第一章 3 リズカード・オーウェン
受け取った服に着替えて、ぼんやりと景色を眺め、どれだけ揺られた後のことだろうか。
それまで、無節操に建てられたとしか思えない建築物ばかりだった車窓の外が、突然空が見えるような、優雅な雰囲気のある洗練された風景へと変わったのだ。
建物の高さが目に見えて増し、その表面にどういう原理か知らないが、別の世界の様子を切り取った窓のような大きな板が取り付けられている。灰色の道は相変わらずだが、丁寧に手入れが行き届いているのか艶やかに見え、心なしか先ほどいた場所よりも歩く人々の活気も満ちている気がする。
『行政区分が変更されました。ここから先はストラト区を通行します』
突然、どこからともなく謎の声がそう告げるので、リズカードは飛び上がった。
「ストラトだって?」
リズカードの言葉に『はい』と声は反応する。
『そのため、権限のない〈ミクシアン〉の越境は認められていません。お客様は〈オルガン〉の方となっておりますので、特別な処置は必要ありません』
「……いや、言ってる意味がわからん」
『申し訳ありません。説明不足でした。権限のない〈ミクシアン〉のストラト区への侵入は認められていません。お客様は〈ミクシアン〉ではない〈オルガン〉の方でございますので、越境に際して何か特別な手続きをする必要はございません』
「いや、言い回しが変わっただけだろ……第一、あんたは誰なんだ。この狭い場所のどこに隠れている」
『私はボットタクシー・コンシュルジュ。LLM型AI対話サポートサービスでございます』
「……誰か俺に『理解』を恵んでくれ」
リズカードはげっそりと呟いた。
声の正体は考えないことにして、ひとまずあり合わせの言葉を頭の中を整理してみると、たった今、越境してストラト区という別の地区に入ったが、「オルガン」なるリズカードは特にお咎めがないらしい。対して「ミクシアン」なる身分の人間だと入るには権限が必要になる。
そんな仕分けを可能にする仕組みは措いておき、どういう人間が弾かれるんだろうか、と考えてみる。さっきまでと違ってこれだけ発展した街並みなのだ、恐らく、治安を悪化させる犯罪者や貧民の類いを弾くためだろう。
そして「オルガン」は「ミクシアン」よりも優位の立場にあることもわかる。恐らく、前者は貴族にあたるのだろう、とリズカードは思ったが、それなら千年後の現在において、何の立場もないリズカードがそこに属するとは、どういうことだろうか。
情報の整理はついたが、相変わらず意味不明だった。
しばらくの間、タクシーは問題なく走り続けた。ただ、この先はどうだろうか、とリズカードは気を揉んでいた。ルイモンド島は当然のことながら島なので海上にある。タクシーと同じ調子で、船か何か用意されているのだろうか。それとも、この箱は海の上でも走れるのだろうか。考えが止めどない。
だが、タクシーは海に辿り着く以前の路上で停止してしまった。今まで鳴り続けていた稼働音が消え、突然静かになる。
「どうして停まった?」
『ストラト区とトロポス区の区境に到着しました。ここを通過するには純正なオルガンであることを証明できるデータの提出が必要ですので、ご用意の方をお願いします』
トロポス、という響きにリズカードの注意が向く。このタクシーを手配してくれた男は、ルイモンド島はトロポスにあると言っていた。ただその越境には、ストラトに入った時とは違って証明がいるとか言っている。
「何故、そんなものが必要なんだ」
『トロポス区はクインティトの中枢部であるため、純正なオルガンと特別な関係者のみ越境を許されています。ミクシアンや犯罪歴のあるオルガンの立ち入りは認められておりません』
リズカードが窓の外を見ると桁違いに巨大な壁がそびえ立っていた。千年前の、リズカードが慣れ親しんだ城下町の城壁に似ている。山腹から見た天を衝くほどの巨大な建築物もこの壁の向こう側に集中して建っているようだし、この先は現在のクインティトにとって重要なエリアにあたり、並の人間には入る資格もない場所になっているらしい。
「俺はそんなデータ、持っていないが」
『失礼いたしました。その場合、ルイモンド島への到達は断念し、現在位置を到着地点として運賃の精算をいたしますが、よろしいですか?』
ショッキングな情報がいくつも出たが、リズカードには精算という言葉が最も衝撃だった。
「は? 精算……? 金を取るのか?」
『はい。万が一、お支払い頂けない場合は、乗車位置まで強制的に送還いたします』
「乗車位置まで……送還?」
つまり、乗った場所──あの山中の町まで戻される、ということだ。
箱の稼働音が再び響き始める。リズカードは思わず扉に手をかけたが、ビクともしなかった。金を払うまで決して出さない、という意志を感じる固さだ。
せっかくルイモンド島に近づいたのに、それは困る──リズカードはヴィス・スティックの入った麻袋に手を触れた。この箱にどんな金属を使っているか知らないが、本気を出せば脱出する穴を空けるくらいわけはない。
だが……今、このタイミングに使うのが正しいのだろうか。
魔法がもっと必要な場面がこの先、まだ出てくるのではないだろうか。
脂汗を滲ませながら葛藤するリズカードはふと、あることを思い出した。
「そういえば……」
若者たちからもらった袋をひっくり返すと、一枚の板が落ちた。あの若者が使っていたよりも遙かにぺらぺらな板だが、その表面にタクシーパスと書いてあるのが読める。
「これは使えるのか?」
『タクシーパスですね。そちらのご利用でよろしいですか?』
「あ、ああ……」
リズカードがわけもわからずうなずいた瞬間、優しい音楽がどこかから鳴り響いた。
『三万六千七百ネスタの精算を承りました。またのご利用、お待ちしております』
「え……は? も、もういいのか? 金は?」
『そちらのタクシーパスの効力でサービスとなります。そちらのパスは使用済みとなりますので、お客様自身で処分をお願いいたします』
呆然とするリズカードを急かすように、ドアが自動で開いた。これ以上、その場にいてはいけないような気がして、荷物を抱えて外へ出る。役目を果たしたタクシーはすぐに走り去っていってしまった。
「こ、これが未来……何が何やら全くわからん……」
そう呟いた瞬間、今まで考えないようにしておいた疑問がリズカードの頭の中に殺到する。金、声、壁、板、光、建物、区境、灰色の道、走る箱──謎、謎、謎で脳内はぎゅうぎゅう詰めになり、何も考えられなくなってくる。
未来は意味不明だ。早く、千年前に別れた相棒であるネナに会いたい。だが、その前に、俺を導いてくれる誰かが現われてほしい。誰か、誰でもいいから、誰かが──。
と、リズカードがあてどもなく歩き出した瞬間、どこからか悲鳴が聞こえてきた。
「や、やだ! やめて!」
リズカードがそちらに目を向けると、巨大な壁に設けられた検問所のような所で、ひとりの少女が男ふたりと黒塗りの四角い箱たちに囲まれて、悲壮な声をあげていた。
「……ふむ」
それを見た瞬間、リズカードの頭の中から混乱はたち消えた。




