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404号室 禁忌歌~Not found ~  作者: 葉月美緒


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第18話 最後の待ち合わせ

 午後二時。

 駅前のロータリーは、土曜のにぎわいに包まれていた。家族連れの笑い声、改札を抜ける学生たち、どこかへ急ぐビジネスマン。

 その喧騒の中で、樹はベンチに腰を下ろし、スマホの画面を見つめていた。


「もう……二十分か……」


 むーさんとの待ち合わせは、駅前ロータリーにある小さなパン屋の前だった。

 なのに、時間を過ぎても彼は姿を見せない。

 三十分ほど前、「これから向かうね」とだけ短くメッセージが届いていた。

 だが、それ以降に送ったメッセージは、どれも未読のままだった。


(寝坊……じゃないよな。今までそんなことなかったし)


 何度か鳴らした電話は、コール音のあとに自動音声で切れる。留守電にもならない。

 冷たい風が通り抜けていき、樹は思わず腕をさすった。秋も深まり冬に近づこうとしている今日はもう肌寒い。


(まさか……)


 ふと脳裏をかすめたのは、あの「呪い」のことだった。

 翔琉が死んだ理由。むーさんが、あれ以来ずっと不安を抱えていた原因。そして、今まさに調べようとしていた“桐山”との約束。


 ――まさか、本当に。


「……いや、考えすぎだ。きっとスマホの電源が切れてるとか、それだけだ」


 そう自分に言い聞かせるように呟く。

 だが、心臓の鼓動は早まっていた。鼓膜の奥に、自分の血の音が響いている。

 こういう時の胸騒ぎは、当たることが多い――嫌な記憶が、そう告げていた。


 もう一度スマホを見た。

 画面に変化はない。

 既読は、まだつかない。

 風が吹き抜け、駅前のにぎわいが遠く感じられた。

 樹はスマホを握り直し、立ち上がる。


「……もう、家に行くしかないか」


 このまま、何もせずに待っているのは――無理だった。

 むーさんの家まで、電車で二駅。たったの十五分だ。


(ただの寝坊か、スマホの電池切れなら、それでいい)

(でも、もし――そうじゃなかったら……)


 このところ、むーさんの様子がおかしかった。

「気のせい」と笑っていたが、何かに怯えているような言動がたびたびあった。


 翔琉が死んだあの日から。

 呪いを調べはじめてから。


 胸の奥に、不安がしつこく居座っている。

 いつもなら「大丈夫」と打ち消せたはずのそれが、今日に限って、まったく拭えなかった。


 樹はスマホを手に取り、ためらいながらも通話画面を開いた。

 連絡先から「桐山」の名前をタップする。呼び出し音が数回鳴ったのち、すぐに応答があった。

 

「もしもし、桐山さんですか。恋塚です」

『ああ、どうした? もう駅前だろ?』


「それが……友人が来ないんです。時間になっても現れなくて、連絡もつかない。メッセージは未読のまま、電話も……なのでこれから友人の家に行こと思うので、申し訳ないですが今日のお約束は……」


 そこまで告げると、明らかに電話の向こうの空気感が変わり、一拍沈黙が落ちた。

 桐山の声色が、微かに変わった。


『最後に連絡があったのは?』

「三十分位前に『これから向かう』って。けど、そのあと返事がないままで」

『……住所、教えてくれるか? 一緒に行こう』


「え?」


『俺はね、普段あまり外に出ないんだけど……正直、嫌な感じがする。何かが起きてる気がする』


 樹はすぐにむーさんの住所を伝えた。

『最寄り駅で落ち合おう』と桐山が言い、通話は切れた。


 十数分後。

 むーさんの最寄り駅の改札を出ると、壁際に立つ男の姿が目に入った。

 黒縁のメガネをかけ、細身のジーンズにシンプルなTシャツ。年齢は三十前後だろうか。


(……あの人?)

 スマホを確認しながら近づこうとしたそのとき、男がこちらを見て、口を開いた。


「君が……樹くん?」

「はい。桐山さんですか?」

 桐山は無言で軽く頭を下げた。

 写真で見たことがあるわけでもないのに、妙に落ち着いた雰囲気が彼の人物像にしっくりきた。


「わざわざありがとうございます」

 樹はそう言ってお辞儀をした。

「いや。俺も気になったし」

「早速ですが、友人の家に向かおうと思います」

「そうだね」

「こっちです」

 短く言って、樹は歩き出す。

 桐山も相槌を打ちながらついてくる。


 住宅街を抜け、静かな坂をのぼる。むーさんが暮らすアパートは、もうすぐそこだった。

 道中、樹は何度もスマホを確認したが、未読の表示は変わらない。

 指先が汗ばんでいることに、あとから気づいた。


 アパートの前に着くと、樹は無意識に息を呑んだ。

 まるで、空気が違っていた。


「ここです。……行きますね」


 階段をのぼると、すぐにむーさんの部屋が見える。

 見慣れた扉の前で立ち止まり、樹は呼吸を整えると、インターホンを押した。


 ……応答は、ない。


 もう一度押す。やはり返事はない。

 ノブに手をかけると――


「……鍵、開いてる」


 桐山が低く呟いた。

 その言葉に、樹の背筋が凍りついた。


 * * *


 午後一時三十分。

 むーさんはソファから立ち上がり、スマホを操作していた。


 ──「これから向かう」──


 送信を終えると、上着を羽織り、鍵を手に取る。

 少し寝過ごしたけど、電車一本でぎりぎり間に合う。


 玄関のドアに手をかけ、出ようとしたその瞬間――


 背後で“空気が鳴った”。

 音のない音が、耳の奥を震わせる。

 そして、首元に何かが触れた。


 冷たい。

 細くて、ざらりとした感触。

 それは、長い髪だった。まるで生き物のように、首に巻きついてくる。


「うわっ……!」


 むーさんは咄嗟に振り払おうとしたが、力が抜け、身体ごと後ろへ引きずられる。


 ――ドサッ!


