第10話 呪い…それとも
あの日、みんなで調査について話し合ってから数日後——。
樹は地図アプリとにらめっこしながら、小さな交差点を見下ろしていた。
「たぶん、ここが事故現場……のはず。うん、たぶん。いや、絶対。……たぶん?」
スマホをくるくる回していたら、画面が自動で北を向き直り、さらに混乱した。
「くっ、文明の利器……敵に回ると厄介だな……」
誰にともなく呟き、道端にしゃがみ込んで、周囲を見回す。
祥吾が逝ってしまってから、まだそんなに日は経っていないのに、通りを行き交う人々は、そこがかつて誰かの命が終わった場所だとは気づきもしない。
『海浜通り』からほど近いその横断歩道に、樹はそっと花束と手向け手を合わせた。
乾いたアスファルトに残る黒ずんだシミ。
それはただの汚れにしか見えなかった。
けれど、樹の胸には、妙な重さだけが残った。
警察の見解では、祥吾が何かに気を取られて車道に飛び出してしまったという事だった。
事故なら事故で仕方がない。でも樹はなぜかその事故に違和感を感じていた。
それは瞳の祥吾に対するあの一言……。
『……祥吾、キミ……本当に知らないのぉ?』
なぜか含みを持たせたあの言い方。
――妙に引っかかるんだよな。
そう思いながら、事故現場の周囲を見渡す。
「何か手がかりはないのか」
祥吾は交通事故にあっている。横断歩道という場所がら、一人でいたわけじゃない。周囲には色んな人がいたはずだ。それなら誰かしら目撃者がいるかもしれない。
でもそどうやってその目撃者を探せばいいのか……。
頭の中で、どう調べればいいのかを組み立てる。
と、横断歩道の向こう側に信号待ちをしている人々の中に、中年くらいの夫婦だろうか? こちらを見てるような視線を感じた。
青信号になると、そのままこちらに向かってゆっくりと歩きだし、すれ違いざまにチラリと樹を一瞥する。
その視線は絡み合い、なにか含みがありそうで――しかし、何も言わずに通り過ぎていった。
――ん?誰だろう。
特に知り合いでもないはずだが、妙に印象に残る表情だった。
中年男性のズボンのポケットから、かわいいうさぎのマスコットが覗いている。
――ずいぶんかわいい趣味なんだな。
そんな風に思いながらも、胸の奥が、ひとしずく冷たいものに触れられたようにざわめく。
すれ違った中年夫婦のことが少しだけ気になったが、その場に立ち止まりながらも気を取られている場合じゃないと自分に言い聞かせ、樹は横断歩道へと視線を戻した。
と、不意に背後から誰かの足音が近づいてくる気配がした。
「……何をしてるのぉ?」
聞き覚えのある声が耳に落ちる。
思わず振り返ると、そこにいたのは瞳だった。
「瞳!」
そこには、風になびく白いイヤホンを首から下げ、手を後ろに組みながらニヤリと笑う瞳が立っていた。
「どうしたんだよ。祥吾の事、気になってるのか?」
「まあねぇ」
眼鏡の奥にどこか冷たい光を宿した視線を、アスファルトの先に落とす。
「何を調べてるのかわかんないけどぉ。祥吾は呪いで死んだんだよ」
黒いシミの前にかがみ、いつものようにのんびりした、でもどことなく諭すような言い方で瞳は言う。
