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第一章 8 エレカ・ヤヒメ

 部屋のテレビには、トロポス・ストラト境壁で最も大きな中央ゲートの突破を試みようとしているミクシアンの人々が映し出されている。現在進行形で発生している抗議運動で、エレカの身柄を抑えようとしたガードたちが対応に駆り出されたのもこの場所らしい。

 ゲートに殺到した群衆の前に大量の警備ボットが立ち塞がって、スタンニードルを撃ち込む。警備ドローンが上空から催涙ガスを散布する。ガードがぐったりしたミクシアンを引っ張り出し拘束する。それでもミクシアンたちはゲートの先を目指して突撃を繰り返す──。


「未来もこんなことが茶飯事なのか」


 リズカードはエレカにそう訊ね、最後に残ったベリーを口に含む。すでに満腹のエレカは、デリバリーボットをウェットティッシュで拭きながらうなずいた。


「最近は特に多い、ですね。『オルガン・ミクシアン関係調整法』っていう法律が施行されそうで、あまりに不平等なのでミクシアンが怒っているんです」

「関係調整法……回りくどい名前をつけるものだ」


 口元をナプキンで拭いながらリズカードは言う。


「要するに支配を合理化しようと権力者が目論んでいるのだろう。まだ詳しく聞いていないからこれは推測だが、ミクシアンはオルガンという『貴族』に使役される人々のことを言うのだと俺は考えている。違う点があったら指摘してほしい」


 いかにも中世らしい解像度の表現だが、千年と二百年前から来たばかりでオルガンとミクシアンの権力勾配を見抜くのは流石だ。

 ただ、現実はそう簡単に括れるものではない。


「……オルガンが貴族みたいな特権階級だとすると、リズカードさんがオルガンだと断定できるのは変だと思いませんか」


 エレカはリズカードの推論にある矛盾を突いた。リズカードは大きくうなずく。


「ああ、それは思っていた。今の俺はこの時代にとって何ら意味のない人間だ」

「そんな卑屈にならなくても……」


 むしろエレカは、今の時代にこそ、リズカードのような英雄が必要なのではないかとすら思うが、それは話が逸れてしまう。エレカは続けて言う。


「私はミクシアンですが、リズカードさんと決定的な違いがあります。それは〈ミクシア〉と呼ばれるマイクロ・ボットを体内に入れていることです」

「マイクロ・ボット?」

「ナノマシンとも言いますが、肉眼で見えないほど小さな機械です。この子みたいな機能を持った汎用ボットが数億体ほど私の血管ネットワーク中を行き交っています」


 エレカはデリバリーボットの天板に設けられたセンサーに手をかざす。するとそのボットは、パンポーン、と軽快な音を立てて、テーブルを収納して料金をディスプレイした。


「エレカ・ヤヒメさま、ご利用、ありがとうございました」


 ボットはぺこりと頭を下げると、コトコトと音を立てて動き出す。エレカが立ち上がってドアを開けてやると、人間のように会釈して出て行った。


「こうやって、どこか身体の一部でもセンサーで読み取るだけで、中央のデータベースと照会して身分が証明されるんです。普通の人はこうやっていろいろなサービスを受けます」

「……凄まじい技術だな」


 リズカードは呆然と呟いた。すんなり受け入れる理解力も凄まじいとエレカは思う。


「そのほかにも血圧や体脂肪率、血中酸素量、喜怒哀楽の感情レベルや各種臓器の状態なども、常に体内からモニタリングされていて、一定の不調ラインを超えると問い合わせが来て適切な治療を受けたりできます。あとはこうやって、近くの外部デバイスを脳波で操作できたり」


 エレカが中継を続けるテレビに視線を向けると、ぷつんと音を立てて電源が切れた。それを見てリズカードは「おお」と声を漏らし、エレカに向き直る。


「スマートデバイスもその力で操っていたんだったな」

「他には……犯罪を犯したミクシアンは公安データベースに組み込まれて、ずっと現在地を把握されたり、犯罪歴が誰でも見られる身元データに記録されます……今日、リズカードさんが来なければ、私もそうなるところでした」


 エレカは話しているうちに、あの時の恐怖が蘇ってきた。さっきまでテレビに映っていた、ガードに取り押さえられれたミクシアンたちと自分の姿が重なる。肌に触れると、汗代わりのヴィス粒子がかすかに浮いていた。


「そうか。逃げられた時は肝が冷えたが、余計な世話でなかったのなら良かった」


 リズカードの言葉にエレカはぎくりとする。


「あ、そ、それは……すいません。亡くなったばあちゃんに、親切にされてもどうせ下心があるから、逃げろって教えられてて、それで……」

「ふむ、そういうことか。それなら君にどうこう言う筋合いはないな。……さて、ミクシアンはミクシアという極めて小さなボットを宿した人々ということはわかった。オルガンはその逆で、何の機械を身体に入れていない人々、ということでいいか」

