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第一章 4 エレカ・ヤヒメ

 エレカ・ヤヒメは、ストラト・トロポス区壁のゲートの前で、警備ボットに四方を完全に包囲された状態で、対応に駆けつけたライゴー・セキュア株式会社のガードふたりへ必死に訴えかけていた。


「わ、私はダルタイン=ライゴー常務理事の娘なんです! ミクシアンでも、ライゴー社員の親族であれば中枢区(トロポス)への立ち入りが認められているはずです!」

「はあ……今まで、何万人のミクシアンがそういう口実で侵入しようとしてきたかわかる?」


 ガードのひとりが呆れたように言った。彼はライトチタン製のボディスーツとロボットのような無機質なフェイスマスクを身につけ、腰にはライゴー・セキュア社内製のスパークガンがぶら下がっている。電極弾を放って暴れるカバでも意識が吹っ飛ぶくらいのものだ。不機嫌そうなもうひとりのガードも同じ装備をしていて、四方を取り囲む警備ボットは、特殊な針を射出し神経を麻痺させるスタンニードルの照準をエレカに向けている。

 それだけトロポスという無菌室に、ミクシアンという混種を入れたくないのだ。

 エレカは腹の底からジリジリと湧き上がる嫌な気持ちを抑えながら、ポケットからひとひらの情報端末──スマートデバイスを取り出した。


「ばあちゃん……亡くなった養母から私自身の出生データを預かってます。これがあればゲートを通れると聞いていたんですが」

「そのデータが正しかったら、俺たちは今頃バックヤードにいるんだがね」


 そう言って、ガードは有無を言わさず手に持ったセンサーガンでエレカの首筋を照射した。エレカの全身にチクリとした感触が走る。そうして、ガードはフェイスマスクに表示された情報を読み上げた。


「エレカ・ヤヒメ、一七歳、女、ミクシアン、住所はエクソスの春・三七……これは前のもので今は住所不定。エクソス立第三七高校中退、現在無職。後見人はドグナ・ヤヒメ、ミクシアンの養母……故六七歳、故人か。両親は不明、遺伝子情報にオルガンの器質は認められない」


 身も知らぬ他人に自分の個人情報が読み上げられている。その羞恥もさることながら、最後に付け加えられた情報は聞き捨てならなかった。


「そ、そんなはずはありません! わたしはオルガンの近親者です! 出生データにだってそう書かれて──」

「出生データなんて所詮、記録でしかない!」


 エレカが反駁を遮って、もうひとりの不機嫌なガードが強い語調で言った。


「記録である以上、いくらでも偽造できる。だがな、ヤヒメさん、たった今、この場でスキャンした君自身の遺伝子が、あんたは生粋のミクシアンだと証明しているんだ! そこに何の隠し立てができる!」

「う、でも……」

「唯一の身寄りがいなくなって動揺したのはわかるが、トロポスへの侵入は未遂でも前科になる。誰でも参照できる身元データに、二〇八七年、トロポス侵入未遂、って今から刻まれるんだ。高校中退のミクシアンで前科持ちとなれば……ストラトすら一生入れないだろうな」


 馬鹿なこった、と吐き捨てられる。その侮蔑のこもった鋭い子音を耳にした瞬間、エレカは足下がガラガラと崩れ落ちていくような感覚に襲われた。

 ああ、ばあちゃん……やっぱり、私、どこにもいけないみたい……。


 ──あたしは明日生きていられるかもわからないみたいだ。この秘密は墓まで持っていくつもりだったけど……あのバカに爆弾を残していくのも、面白いかも知れないな。


 数ヶ月前、入院費が払えなくなって自宅に戻ってきた養母は、この世の終わりのような顔をする養子のエレカに、一枚の古い記録カードを取り出して見せてこう言った。


 ──あんたの父親は、ダルタイン=ライゴーだよ。

 ──えっ? あ、あの、ニュースでよく見る、ライゴーで三本指に入る偉い人……?


 突然の告白に戸惑うエレカの手に養母は記録カードを握らせる。


 ──ああ。ここには、それを証明するデータが入ってる。これを根拠にトロポスに入れれば、もしかしたら、あんたが望むような人生が手に入るかもね……。


 養母は面白そうに笑い声をあげた。意地悪好きだったが養母がエレカをびっくりさせた時によく立てた笑い声。腹が立ってしょうがない、けれども死の際となっては愛おしくて仕方のなくなった笑い声。


 ──ばあちゃん……。

 ──泣き顔が似合うね、エレカ……かわいそうな子だよ。なあ、あんたはどのみち、これからひとりぼっちさ。そのカードにはあんたにまつわる事実が詰まってる。どういう未来でどういうひとりぼっちを生きるか、それくらいは自分で決めるんだよ。


 エレカは何と返事をしたのか覚えていない。数日後、養母は満足したように静かにこの世を去った。最期までひねくれた人だった。


「さあ、来るんだ」


 ガードに手首を強く掴まれて、エレカの回想は無残に中断された。

 このまま警察に連れて行かれる! そう思った瞬間、エレカの喉元にぐいっと気持ち悪いものがせり上がってきた。


「や、やだ! やめて!」


 思わず、振りほどこうと強く腕を振ってしまった。エレカははっとして、ガードを見上げる。ガードはマスクに隠された顔面でエレカを見返し、冷徹な口調で言った。


「……今起こっていることは、全てデータベースに記録されている。映像はもちろん、心拍数から、脳の感情マップまで、君に起こっていることの全てだ。われわれに敵意を向ければ、後で調書を作る時、不利になる。わかるな」

「うっ……」


 敵意を抱くことすらできない。そう思った途端、惨めな自分の有様に涙が出そうになった。

 悔しい。このままだと永遠にトロポスに入る権利は失われてしまうだろう。私はただ、父親に……ダルタイン=ライゴーに会って、私がどうしてひとりぼっちになったのか聞きたかった、それだけなのに──どうして、その程度のことが認められないんだろう……。