そんな瞳の態度を見て、樹はいつになくイラつきを覚えた。
「……は? 何言ってんだよ。そういえば前もそんな事言ってたな」
事故にあって祥吾が運ばれた病院で、瞳は――呪いだよ。と言っていた。
「本当に祥吾は呪いで死んだと思ってるのか?」
溜息まじりで現場をフラフラと歩く瞳に問いかける。
そんな樹の問に、更に笑みを浮かべながらコクリと頷く。
「何度も言うけど祥吾の死は、呪い。それ以外ないんだよぉ?」
「……ふざけんなよ。そんなわけ、あるかよ……!」
イラつきが顔に出る。でも、何故かその言葉が胸の奥で引っかかっていた。
――呪い。
そんな非現実的な事が、起こるわけが無い。でも瞳の表情は真剣そのものだった。
「呪いって……。いまどきそんな事があるわけないだろう?」
「そぉ? 無いって言い切れる?」
瞳の言葉に、ぞわりとした寒気が背を撫でた。
「まさか、そんな『呪い』って言葉で、祥吾の事故死を片付けようとしてるんじゃないよな?」
夕暮れ時の交差点。2つの影が長く伸びている。
その1つの影がスっと動く。瞳が樹に一歩近づきながら、なぜか少し楽しそうな口調で話す。
「あの時さぁ。みんなで行ったカラオケ」
突然の言葉に、樹は瞳を見る。
「あのカラオケがなんだって言うんだ?」
「前にも言ったけど。試したじゃない、あの都市伝説を……」
――都市伝説。
確かにそんな会話があった。
樹はその時の事を思い出す。
『満月の夜、404号室で『ひと恋めぐり』を歌うと、自殺した彼女が現れて呪い殺される』
確かそんな内容だった。そしてあの日は……。
「あれ、わざとだったのか……? まさか、呪いを試そうとして……?」
樹の声には、呆れと苛立ちが混じっていた。
瞳はうなずく。
「僕は……あの場で確かめたかったぁ。どこまでが噂で、どこからが現実なのか。でも、結果はもう出たじゃない」
「……結果って、祥吾のことか?」
瞳は黙って頷いた。
「都市伝説なんて、最初は信じてなかったんだよぉ」
瞳は微笑む。けれどその笑みに、温度はなかった。
「でもさぁ、誰かが本気で信じれば、噂は形を持つ。呪いってのは、そういうもんなんだろぉ?」
「……まさか、それのせいで祥吾が死んだって言いたいのか?」
「違う。それの“せい”じゃない」
瞳がさらに一歩、樹に近づく。
「呪いは、“選ぶ”んだぁ。苦しみや憎しみを抱えた奴を。……そして、引きずり込む」
その言葉を聞いて、樹の喉元を冷たい何かが通り過ぎていく。
「……祥吾はさぁ。自分でも気づかないうちに、“呪われる理由”を抱えてたんだよ。そういう奴が、一番危ないんだぁ」
樹は思わず眉をひそめた。
「呪われる理由? ……意味がわからない。祥吾が何かをしたっていうのか?」
「知らないままの方が、幸せなことってあるんだよぉ?」
瞳はふっと笑う。けれどその笑みは、冷たく、悲しげでもあった。
「でも、呪いってのは……ちゃんと見てるんだよぉ。どんなに隠しても、心の奥底にある“業”を……ね」
瞳はそれ以上なにも言わず、片手を左右に振りながら踵を返し、ゆっくりと歩いて行った。
樹はその後ろ姿を見送るしかなかった。でも、やはり疑問は残る。
――瞳はなぜあそこまで呪いに固執するんだ?