「そうです。なので、中世から来たリズカードさんは確実にオルガンとなります」


 エレカはリズカードにスマートデバイスを手渡してみる。ミクシアン用の機種なので、リズカードがどれだけいじくり回しても、うんともすんとも反応しなかった。


「なるほど。人工機械を入れたミクシアンに対して、自然生命的(オーガニック)というわけか──それはわかったんだが、かなり違和感を覚えるところがある」

「違和感、ですか」

「俺の視点ではミクシアンの人々の方が有利なように思える。オルガンは脳波で機械を操作できないし、即座に身元の証明もできずに不便極まりない。なのに今のクインティトではオルガンの方が偉そうな顔をしている。何故だ?」


 その視点にエレカは衝撃を受けた。確かに、まっさらな状態で今の世界を見れば、そうなるのかも知れない。

 けれど、現実にクインティトはそうなってはいない。オルガンが上層部を占めるライゴーという企業が、リズカードの言うように〈支配〉している。

 どうしてそんな逆転が起きているのか、それはミクシアンとして生きていればわかる。


「彼らにとって、私たちが不自然な存在だからです」


 純粋な肉体を持つオルガンと違い、人工的なシステムを埋め込んだミクシアンは奇矯にである。そういう通念が普通だから、オルガンたちは平気でミクシアンを見下し、社会の部品のようにシステムの中へと組み込むのだ。

 しかし、リズカードはまだ腑に落ちていないような顔をしている。


「ふむ。そういう価値観があるのは想像がつくが、それでもまだ逆だろうと思えてならない」

「逆?」

「ミクシアのような最新技術を真っ先に導入するのは上層の人々だろう。仮にこれが千年前なら、あちこちの領主どもがこぞって独占する光景が目に浮かぶ。なのに使っていないことをあえて誇るのは変だ」


 確かにミクシアが普通の発明品なら、そう考えるのが自然なのかも知れない。

 ただ、オルガンたちにはミクシアを入れていないことをアイデンティティにできる歴史的な経緯がある。


「実は……ミクシアは、私たち自身が望んで入れているものではないんです」


 エレカが言うと、リズカードは怪訝そうに目を眇める。


「上の連中に強制されているということか?」

「……いえ。私たちの身体の中に最初から入ってるんです」

「最初から……? どういうことだ?」


 一瞬で知識を吸収して自分のものにしてしまう賢迅でも見当のつかないこと。

 エレカは少しの罪悪感を覚えながら、ミクシアンがミクシアンたるゆえんを口にした。


「ミクシアンとは、生まれた時からミクシアを宿した人々のことを指します」


 リズカードは一瞬、理解につまづいたようだが、やがて察したように大きく目を見開いた。


「もしや……ミクシアはそれを宿す両親から受け継がれる、ということなのか?」


 エレカはうなずいた。そう、ミクシアという機械は遺伝するのだ。

 本来なら恩寵と思われるような奇跡的な出来事かも知れない。しかしながら、その起源には暗いところがある。エレカは自分が知る限りのことをリズカードに話した。


 もともと〈ミクシア〉は二五十年ほど前、抗がん治療医療目的で開発されたマイクロ・ボットだった。血中に流れるがん細胞を破壊して、体内の他部位への転移を防ぐのである。

 だが、後年その特許が切れると〈ミクシア〉のジェネリック品が大量に出回り、価格が大幅に下落した。そうした流れの中、皮算用で無茶な投資を行って破綻する会社が多くあり、その厖大な在庫が闇市場に流出したらしい。


 闇市場を取り仕切っていた犯罪組織はミクシアを改造して多様な機能を持たせ、法外な値段で転売した。特に、脳の神経系をに干渉して興奮を司るドーパミンを好きなタイミングで分泌し、自家中毒的に酩酊するドラッグ機能は人気で、新しいテクノロジーに抵抗のない貧困層の若者がこれに飛びつき、急速に普及したらしい。


「正規品のミクシアは治療を完了したら機能を停止して自然と排出されるようになっていたんですが、違法なミクシアは売りっぱなしでアフターケアをしないので、入れた人たちはそれを体内に残したまま、それぞれの人生を過ごしてきます」

「そして、子供が出来てびっくり、か」


 ミクシアの遺伝性が判明した時には、世界には相当数のミクシアンがいたという。マイクロ・ボットが遺伝するなんて誰も予想していなかったから、この報告は世界中をほとんど発狂といっていいくらい混乱させた。


