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第二章 12 リズカード・オーウェン

 翌日、リズカードはレンタルしたスーツを着込み、スナウを伴ってトロポスに入ると、タクシーを拾って港湾部トルーナにある設備会社「ピリナス」へと向かった。スナウを連れているのは、今日会う予定のスウィズから専門的な話が出た時にかみ砕いて説明してもらうためだ。

 タクシーを降りて社屋に入ると、バーチャル・ディスプレイ上に精巧にモデリングされた受付ボットが現われる。


『こんにちは、ご用件は?』

「結婚相談所『リズカード』の者だ。スウィズ・デュラスという技術者と面会したい。ノイス・ダルタインからの遣いだと伝えてくれ」

『あいにくですが、スウィズ・デュラスは一ヶ月ほど前に自主退職しておりまして』

「何……」


 リズカードは驚いた。ノイスからそんなことは聞かされていないので、彼もこの事実は知らなかったらしい。

 妙だ、とリズカードは思った。スウィズはノイスの斡旋を受けて転職してきたという。それもただの好意ではなく、まさに今のような状況で情報を提供する役目がある。そんな文脈のある職を、ノイスの断りもなく辞めるとは思えない。


「ちなみに退職の理由を聞いても?」

『病気の療養だそうです』


 リズカードは訝しむ。本当に療養なら療養とノイスに告げそうなものだが、嘘にしては浅すぎる気がする──いや、違う。

 会社には通せてノイスには通せない「病気」の療養。

 そのギャップに気づけた瞬間、リズカードにはスウィズが辞職した理由がわかった。


「わかった、ありがとう。失礼する」

『とんでもございません。今後ともごひいきによろしくお願いいたします』


 受付ボットの慇懃な言葉を背に、リズカードは「ピリナス」から出る。


『良いのか? 出てきちまって』


 ジャケットのポケットからスナウが飛び出してきて、肩にとまりながら言った。

 リズカードは「ああ」とうなずきつつ、内ポケットからナプキンを取り出してみせる。ノイスの記した走り書きメモだった。


「スウィズの住まいは教えてもらってるからな」

『なんだよ。ひやっとさせやがって。ゲームオーバーかと思ったぜ』

「だが……この住まいにもスウィズはいないかも知れない」

『え? どうしてだよ』


 スナウがくりくりの目をぱちくりさせる。リズカードはその瞳にナプキンの字をかざした。


「とにかくこの住所へ行こう。タクシーを呼んでくれ」

『ああ、わかったけど、なんなんだよ、気になるな、教えてくれよ』

「行けばわかる」

『だーっ、もったいぶるんじゃねーっ!』


 怒ったスナウに突かれながら、リズカードはやってきたタクシーに乗り込み、スウィズの家へと向かわせた。


 スウィズの住居は移動距離にして十分程度のところにある、ありきたりなマンションだった。


『エントランスは電子ロックか。スウィズは呼び出しに応じるか?』

「いや……出ないだろうな」

『じゃあどうすんだよ』

「ここはダルタインの所有する物件だ。で、ここにノイスから預かったIDがある」

『何でも出てくるな、その内ポケットは』


 エントランスを抜けてエレベーターに乗り込み、八階へ。廊下は道路に面しており、わずかに潮の匂いを感じた。海が近いのだ。しかし、周囲は高層ビルだらけでその水面を眺めることは叶わない。せっかくなら見ておきたいと思ったが、まだお預けだ。

 やがて、スウィズの部屋まで辿り着く。表札は出てていない。一応、リズカードはベルを鳴らして、自分がノイスの遣いであることを告げた。予想通り、反応はなかった。


『留守か……病気で療養中って言ってたから、入院してるのかも知れないな』

「なら仕方ない。こちらで上がらせてもらうとしよう」

『は?』


 リズカードはヴィス粒子の小瓶を取り出すと、小さく撒いてから扉のノブを握る。すると、ガチリと音が立ってロックが解かれた。


「住居の電子錠程度なら魔法で楽に開く。事務所の物理カギよりもずっと簡単だ」

『魔法でケチな軽犯罪してるのが知れたら、賢迅公人気もおしまいだろうな』


 スナウの小言を聞き流しつつ、セキュリティがないか確かめながら部屋の中に入る。

 人の気配はない。ひとまずリビングへと向ってみるとすごい有様だった。ゴミや衣服などが散乱して、足の踏み場もないほどに荒れている。スナウは部屋の上空をぐるぐる巡回すると、嫌そうに言った。


『きたねーな。フーロと良い勝負してる』

「ふむ……しかし、単にずぼらだというわけではなさそうだな」


 そう言いつつ落ちているゴミや雑貨をどけると、コップの破片が見つかった。落として割ってそのままらしい。それ以外にも、粉々になったスナック菓子や、薬の錠剤が大量に散らばっていた。