 背中から廊下に倒れこみ、そのままズルズルと部屋の奥へと連れ戻される。

 足元には、脱げかけたスニーカーが散らばっていた。

 片方は中途半端に足に通ったまま、もう片方は玄関マットの上に転がっている。


 ――逃げようとした。

 けれど、逃げ切れなかった。

 床を爪で引っかいて抵抗しながらも、足が、背中が、冷たい何かに引き込まれていく。


 目の端に、ベッドの下の闇が広がっていくのが見えた。

 その闇の中に、**もやのような“影”**が立っていた。


 人の形。女のように見える。

 ……あの夜と同じ“影”だ。

 カラオケの後、あの時見た影と……。

 

 「ん?……影?」


 一瞬、むーさんの脳裏に、翔琉のメモの文字が浮かぶ。

 

 ──「影を重ねる」──


 確か翔琉が残してくれたメモに書いてあった。

 助かるための、何か。

 

(……影を、重ねる……)


 むーさんは浮かんだその言葉に、わずかな希望を見出そうとした。

 “助かるかもしれない”――そう思い、震える両手を、影に向かって広げた。


「……たぶん……これで……助かる……っ」


 怖い。怖いけど、やらなきゃ。

 意を決して、その煙のような影に、指先を差し出す。


 ――ヌチャリ。

 

 次の瞬間、ぬめるような冷たい感触が、指にまとわりついた。

 それは液体でも霧でもない。

 粘膜のような、何か生きたものが、肌のすき間に這い込んでくるような感触だった。


「うっ……!」


 影は指先から這い上がり、手首、肘、肩、首筋へと這い広がっていく。

 服の上からではなく、服の内側に入り込み、皮膚を這う。

 血管を伝うように、冷たい何かが身体の内側を這っていく。

 息が詰まる。寒気が止まらない。


 顔にまで影がのしかかる。

 鼻腔に入り込み、口の中にも流れ込んできた。

 むーさんは嘔吐感に襲われながら、それでも目を開けた――その先に、“目”があった。


 赤黒く濁った瞳。


 それはまっすぐにむーさんを見据えていた。

 怒り、悲しみ、嫉妬、怨念……おぞましい感情が渦巻いている。


 その目と視線が合った瞬間――

 むーさんの心臓が、一瞬止まった。

 

「や、やっぱり……怖い」

 身体が凍りつき、喉の奥が勝手に震え出す。

  肺が拒絶し、呼吸が乱れ、汗が噴き出す。


「……っ、や、やだ、ムリだッ!! ムリだって!! やめてぇぇッ!!」


 叫び声が喉を裂いた。

 両腕を振り回し、影を必死で振り払う。

 涙があふれ、鼻水と混ざり、顔がくしゃぐしゃに歪む。

 むーさんが全身で影を振り払った、その瞬間――

 影は、まるで驚いたように動きを止めた。


 “拒絶された”という現実に、ほんの一瞬怯んだ。

 伸ばしていた腕のような形が揺れ、頭を伏せるように影が小さくすぼまる。


 ――それは、泣いているように見えた。


 だが、次の瞬間。


 影の輪郭がぶるりと震えた。

 波打つように闇が広がり、怒気が部屋中に満ちていく。


「……チガウ……チガウ……」


 低く、かすれた声が呻くように漏れる。

 それは悲しみとも怒りともつかぬ、壊れた感情の残響だった。


 そして――

 首に巻きついていた髪の束が、生き物のように一気に強く絞まり、むーさんの身体を宙へと持ち上げた。

 

「っが……あ……ッ!」


 空気が入らない。喉が潰れる。

 肺が焼けるように痛い。目の奥が熱い。

 足がばたつき、壁を蹴る。けれど、影はびくともしない。


 視界がにじみ、何もかもがスローモーションになっていく。

 けれど――意識はまだ残っていた。


(だめだ……殺される……誰か……)


 むーさんは震える手で、ポケットを探った。

 指先にスマホの感触を見つける。必死で掴み出す。


 影に吊られたまま、スマホを片手で持ち、ロックを解除しようとする。

 画面がにじむ。指が震えてうまく動かない。

 顔の横に浮かぶスマホの光だけが、最後の希望だった。

 

 メッセージアプリを開く。

 樹とのトーク画面。


 打ち込む。


 『たすけ』


 て……を押そうとした瞬間、首に巻かれた髪がさらに強く締まり、骨がミシリと軋んだ。


「ッ……が……ッ……!!」


 喉が潰れる音が、自分の内側で聞こえた。

 指が止まる。

 スマホが、手から滑り落ちた。


 ――ドサッ。


 次の瞬間、影がむーさんの身体をベッドの上に叩きつけた。


 衝撃でマットレスが軋む音だけが、空間に跳ねた。

 むーさんの身体は痙攣し、一度大きく跳ねぐったりと沈んだ。


 ――グギッ!


 その音だけで、何かがもう戻らない場所へいったとわかった。

 

 首は深く折れ、口はわずかに開き、目は半ば虚ろに開かれたまま、動かなくなった。

 喉には髪の束の痕が、深く食い込んでいた。

 部屋の中には、もう何の音もしない。

 ……ただ、床に落ちたスマホの画面が、微かに光っていた。

 その文字列――


 ──『たすけ…』


 そのまま、画面が自動で暗転する。

 未送信のメッセージだけを残して……。

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