気味が悪い。けど、言葉の端々に引っかかるものがあったのも事実だった。
『呪われる理由を抱えていた』――まるで、祥吾に後ろ暗い過去があったとでも言いたげだった。
「……馬鹿げてる」
自分に言い聞かせるように呟きながら、樹はもう一度現場を見渡す。
と、その時ふと視線の先になにかを見つけた。
横断歩道付近の植え込みの中に、何かが光っている。しゃがんで拾い上げるとそれは黒いイヤホンだった。片耳分だけで少し傷もついている。
「……落とし物?」
とりあえず拾ってポケットにしまう。正直事故とは関係ないかもしれないが、なにかが樹の胸に引っかかった。どこかで見た覚えがあるような……。
風が吹き抜ける中、周囲の空気がほんの少し冷たく感じられたその時、ポケットの中のスマホが震えた。
――プルップルッ。
着信の名前は、むーさんだ。
「もしもし?」
『オレ。あのさ……やっぱり、呪いって……あるのかな』
むーさんの声は、少しこわばっていた。けれど、何かをこらえるような響きがあった。
「うん……今、いろいろ調べてる。……でも、なかなかはっきりしなくてさ」
樹は周囲を見渡しながら、小さくため息をついた。
「祥吾の事故が“普通の事故”だったのか、そうじゃなかったのか……。今のところは、それだけ」
電話の向こうで、むーさんはしばらく黙っていた。
『……オレなにか手伝えないかな』
「……むーさん、いいの?」
『うん……なんかこのままじゃいけない気がして』
樹は、その言葉に少しだけ笑みを浮かべた。
「ありがとう。じゃあさ、もし大丈夫だったら……後で、ちょっと話そう。なにか、見えてくるかもしれないから」
『わ、わかった』
その一言の後、電話は静かに切れた。
風が、また一度だけ通り過ぎていった。
――そうだよな。本当に、もし本当に呪いだとしたらそれを回避する方法を探さないといけないし、呪いじゃなく他の仕業だとしたらしっかりそれも調べきゃな。
樹は自分を奮い立たせるように深く息を吸い、足を動かし始める。
横断歩道の周辺のお店や喫茶店、コンビニなど1つ1つ訪ね、祥吾の事故当日の事を覚えていないか聞いて回る。
「あぁ、救急車とか来てだいぶ騒ぎになってたねえ」
「ごめんね。詳しくは知らないんだよ」
「事故、あったよね。若い人が倒れてたような……」
断片的な証言ばかりで、核心には辿りつけなかった。
――情報って、思ったより簡単には集まらないもんだな……。
スマホをポケットにしまい、樹は夕焼けに染まる街を見上げる。
(結局、何も掴めなかった……)
手応えのないまま、樹は調査をいったん切り上げた。
樹は、足取りも重く自宅への道を歩いていた。
日が落ちるにつれ『海浜通り』周辺はネオンと車のライトに照らされ始め、活気のある声が遠くに響く。
――これといった収穫もなかった……。
心の中でため息をつきながら玄関の鍵を開ける。靴を脱ぎ、リビングの椅子に身を沈めた瞬間、疲れがどっと押し寄せた。
「はぁ。自分がなにをしているのかわからなくなってきた」
頭を抱えながら、瞳の言葉を思い出す。
『呪いなんだよぉ』
いやいやいや……。呪いなんてあるはずがない。
心を落ち着けようと、キッチンに向かいコーヒーを入れる。カップから立ち上る湯気とほろ苦いコーヒーの香りが鼻をかすめた。
一口飲むと、温かい温度が喉を通り過ぎる。身体が少し温まってきたおかげか、少し落ち着きを取り戻す。
「……まだ、やれるよな。翔琉だって恐怖の中で頑張ってるんだし」
そう呟いて、スマホを手に取る。
SNS検索機能を駆使し、『交通事故』『海浜通り付近』思いつく限りのワードを入力していく。
――祥吾の事故を目撃したとか、それに関する投稿をしている人がいないか?
検索結果は多く、無関係なつぶやきや写真も混じるが、根気強くスクロールしていくうち、ある投稿に目が留まった。
《もめていた様に見えた。一言二言会話していたような……》
投稿者は匿名のアカウント。詳しいことは書かれていない。だが、その言葉には何か含みを感じさせる違和感があった。
樹はすぐにそのアカウントを遡り、プロフィールや過去の投稿を確認する。事故当時の投稿はなかったが、近しい日にちのつぶやきだった。
……もしかして、あの事故を直接見てたのか?
すぐにDMを送る。
『突然すみません。あなたの投稿を見て連絡しました。書き込みの事故について、お話を伺えないでしょうか?』
メッセージを送り終えた指先が、わずかに震えていた。
画面は沈黙したまま。返事が来るかどうかも分からない――それでも、何かが動き出す気がしていた。