『うげー、いくらずぼらでもこんなの普通、片付けるだろ。犬の放し飼いでもしてたのかよ』

「それか……それもできないほど精神的に追い詰められていたか、だな」

『は? おいおい、それってまさか……』


 リズカードは錠剤を拾い上げて、スナウに向けてかざしてみせる。


「まだこの時代の薬剤の知識は乏しいのだが、これは抗うつ剤じゃないのか」

『え? ……ああ、そうだ、結構パワフルなやつだな。ってことは、スウィズはうつ病で退職したっていうのか?』

「可能性が高い。職場には伝えることができて、恩義あるノイスには伝えられないような病気の療養なら、精神的なものと考えるのが自然だ。弱った心ではあの食えない性格のノイスに辞職したと伝えるのは不可能だろう。ノイスも彼女のことを気が弱いと評価していたしな……もちろん、気が強いからといって、なることのない病ではないのだが」

『あー、だからこの部屋も片付ける気力が出なくてこんな有様なのか。それで、肝心の本人はどこに行っちまったんだよ。やっぱり病院か?』

「そうだといいが……これだけの量の薬が床にほったらかしなんだ。治療しようという意思はあまりなかったように感じられる」


 リズカードはヴィス粒子の小瓶を取り出すと、少し振ってから探知魔法を放った。この程度の広さの部屋を捜索するくらいなら粒子で十分まかなえる。

 大量の情報が頭の中に押し寄せてくる。そのひとつひとつを選り分けて判断していくと、タブレット端末といくつかの記録カードが発見できた。リズカードはそれらを荒れた部屋から発掘すると、整理して空けたテーブルのスペースに置いていった。


「スナウ、この端末のロック解除はできないか」

『中身見るつもりかよ……ああ、タブレットはオルガン用で、網膜と顔相認証だからどうひっくり返っても開かねえな』

「まあ、そうか……ん、この記録カードは変わった形をしているが」


 リズカードはタブレットの端子から、記録カードを引き抜いて見せると、スナウはぱたぱたと羽を動かした。


『お? それはただの記録カードじゃない。AIドングルだ』

「AIドングル……端末に特定のAIサービスへのアクセス権限を持たせるカードだったか」

『それだけじゃない。いくら強いAIでも、結局、無機質な情報処理システムでしかない。だから、AIドングルに性格とか固有の記憶を記録することで、利用者に合ったオリジナルのインターフェイスになるんだ。ロマンチックに言えば魂みたいなもんだな。オレにも入ってるぜ』


 それでフーロと対話を積み重ねたから、こんなやんちゃな性格をしているらしい。


「ということは、スナウにこれを挿せばこの中身のAIと対話できるんだな」

『え? ま、まあ、できるけど──オレのボディ、スロット一個しかなくて空きがないんだ』

「一時的に差し替えればいい。何か、人格が混じったりとかいう副作用があるのか?」

『ない、と思う、けどさ、嫌じゃね? 賢迅公だって、他人の記憶を喋らせたいからあんたの脳みそ一時的に取っ替える、って言われたらやだろ』

「俺の脳は一度壊れかけたがなんとかなってる。安心しろ、案外なんとかなる」

『で、その返しは強すぎるだろ! 何も言えなくなるわ! や、ちょ、ちょっと、掴むんじゃない、あーっ! やめろ、この、えっち!』

「大人しくしないと羽根が抜けるぞ」


 リズカードはスナウを捕まえると、大暴れする身体を調べ回る。尾っぽのあたりにドングルが入っていたので引っこ抜くと、それまで荒ぶっていたスナウがいきなり静かになった。