 深い失望に、エレカの目から涙が零れそうになった、その時だった。


「ちょっと待った」


 警備ボットを含めてその場にいた全員が声の方を向き、そして、言葉を失った。

 そこにいたのは、なんというか、穴ぐらから出てきたばかりみたいな身なりの長身の男だった。脂ぎった短髪、切れ長の目とぴんと立った鼻以外、薄汚れにまみれてよくわからない顔。服装も何年着古したかわからないような、何ら飾り気のない襟付きのシャツとズボン、まるでエクソス外縁部にいる日雇いミクシアンのような出で立ちだ。手には茶色い何かが入った大きなビニール袋と、中世から持ってきたのかと思えるほど編み目の粗い麻袋を抱えている。


「俺はオルガンで、その子は俺の連れだ。放してやってくれないか」


 男はそんなことを言ったが、この見た目でオルガンなわけがない。


「えーっと……悪いけど、間柄を証明できるものは?」


 ガードは腰に手をあてながら、一応、という風に訊ねた。男はエレカに視線を向ける。


「それはその子が知っているだろう。なあ──アリスよ」

「……いや誰だよ」


 ガードが呆れた声を出す。エレカも同じ気持ちだった。彼女の素性はさっき読み上げられたばかりだし、そもそも、偽名なんてスキャンすれば即座にバレるから、どんなセンスのない半グレだってしようとすら思わない。

 ──正直な話、エレカは一瞬だけ、救世主を期待した。しかし、現われたのは「話を合わせろ!」とでも言いたげに目配せをしてくる変な男だ。そんなハシゴの外し方はないだろう、とエレカは心中で嘆く。

 対応しなければならないガードたちも、大きな溜め息を吐いていた。


「全く……ミクシアンの暴動が増える中で、ついにネジの外れたミクシアンの登場か」

「面倒だから見逃してやるが、報告のために身元データは控えさせてもらうぞ」


 そう告げて、ガードはセンサーガンを男に向けて照射した。


「な、お前、今何をした!」


 ミクシアンにとっては常識的なシステムなのに撃たれたことがないのか、男は謎のポーズを取って威嚇する。エレカはなんだか恥ずかしくなってきて顔を俯けた。救いなんてなくてもいいから、さっさと然るべき罰を下して欲しかった。


「ん……?」


 読み取ったデータを見たガードは首を傾げた。


「どうした」

「ノーミクシアだ……この男、本当にオルガンらしい」

「な、何だって……」


 なんだか成り行きがおかしくなってきた。エレカは顔を上げる。

 ガードは別の器具を取り出すと、男に言った。


「……申し訳ないですが、指を拝借しても良いですか」

「指だと? どうしてまた──」

「手続き上どうしても必要でして、ご理解下さい」


 突然、態度を変えたガードは不満げな男の指紋を採る。ミクシアンと違って、オルガンは生体情報を照合して身元データを得るが、指紋はその中でも最も穏便な手段だった。


「ま、まさか……」


 その結果を見て、ガードたちは動揺の声を漏らす。


「み、身元データが参照できない。氏名すら出ない。フ、フルシークレットだ!」

「フルシークレット、だと……?」


 ガードたちの会話に聞き耳を立てていたエレカも絶句した。噂には聞いていたけど、実在したなんて……。


「フルシークレット……」


 そして、何故か本人が一番、不思議そうにしていたので更に絶句した。

 なんでなの? この人、本当にオルガンなの? それも名前さえも明かさない「フルシークレット」という最強のステータスなんて、失礼は承知だがそうは全く見えなかった。


「も、申し訳ありません。何か、身元を照会できるデバイスを持っておりませんでしょうか」


 いよいよもって、ガードは慎重な口調で訊ねる。


「持っていない。なくした」


 男は当然のようにそう答えた。現代のクインティトを歩くのに何のデバイスも持ち歩かないなんてありえない。明らかな嘘なのに、ガードたちは強く追究できなかった。


「そ、そうですか。大変失礼いたしました。それでは、この娘の件は不問に、ということでよろしいでしょうか……」

「ああ、そうしてくれ」


 そして、そんな言葉ひとつでガードたちは警備ボットたちを解散し、警戒態勢を解いてしまった。そのスムーズな成り行きに、命じた男の方が戸惑っているように見える。何から何までちぐはぐな光景を、エレカは夢でも見ているかのような心地で呆然と眺めていた。

 警備ボットがすべて持ち場に戻った時、ガードの持つデバイスがビーッと鋭い音を鳴らした。


「コート西方面で過激派ミクシアンたちによる侵犯行動。ゲートはボットをアクティブに、待機状態のガードは現場へ急行せよとのこと」

「くそ、またミクシアンの暴動か……すみませんが、われわれはここで失礼します」


 ガードは男へ慇懃に告げると、境壁に掘られた溝を滑るようにやってきた出動用のレールカーに飛び乗り、去ってしまった。


「……全く意味がわからなかったが、穏便に済んだな」


 やがて、男はそうぽつりと漏らした。その一言を聞いてエレカは、この男のおかげで前科を刻まれることなく、事なきを得たのだと気がついた。

 だとしたら、次にしなくちゃいけないこと──それは、この男から逃げることだ。


「あ、ありがとうございました。わ、私もここで失礼します!」


 エレカは早口にそう告げると、その場からダッシュで逃げ出した。


「あ、おい!」


 男が裏切られたような声を上げる。そう、それでいい。


「ざまあみろ、ざまあぁみろ、ざまーみろ……」


 エレカは祈るように呟きながら境壁から遠ざかり、ビルの間を駆けた。

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