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第一章 6 エレカ・ヤヒメ

「灰色の道はアスファルトという素材が由来で、固まる前は流体だから好きな形に道を均せるのか……その上を自走する箱は自動車で電気を用いて自走する。車に限らずほとんどのものは電気を食って作動する。あの建物に貼り付けられた、別の景色が見える窓のような巨大な板も……あれはディスプレイといって、本のように保存されたデータを読み取って映像に変換する……か。ふむ、理解してなお、未来は意味不明だな」


 彼はエレカが教えたことをぶつぶつと繰り言していた。この時代に来たばかりで仕方ないとは思うものの、ずっとこんな調子だし、エレカは早くも頭が疲れて、早くシャワーを浴びて欲しいな、としか考えられなくなっている。

 エレカは自分の粉が出る体質を汚らしいと思い、頻繁に風呂を入る生活をしてきたせいで、清潔感に敏感な性格になってしまった。粉の正体がヴィスという魔法の源であるとわかったところで、長年の潔癖は肌に染みついてしまっている。いきなり克服なんて無理だった。

 ストラト区ならシャワーを浴びられる施設はいくらでもあるが、エレカにはこの中世男が、現代のシャワールームを説明なしに使えるとは思えなかった。中途半端な洗い加減で出てこられても困る。

 とすれば、自分がレクチャーするしかない。そのためには──。


「……あの、今日はもう、一泊できるところを探しましょう」


 エレカがそう告げると、彼は空を見上げた。


「ん、まだ明るいが シャワーとやらはいいのか? 汚いのは嫌なんだろう」

「シャワーが部屋についてるホテル……宿を探します」


 エレカが直接シャワーの仕組みを教えるにはその方法しかないし、どの道、寝床は必要になる。時間は少し早いが今日はいろいろあって疲れたし、腰を落ち着けたい気分でもあった。

 ざっとスマートデバイスで検索したところ、近場のホテルは安くとも一泊数万ネスタもした。ふた部屋とれば単純に二倍。彼はどうせ金なんか持ってないだろうし、エレカのとても貧しい懐事情を思うと、頭がくらくらしてきた。

 今後、収入があるかもわからない身分なので少しでも出費は抑えたい。エレカは複雑な気持ちを抱えて、デバイスを操る様子を興味深く眺める彼に訊ねた。


「……あの、同じ部屋でもいいですか」

「ああ、構わない」


 彼がなんてことのないようにうなずくので、なんだかくさくさと考え込んでいた自分が馬鹿らしくなる。そうあっさりと言うならなんてことないのだろう、と半ばヤケになって、近場で最安値のツインをひとつ取った。


「なあ、その見ているだけの板は何なんだ? そこら中の人間が全員持っているようだが」


 今夜はエレカと同室になったという事実なんてないかのように、彼が訊いてくる。


「えっと……これはスマートデバイスっていう、モバイルコンピューターのひとつで……見てるだけに見えても、実態は脳波で操作してるんです」

「モバイルコンピューター……は今は措いとくとして、ノウハとは何だ?」

「脳波っていうのは、えっと、脳の活動で起こるもので──」


 スマートデバイスひとつをとっても、質問がどんどん飛び出してくる。どんどん質問が飛び出し、まるでひっきりなしに知識テストを受けているような気分だ。高校で必死に勉強していて良かった、とエレカは思った。


 ホテルへのチェックインは未成年のエレカがやると面倒なので、彼のフルシークレットを盾に通過した。相変わらず自分の身分がどういうものかわかっていないらしい彼は、またもあれこれエレカに訊ねようとしてくるので、怪しまれないうちにエレベーターに押し込む。


「な、この箱は何だ?」

「エレベーターといって垂直方向にフロアを移動する機械です」

「ああ……これがあるから、バカに高い建物ばかり建てる気になるのか。それで、このライゴーという名前をよく目にするが、これは何を意味するのだ?」


 エレベーター内に設置されたディスプレイを見て彼は訊く。エレカはどうやったら過去から来た彼に伝わるのか必死で考え、説明を構築する。


「えっと、ライゴーは世界的な団塊(カトラ)企業で、ライゴー一族の経営するクインティトの基幹企業です。普通、ライゴーというと持株グループ全体を指しますけど……要するにめちゃくちゃ大きな会社ですね。ほとんど全ての業種をカバーしていて、この街の人口の半分以上がライゴーの関係者です」

「半分以上だと? 企業というのは商工組合(ギルド)の発展したものとはさっき聞いたが、異常な規模だな……つまりクインティトはライゴーという組織に乗っ取られているのだな」

「うーん……まあ、そう考えた方がわかりやすいかもです」


 こういう単独の団塊企業の経済力で栄える都市の形態を「企業都市」と言うが、その是非は世界中で議論の的となっている。企業の倫理観がそのまま市政に反映されてしまうからだ。クインティトの場合、トロポスというオルガンのみで構成された最重要地域と、ストラトというオルガンとミクシアンが共同で暮らす折衷地域、そして、エクソスというミクシアンのみが暮らす辺境に分断されてしまっている。社内の序列と思想がそのまま街並みに現われているのだ。


「……それは確かに難儀だな」


 彼は呟く。何が難儀なのか、少し気になったが、エレベーターが目的の階に着いたので、その話は一区切りとなった。

 部屋のノブを握ると認証がなされ電子鍵が解錠された。内装はシンプルな作りで、真っ白なシーツのベッドがふたつ、それからオプションのテレビや端末、冷蔵庫、各種給電器など。エレカが元々住んでいた家よりも広かった。