 当時から違法ミクシアの流通には違法ドラッグと同様の規制がかけられていたから、最初のミクシアンたちは罪の子として白眼視されて、たいそう迫害されたらしい。ただ、オルガンたちがどんなに追い詰め、締め付け、脅かしても、ミクシアンの数は増える一方だった。ミクシアンが生まれながらに持つミクシアには、かつてのような違法性のある機能はなく、むしろ体内環境の浄化により健全な肉体と精神力を与えるようになっていたのだ。


「それから二世紀が経ち、ミクシアンは人口の七割程度を占めるようになりました……これがミクシアンの間で伝えられることです。私はばあちゃん……育ての親から教わりました」

「納得した。つまり、もともと違法ミクシアなどに頼る必要のなかった人々、つまりオルガンにとって、ミクシアンは全員、闇社会にルーツを持つ存在に見える。ゆえに、むざむざ自分からマイクロ・ボットを入れて汚れにいくことはない、ということか」

「そうです、すごいですね……」


 中世から来たばかりでよく理解してくれる。気味の悪さすら覚えるレベルだ。

 早い話が、違法ミクシアは社会の低層にいると言われる人々に流通してきた。上層で「健全に」暮らす人々には無縁のことだったので、一方的な敵意を受けていたわけだ。


「でも、わかってほしいのは今を生きているミクシアンのほとんどは、闇社会との関わりはない、普通の人たちだっていうことなんです。両親のどちらかがミクシアンなら確実にミクシアを受け継ぎます。なのでミクシアはあっという間に広まって、かなり早い段階で社会の暗い部分から逃げ去っていたんです」

「ああ、ミクシアンの親切なら痛いほど知っている。山から出たばかりの俺をここまで導いてくれたのは、エクソスの名も知らぬミクシアンふたり組だった」

「そうだったんですね……」


 恐らく、ミクシアンと勘違いされて施しをされたのだろう。かつて迫害された時の名残なのか「ミクシアンの紐帯」と言われるほど、ミクシアンは困った時によく助け合う。


「それで、オルガンがミクシアを必要としない上層階級の人間たち、というのはわかったが……フルシークレットだったか。同じオルガンでも何の身元もない俺が、どうして君をガードから解放することができたんだ。普通に考えて情報がない方が弱いだろう」


 確かに、リズカードの視点から見ればそうかも知れない。

 だが、エレカは静かに首を横に振る。


「この街では個人情報を明かさなければ明かさないほど強いんです」

「そうなのか?」

「全てのミクシアンはその辺のスマートデバイスで身元データをスキャンできて、氏名や年齢、住所が簡単に割れます」


 実際今日も、エレカの住所がないことや、高校を中退していることがガードたちにあっさり知られてしまった。そのどうしようもない屈辱感は今でも鮮明に思い出せる。


「一方でオルガンの身元確認は生体情報──指紋や声紋、虹彩を提供してもらう必要があるし、公開レベルも本人が自由に設定できます。地位のある人ほどセキュリティをかけたりして情報を守りますから秘密領域は増えます」


 そして、そのセキュリティを導入していること自体がステータスになり、中身の個人情報を見せる必要はますます減っていくのだ。

 オルガンたちが個人情報を自分の意志で隠せる一方、スキャンひとつで遺伝子情報まで知れるミクシアンは裸で歩いているのと変わらない。だから、この街では秘密が多いほど身分が高い、あるいはそう思い込まれる傾向があった。


「つまり、完全に情報を隠した人間は触れるのも恐ろしいほどの高位の人間になるのか」

「その可能性がとても高いということです。顔を隠した人がなんか怖いのと同じですね。だから、深く首を突っ込まない対処をすることが多いみたいです。リズカードさんの場合はほとんどハッタリですけど……」


 現今の制度では身元データは生まれた瞬間に作成されるが、それ以前から生きているリズカードはそういった情報管理システムと無縁だ。先天的なフルシークレットとも言える。

 エレカの言葉にリズカードは納得したようにうなずいた。


「ハッタリ、なるほど、今の俺にぴったりの表現だ。情報のないことで相手に畏怖を与えるが、その実態は虚無でしかない……」

「なんだか、そういう魔法みたいですね」


 ふと思ったことを口にすると、リズカードは笑った。


「はは、まさしくそうだ。せっかく使える虚仮威しの魔法なのだ。今後、使える場面では役立てていくとしよう」


 ひとまず知りたいことを知れて彼は満足しているようだった。エレカはうまく説明できたと一安心すると同時に、理解を得たリズカードが初めて会った時よりも、ずいぶんと頼りがいがあるように見えてきた。

 この人と一緒なら、私は居場所を見つけられるかも知れない──。

 そんな予感にエレカは少しの希望を見出していた。

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