「……これでプレーンな状態になったのか」

『こちら、サンドリッシャー社提供の汎用対話型AI『モルハ』でございます。サービスのご利用にはプラン加入が必要です。既にご加入済みの方はドングルを挿入して下さい』


 言われた通りに、今度はスウィズの部屋で見つけたものを挿入する。

 すると、スナウの目に意思が宿ったように見えた。首をふるふると動かして、控えめな視線でリズカードを見上げる。


『え、っと……ど、どなたでしょうか』

「結婚相談所『リズカード』の者だ。ノイス・ダルタイン=ライゴーの遣いで来た」

『ノイスさんの……なるほど、私が呼び出されたということは、あの人は……行ってしまったんですね』


 スウィズ・スナウは嘆息するようにゆっくりと俯く。


「ああ。この家にはあなたしかいなかった。どこに行ったか聞いているか?」

『あいにくと。私にすら伝えてないんですから、誰にも伝えてないんじゃないでしょうか』


 その口ぶりにリズカードは引っかかりを覚えた。


「スウィズはそこまでAIであるあなたに心を開いていたのか」

『と、信じたいところですが、その表現はあまり正確ではありません。私は精神分析ベースの臨床治療型AIです』

「精神分析……」

『精神分析は分析家との自由連想法による対話を通して、病理の根本原因を見つけ出す治療法です。分析対象すなわち患者は、頭に浮かんだこと全てを伝える必要があります』

「つまり、あなたが最も彼女の本音に近いところにいた……ということか」

『はい。その結果、私は彼女の深層的な情報を多く知ることになりました。ノイスさんの遣いということであれば、スウィズに関して答えられる範囲で全てお答えしましょう』


 興味深くはあったが、リズカードが知りたいのはスウィズの精神状態ではない。


「治療はあまりうまくいかなかったようだな」

『はい。彼女は自分の仕事に関して、激しい良心の呵責を覚えていました。その根はとても深く、最終的な自己破滅的な思考に陥っていたようです』


 最終的な自己破滅的な思考──つまり、彼女は自ら命を放棄する決断をしたということだ。リズカードは深く息を吐く。ミクシアンならば、死への強い意志を持つと体内の監視機構が危険信号を外部に発信して即座に保護されるが、生身のオルガンはそうもいかない。


「スウィズはインフラ設備の技術者だったようだが、具体的にどんな仕事をしていたんだ」


 嫌な感触を振り払うように、リズカードは問う。


『スウィズの担っていたのは「ジンク・ウェブ」の再敷設だそうです』

「な、何だと?」


 思わず耳を疑う。かつて、リズカードはまさに「ジンク・ウェブ」創設の責任者だった。


『ジンク・ウェブは、賢迅リズカード・オーウェンによって敷設されたもので、水道網として有名ですが、実際はクインティト全域のヴィス濃度の配分をコントロールする機構でした。その再現を「ピリナス」は請け負っていたようです』


 ヴィスの話が当然のように出てくるなんて、まるで中世の頃に戻ったようだった。リズカードは思わず自分の腹部を押さえる。ヴィス結晶に温度はないのにひどく熱く感じた。


「……ジンク・ウェブを敷設したのは、クインティト内のヴィスの偏りをなくすためだ」

『はい。中世において魔法は空気中のヴィスを消費して発動されていましたが、一度に大量のヴィスが消費されると、その一帯のヴィスは空っぽになってしまい魔法が使えなくなっていました。再び使えるようになるには、周囲の大気からヴィスが流れ込んでくるのを待たなくてはなりません。しかし、ヴィス濃度が元の水準に戻るまでには一週間程度かかってしまうため、同じ場所で立て続けに有事があった時──例えば、他国からの侵略があった場合、対応できないと困ってしまいます』

「それで開発したのが、ヴィス濃度の潤沢な遠い別の場所から、ヴィスを引っ張ってこれるようなインフラストラクチャーだ」

『よくご存じで』


 そうだ、知っている。まさに自分がリズカード・オーウェンだからだ。

 火事が起こった際、鎮災ボットや消防士が消火栓から水を汲み出すのと同じように、ヴィスの枯渇した地域でも速やかに魔法を使えるようにする。そのためのヴィス伝達設備がジンク・ウェブと言われる地下構造体だ。名前の由来はヴィス伝導率が空気よりも遙かに高く、迅速にヴィスを運ぶことのできた素材、亜鉛(ジンク)に由来している。水道網はこのついでに併設され、結果的にこちらの方が有名になってしまった。

 この仕組みのおかげで、クインティトは無類の防衛力を誇っていたのだが──。


「何故、ピリナス──いや、そのオーナーであるトルネ=ライゴー一族は、ジンク・ウェブの本来の用途を知っていた……? いや、それは今はどうでもいい」


 そんな事情をこのAIが知っている可能性は低い。リズカードは当然のように湧いた疑問を取り消し、改めて別の質問を向ける。


「ヴィス濃度が恐ろしく希薄な現代で、ジンク・ウェブをどうして再構築する必要がある」


 それはちょうど、水源のない砂漠に水道網と消火栓を作るようなものだ。リズカードにはあまり活用方法が思いつかない。


『それについて、彼女が話したことはありません。ただ……知らなければよかった、とだけ漏らしていたことがあります』

「知らなければよかった、か……つまり、スウィズは仕事それ自体ではなく、新しいジンク・ウェブが果たす役割について心を病んでいたと見ていいか」

『そうですね』


 肝心なところが知れずにもどかしい思いがするが、ジンク・ウェブ再開発の目的が、まさにスウィズの良心と命を脅かすほどに邪悪だということは確からしい。


「彼女がジンク・ウェブの機能を知っているということは、ピリナス社の他の社員も知っていたんだろうな」

『どうでしょう。彼女は技術主任の地位にいて、依頼者と直接やり取りしていたようですから、上層部はともかく、顧客の顔も知らない末端の人々は知り得なかった可能性もあります』

