第12話 絶望の序幕
「……なんか久しぶりに甘いもん食べた気がするなぁ」
苺の乗ったケーキを前に、瞳がぽつりと呟いた。
隣で同じようにフォークを動かしながら、樹は笑う。
「甘いの、好きだもんな」
「まぁ……たまにはねぇ」
「よかった。誘っても断られなかったからホッとしたよ」
樹からの誘いで、瞳はお店にやってきた。
「ケーキごちそうしてくれるって言うからさぁ」
ケーキを見ながら瞳は満足そうにニコニコしている。
軽口を交えながらも、樹の視線は、瞳の仕草を1つ1つ観察している。
いつものお店。
ランチ後のカフェタイム。店内は相変わらず楽し気な声に包まれていた。
そんな中、1つのテーブルを挟んで、樹と瞳は向かい合って座っている。
(苺のケーキで場を和らげようと思ったけど、やっぱ緊張するな)
ドキドキしながらも、樹は意を決して瞳に尋ねた。
「実はさ、ちょっと聞きたいことがあって。……この前、事故現場でバッタリ会ったよね?」
樹はなるべく柔らかい中にも緊張感を伴った言葉を選ぶ。
「その時にさ、これ……拾ったんだけど」
言いながら、ポケットから黒いイヤホンを取り出しテーブルに置く。それをチラっと見た瞳のフォークの動きが、ほんの一瞬止まった。
そんな様子を見ながら、樹は笑顔で続ける。
「これと同じようなやつ。瞳、持ってなかったっけ?」
「……うーん、ないなぁ。こんな真っ黒な地味なやつ、使わないよぉ」
わずかに視線を逸らす瞳。だが表情はあくまで自然を装っている。
「僕のはぁ、ほら。これだもん」
言って、バッグの中から白いイヤホンを出し、樹に見せた。
「そっか。……じゃあ俺の勘違いかな。交番に届けるのも変かなと思って。でもさ、なんか妙に気になって」
「ふーん……なんでそんなに気になるの?」
逆に問い返され、樹は少しだけ視線を落とした。
「いや……あの事故の日、交差点で会話をしてる二人を見たって証言があったんだ。その目撃された人の特徴がさ……ちょっと、似てるっていうか」
瞳は苺をつつきながら、目を細めた。
「……疑ってるのぉ?」
(……ここで詰めたって、きっと何も答えてくれない。むしろ、もう二度と話してくれなくなるかもしれない……)
「いや、ただ……気になっただけ。ごめん、変なこと言った」
「ハハ。ケーキ奢ってくれるっていうから来たけどぉ、なんか取り調べみたいだなぁ」
笑う瞳の声は柔らかいが、その奥に、何かが隠されているように思えた。
(でも、ここで詰め寄るのは違う。まだ、タイミングじゃない)
「いやいや、カフェのケーキは“甘い尋問”ってことで」
「うわぁ、寒っ」
二人はそこで笑い合った。けれど、樹の中で何かが静かに動き出していた。
* * *
翔琉はひとり『カラオケ・ルンルン』の受付で機械的に手続きを済ませた。
番号は、404号室。
「よし……来たぞ」
不安と覚悟を抱えながら扉を開け、部屋に入る。
そこは至って普通のカラオケルームだった。壁にはポスター、机の上にはメニュー、マイクが二本。あの日、五人でカラオケに来た時と変わっていない。変わったのは、祥吾がこの世にもういない……という事。
祥吾が逝ってしまってから一ヶ月ほどの時間が流れていた。
あの時は、こんな事になるなんて誰も想像していなかった。みんなで歌って笑った楽しかった時間は、一人欠けるだけでこんなにも違う。
楽しい時間を過ごすはずの場所――なのに、今は空気が妙に重く感じられる。
翔琉は、部屋の電気を少し暗くし、ひとつ息を吐いた。
スマホを取り出し、以前話を聞いた桐山のノートの写メを確認する。不確実の項目に記されていた一行……。
『歌い切らなければ助かる?』
現状は不確実だ。でももし可能性があるとしたら、再度あの曲を歌って途中で辞めれば、呪いは解けるんじゃ……。
それを確かめる為、翔琉はここへやってきた。
「そうだ!この写メを樹とむーさんにも送っておこう」
言いながらスマホを操作する。送信中。……送信エラー。
何度試しても、結果は同じだった。
「電波あるのに……」
おかしい……。と思いつつ仕方なくスマホをテーブルに置くと、カラオケのタブレットを手に取る。
検索画面に『ひと恋めぐり』と入力するが、曲名が出てこない。
「あれ?……」
何度も検索をかけるが、その歌のタイトルは出てこない。焦りが込み上げてくる。
『404号室』『満月の夜』『都市伝説』とキーワードを変えても、どれもヒットしない。
「どういうことだ……?」
