当に、そんな事故があったのか……?)
一瞬、焦燥が喉元までこみ上げる。けれど、検索の手を止めるわけにはいかなかった。
瞳の言葉。祥吾のメモ。池田の記憶。
それらが、まるで一本の線になるような予感がある。
(なにか、あるはずだ。絶対に……)
再び別の組み合わせで検索ワードを入れ直し、さらにいくつものページを開いたそのとき――
『女子児童死亡事故 横断歩道で接触はずみ車道へ』
――○月○日夕方、海浜駅前の横断歩道で信号待ちをしていた、川瀬美咲さん(9)が、後方から接触されたはずみで車道へと倒れ込み、直進してきた乗用車にはねられる事故があった。
美咲さんは救急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。
警視庁海浜署によると、車を運転していたのは近隣に住む会社員・白玉健司さん(41)で、現場では制限速度内で走行していたとされており、ブレーキをかけたが間に合わなかったという。
現場付近には防犯カメラが少なく、有力な映像記録は残されていない。
目撃証言などをもとに、警察は引き続き接触した人物の特定を進めている。
記事を読み終えた瞬間、樹は息をのんだ。
――川瀬美咲。
知らない名前だった。でも、何かが胸の奥にひっかかった。
歩道で信号待ちをしていた女の子が、接触のはずみで車道に――
そして、事故を起こした車を運転していたのが白玉健司。
(白玉……瞳と同じ名字)
偶然とは思えなかった。
事故の加害者が、瞳の父親だとしたら。
そして、“接触した相手”の名前が今も不明であるなら――
その瞬間、頭の中に祥吾のあのメモの一文が浮かぶ。
――あの事故、俺のせい?
(まさか……祥吾?)
頭の中で、いくつかの点が細く繋がっていくのを感じた。
十年前、事故に関わった誰か。真相を知りながら沈黙していた誰か。
それが、瞳を――あの都市伝説の闇へと引きずり込んだのだとしたら。
樹はメモを握りしめた。
まだ何かが足りない。けれど、もうすぐたどり着ける気がした。
真相の、中心へと。