「ほら、こっち、来てください」


 エレカは荷物を置くとすぐに浴室へ向かって、興味津々にあちこち見渡す彼を手招きする。


「それがシャワーか? なんだ、湯浴みのことを言うのか」

「これから使い方を説明するので、よく聞いて、完璧に綺麗な状態で出てきてくださいね」

「……なんというか、お手柔らかに頼む」


 年上の男にシャワーの使い方を教えるなんて奇妙な体験だった。浴室にはパネルがあって、どのパラメーターをいじると湯が出て、冷水が出るか、温度と水圧を調節するのか、どの部位にどの石鹸を使うのか、徹底的に教え込んだ。


「……使い方はざっとこんなです。質問ないですか?」


 とりあえず、して欲しいことは伝え終えたつもりだ。後は彼を信じるしかない。


「ふむ、とりあえず質問はない。使ってみてだな」


 そう言って、彼はいきなり自分のシャツをむんずと掴み、エレカの目の前で脱ぎ始めた。エレカは慌てて視線を逸らして、悲鳴をあげる。


「わーっ! ちょちょちょ、ちょっと!」

「んっ? も、もう何か間違えたか?」


 彼は動揺しながらも何故か腕を止めず、しっかり半裸になる。異性の前でも全く気にしない文化だったのか、エレカが異性として見られていないのか──いずれにせよ良いことではない。


「現代の価値観では人に半裸を見せるのは恥ずかしいと思うことなんですっ」

「ああ、なるほど……君が出て行くのを待つべきだったということか。すまないな」


 ちゃんと察しているので、なんとも言えない気分になる。


「もうっ……」


 釈然としない思いで、エレカは彼の裸身をなるべく見ないように浴室を後にしようとする。

 だが──ふと、仄かな輝きが視界の端に飛び込んできて、エレカは思わず足を止めてしまった。さっきまでの恥じらいも忘れて、光の源に目を向けてしまう。


「えっ、その、結晶って……」

「ん? ああ、これか」


 彼は自分の腹部を見下ろす。そこには、不思議な色合いをした結晶体がしっかりと埋め込まれていた。長い間はめ込まれてきたからか皮膚と結晶体の境目には、赤黒い縮れたゼリーのような組織が張り付いていて、少しグロテスクだった。


「これはヴィス結晶だ。ここから放射される魔力を使い療養魔法をかけ続けることによって、俺の身体は千年生きながらえてきたんだ」

「す、すごい……そうやってお腹に入ってると、まるで『賢迅伝説』みたいですね……」


 エレカはまさかと思いながら言う。『賢迅伝説』とはクインティトを代表する中世譚だ。数々の創作のモチーフとなってきた物語で、歴史上に実在した〈賢迅〉が難事件を解決したり、戦争で活躍する様子が描かれている。その物語の最後で、賢迅は腹部に大きなヴィス結晶を埋め込み、宿敵である隣国の将軍のもとへ捨て身の攻撃を仕掛ける、という節があった。

 そんなエレカの呟きを聞いた彼の目がぱっと見開かれた。


「賢迅! 未来でも、その渾名で呼ばれることがあるとはな」

「えっ……え?」


 その時、エレカはようやく、自分が彼の名前を聞いていないことに気がついた。

 エレカは震える声で訊ねる。


「えっ、え、えっ……あ、あなたの名前って……」

「そう言えば、俺が世界について質問するばかりで俺自身のことは話してこなかったな」


 そう前置きして彼は言った。


「俺の名前はリズカード・オーウェンという」

「……ひっ」


 エレカの口から小さな悲鳴が漏れた。

 やっぱり。

『賢迅伝説』に伝わる主人公の名前は──リズカード・オーウェン。

 自らの身を犠牲に人々を救った悲劇の賢者だ。


「賢迅リズカード……ほ、ほんとうにいたんだ……」


 あまりの衝撃に、エレカはへなへなとその場に尻餅をついてしまう。


「お、おい、大丈夫か……」


 リズカードと名乗った彼は慌ててその身体を支えようとするが、躊躇うようにその手を止めてしまう。ああ、潔癖な自分のことを気遣ってくれているんだ、と現実感の薄くなった意識の中でエレカは思う。一度、聞いたことは忘れない。その理解の(はや)さ、(さか)しさこそ、リズカードの特異なのだ──。


「お、俺はどうしたらいいんだ?」

「……ご、ごめんなさい」


 エレカは壁に手をついて、生まれたての動物みたいな足取りで立ち上がると、なんとかシャワー室の外へと出た。


「その、えっと、ま、まずはシャワーを浴びて……それから話を聞かせてください」

「ああ、わかった」


 リズカードは神妙な顔でうなずくと、シャワー室の扉を閉めた。

 それを見届けたエレカはふらふらと居室の方へ戻り、ベッドにぼふんと身を横たえる。しばらくうつ伏せでぼんやりして、それから枕を胸に抱き寄せて仰向けになった。


「ど、どうしよう……」


 偶然、道連れとなった変な男は──中世の英雄だった。

 そんな人の案内人がこんな私に務まるんだろうか。

 興奮よりも不安の方が遙かに優っていた。心臓のバクバクは留まることを知らず、お腹の底から吐き気が少しずつ上ってくる。

 ふと、リズカードの台詞が脳裏によぎった。


 ──君といれば、俺は少しだけ魔法を使える。


 ああ。そうか。エレカは自分の頬に手を触れる。まっさらな肌。

 大嫌いな体質だったけれど──あの人が魔法に変えてくれた。

 千年の時を超えてやってきて、頼りになる人もおらず、右も左もわからず得意な魔法も使えない。そこで魔法の源を生み出す私に出会い、協力すると告げたらあんなに喜んでくれた。


「あの人も、私と同じ……」


 リズカードも不安の中にいるはずだ。それなら、一緒に乗り越えなきゃ。

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