そう呟いたとき、ふと脳裏にさっき見た月がよぎる。
曇っていた。――満月じゃ、なかった。
「もしかして……今夜は条件が違うから……?」
満月じゃなければ、あの曲は現れないって事なのか……。
翔琉は一歩都市伝説に近づいた気がして、すかさずスマホのメモ機能に書き加える。
そう思った瞬間、部屋の空気が変わった。
冷房のせいではない。温度ではなく“気配”が、ひやりと翔琉の背を撫でた。
「……誰か、いる?」
ポツリと呟く。返事はない。それもそうだ。自分“しか”ここには来ていないのだから。
だがその代わりに、モニターの画面が突然チラついた。
ザーッ……というノイズ音と共に画面が乱れ、しばらくして黒く沈んだ。
「壊れた……?」
立ち上がろうとした瞬間、モニターに映る自分の姿がふと目に入った。
いや、違う。
影が、翔琉の動きにほんのわずかだけ遅れてついてくる。
そのズレが、逆に不気味だった。
まるで、自分とは別の意思で動いているかのように——。
「な、なにこれ……?」
(冷静に考えろ……科学的に、これは……)
その思考は、再びモニターに映った“影”によって、完全に吹き飛んだ。
(だめだ……これはもう……理屈じゃ説明できない)
翔琉の呼吸が乱れ始める。後ろに誰もいないことを確認しながら、再び振り向いた瞬間。
「……っ!」
黒い塊が、すぐ目の前に”いた”。
モヤモヤと立ち上る煤のような煙が、ゆっくりと、しかし確実に形を変えていく。
まるで悪意そのものが具現化していくかのように——。
身体に、手に、髪に……。そして人の“顔”を作った。
真っ黒に塗り潰された顔の中央に、異様なほど血走った2つの目。
「うわあぁぁぁ~!」
叫び声と共に後ずさる翔琉は、背後の壁に激突する。
息が詰まる。冷や汗が背を伝う。
そんな翔琉の様子を見て、“ソレ”は耳まで裂けた口角をゆっくりと吊り上げた。
影が、じわりじわりと迫ってくる。
「これが……影……」
息が浅くなる。視界が歪む。心臓が破裂しそうな音を立てる。
(む、無理だ。こんなの怖すぎて影を重ねるどころじゃない!)
――逃げなきゃ……でも、身体が動かない——!
「だけど、このまま逃げたら、なにもわからないまま終わる……」
(……いや、それでも――死にたくない!)
“ソレ”の目が、翔琉の瞳を真っ直ぐに見据えた。
視線が絡んだ瞬間、頭の奥で何かが弾ける。視界がチカチカと明滅し、耳の奥で声がこだまする。
『ヤァ……ッ……ト……ォ…… ア エ タ?』
疑問符がつくようなその機械のような声。しかも“ソレ”はかすかに首をかしげているようにも見える。
幻聴だとわかっていても、震えが止まらない。
影が床を這うように近づき、翔琉の足先に触れた瞬間、ビリッとした痺れが脊髄を駆け上がる。
「や、やめろ……俺はお前の——っ」
言い終わる前に、“ソレ”の腕のようなものが伸びた。
黒煙が渦を巻きながら翔琉の喉元へ絡みつき、締め上げる。
息が、吸えない。
目の前が暗くなる。思考が遠のいていく——。
その時だった。
――プルルルル。
翔琉のスマホが、甲高く着信音を響かせた。
“ソレ”はピタリと動きを止める。まるで、その音を聞いたかのように。
翔琉は咳き込みながらその場に崩れ落ちると、スマホの表示をちらりと見る。
画面には《むーさん》の名前が浮かんでいた。
(はっ。むーさんだ……!)
翔琉はスマホを掴もうとしたが、黒煙が再びもぞりと動いたのを見て手を引っ込めた。
代わりに、床に散らばったカバンを掴んで部屋の扉へ駆け出す。
スマホは床でまだ鳴り続けている。
《むーさん》の名前が、何度も点滅を繰り返していた。
* * *
404号室を飛び出した翔琉は、震える手で自転車の鍵を探し、ほとんど無我夢中でペダルをこいだ。冷たい夜風が顔を叩き、まだ心臓は激しく脈打っている。
「……なんだったんだ。あれが……呪いの正体?……」
一瞬、背筋が凍る。
呪いの都市伝説。満月の夜、404号室であの歌を歌うと、“呪い殺される”。
そのとき、空に動きがあった。
重たく覆っていた雲が、ゆっくりと流れ、ふと空を見上げた瞬間、雲の切れ間から満月が音もなく顔を覗かせる。
その冴えた光は、美しさよりも先に、冷たく鋭く、まるで“始まり”を告げるかのように。
「満月が……。あっ!そういう事か」
もしかするとさっきあの曲がなかったのは、月が隠れていたからか――。
(……今なら、出るかもしれない。あの曲……!)
『歌い切らなければ助かる』
翔琉は自然と自転車のハンドルをきる。
「恐怖」と「使命感」と「真実を暴きたい衝動」が、彼を突き動かす。
もう一度、カラオケ店へ向かおうとしたその時。
――後ろから、声がした。
「……チガウ……」
振り返っても、誰もいない。
けれど、街灯の下、アスファルトに映る“自分の影”の横に――もう一つの影があった。
長い髪。首を傾げたような歪んだ輪郭。自分の動きとは違うリズムで、その影だけが微かに揺れていた。
「……っ、なんで……」
ペダルを漕ぎ出そうとした足が動かない。心臓が嫌な音を立てて鳴っている。
──気づいたときには、背後から何かが走るような気配が迫っていた。
ガシャアアン!
突然、横道の金属ゴミ置き場が激しく倒れ、翔琉はやっと動いた足で絶叫しながら自転車を漕ぎ出す。
影は追ってくる。呼吸に合わせて、すぐ真後ろに。
「やめろっ、やめろおおおお!」
走っても、振り払っても、月明かりがある限り影はついてくる。
その時翔琉の目に廃ビルが映りこんだ。
(そうだ!建物に入れば明かりは入ってこない)
全力で走り続けた翔琉は、満月の光が届かない細い路地に足を踏み入れる。
そこにはかつて雑居ビルだったと思われる朽ちかけた廃ビルが、口を開けるように佇んでいた。
「ここなら……月の光も……ない……」
息を切らしながら自転車を放り出し、入口のガラス戸を力任せに押し開ける。中は薄暗く、空気がよどんでいた。
足元にガラス片が散らばる音を立てながら、階段を駆け上る。
踊り場の割れた窓から、冷たい月明かりが差し込んでいた。
「……光……っ!」
翔琉は瞬間、身を引くように壁際へと飛び退いた。
光の筋に触れないよう、壁伝いに体を滑らせながら、一段一段を慎重に駆け上がる。
その動きはまるで、光が“何か”を呼び寄せることを知っているかのようだった。
月明かりを避けるたび、目の端に黒い“何か”がちらつく。
追われている。それだけは確信していた。
だが、振り返ることはできない。見たら終わる気がした。
「ハァハァ……っ」
息を切らしながら、薄暗い廊下を抜け、一番奥の部屋へと身を滑り込ませる。
ただ、どこかの割れた窓から漏れた月の光が、床に細く一本走っている。翔琉はその光を跨いで、壁際に身を押し付けた。
漏れた光の中から、影が浮き出してくる。
「ヤバいっ。このままじゃ……」
翔琉は辺りを見回した。と、窓際に落ちているダンボールや木片を割れた窓の隙間に乱暴に塞いでいくと、真っ暗な部屋が翔琉の心を落ち着ける。
「……よかった……ここなら……今のうちむーさんに……」
そこまで思って気付く。スマホを置いてきてしまった事に……。
「はぁ、やっちまったな。仕方ない。朝になるのを待とう」
翔琉は壁に背を預け、震える手で自分の胸を抑える。
影は“光”がなければ存在できない。ならば、ここにいれば……。
その時。
――パチ……パチ……チッ……。
不意に、天井の蛍光灯が一瞬だけ点滅した。
翔琉は息を止める。
「……電気が……」
――ここで蛍光灯が付いてしまったら影が出来てしまう。
(頼む!付かないでくれ!)
祈るような気持ちで、点滅を続ける蛍光灯を直視する。
──パチ……チッチッチ……。
蛍光灯は壊れかけたように、不規則に明滅を繰り返し、そのたびに翔琉の足元に、“自分ではない”あの影がちらちらと浮かんだ。
「く、来るな!やめろっ」
――そして、次の瞬間、蛍光灯がバチン!と音を立てて一斉に点灯したのを合図のように、 真っ黒な影が翔琉の目の前に漂い始める。
人の形をしているようで、していない。
天井まで伸びる異様に長い髪の毛の様な束が、地面にまで落ちている。
(動けない……!)
体が凍りつく。声が出ない。
その中で、“ソレ”の声が響いた。
「チガウ……チガウ……」
同じ言葉を繰り返しながら“ソレ”は髪を自由に操り、蛇のように翔琉の首にスルリと巻き付いた。
――シュルシュルシュル……。
次の瞬間、首が強く締め上げられ……翔琉の体が宙に浮く。
もがく両手。足が宙を蹴る。
目が見開かれ、涙と涎が垂れる。
「……ぅ……あ……ッ!」
視界が狭まり、光が遠ざかる。
目に涙をため、血管が浮き出た首元を押さえながら、翔琉は最後の言葉を絞り出した。
「……や、やめろ。俺は……お前の……」
それを遮るように影の中から見えた真っ赤な口がゆっくりと、しかし怒りにも似た感情をむき出しにする。
「……チガウ……チガウ!」
機械のようなあの声。それが廃ビルに反射し響き渡る。そのまま“ソレ”は最後の仕上げに取り掛かる。
「……っ……!」
キリキリと締め付けられる首からは、もう酸素は入ってこない。
浮かび上がった翔琉の身体が、天井の蛍光灯の真下で、影の中に沈んでいく。
――そして、音もなく、彼の体は弛緩した。