「ふむ……嫌な板挟みの構図だな。そのクライアントはトルネの関係者か?」

『はい、ヤグ・トルネ=ライゴーという女性が担当者だったようです』


 ヤグ・トルネ──昨晩、リズカードはノイスの話を裏付けるため、トルネに関する公開情報を追っていたのでその名前を頻繁に目にしていた。


「……確か『オルガン優生会』のトップだったな」

『はい。またオルガン・ミクシアン関係調整法を積極的に支援するロビイストでもあります』


 リズカードはノイスの台詞を思い出す。


 ──その会議内では『オルガンとミクシアンの区別を無意味化する』という発言がなされていたらしい。


 突然、ヴィスに関わる話がオルガン・ミクシアン関係と繋がった。その瞬間、リズカードの脳裏に中世の記憶がフラッシュバックする。

 似ている。

 筋金入りのオルガン主義者と、ヴィスに関連するインフラ開発……この連関はリズカードをして、腹の底から湧き上がるような嫌な気分と共に、千二百年前の「あの事件」のことを思い出させる。


「……ひとつ、ノイスの掴んだ情報によると、ヤグたちには『オルガンとミクシアンの区別』を解消するような構想があるらしい。これについて何か心当たりはないか」

『区別の解消、ですか。私に心当たりはありません。ただ、スウィズはオルガンでありながらミクシアンの立場には同情的だったようです。もし、そのプロジェクトが文字通り格差の解消を目指しているのであれば、私のような治療者に用はなかったのではないかと思います』

「それは同感だ。だとすると……ヤグ・トルネは破壊的な何かを進めていることになる。だが……わからないな」


 リズカードは口にしてから、自分が久々に「わからない」感覚にあることに気がつく。着実に何かが進行しているはずなのに、その正体を掴むことができない気味の悪さが、頭の中の騒々しさに拍車をかけていく。

 だが、聞き出せるのはここまでだろう。ノイスへの義理も果たせたはずだ。

 リズカードはそう判断して告げる。


「とりあえず、必要な情報は手に入った。協力してくれて感謝する」

『あ……あの、ひとつ、いいですか?』


 ドングルを外そうとする手から逃れるように、スウィズ・スナウは一歩距離を取る。


「何だ? その身体はボスの友人のものだから返してもらわないと──」

『いえ、そうではなく! その、私が知るのはこの程度なのですが、今回の件について突っ込んで知りたいと思うなら、ベイハー・スティンフル博士をあたってみてはいかがでしょうか』

「ベイハー……それは誰だ」

『ジンク・ウェブ再開発にあたり技術顧問として雇った人物で、専攻は魔法学です』


 魔法学? 千二百年前から久しく聞いていない響きにリズカードは耳を疑ってしまう。


「それは現存する人物なのか?」

『はい。ものすごい変わり者で、最後の魔法学者と言われているような人物です。ピリナスは彼の提言をもとにジンク・ウェブの再構築を進めたとか。話を聞けば、何か有益な情報を提供してくれるかも知れません』

「なるほど……情報提供、感謝する」

『いえ、このくらい』


 スウィズ・スナウは笑うようにくちばしを薄く開いてみせる。


『彼女は、本当はこんなプロジェクトを投げ出したかったに違いないんです。それでもオルガンとしてのいろいろなしがらみに縛られて、ついにやり遂げてしまった。そんな中で私という存在が残されたということは、彼女の最後のあがきであると解釈できないでしょうか』

「誰かに止めてほしいと」

『私自身の欲望かも知れないですが』


 人が叶わぬ希望を抱き続けることは難しい。しかし、AIならばその気持ちを褪せることなく、表わし続けることができる。


「……希望を賭けるにしてはか細い道を選んだな、スウィズ」


 リズカードは嘆息すると、その身体を持ち上げてドングルを外した。黒ヒヨコがぐったりと手の中で小さくなる。その後、尾っぽの付け根スロットにスナウのドングルを挿入すると、ぴくっと首を起こし、とろんとした目でリズカードを見上げた。


『なんだ……もう朝か……』

「ああ、もう済んだ」

『ふわあ〜……ん? なんか頭の中に知らん会話ログがあるぞ。あ! これ、賢迅公! 俺の身体で別の奴と話したやつだろ! 本当にやるとは思わなかった!』

「把握できるのか。それなら全部、念のために保存しておいて欲しい」

『はいはいっと。ったく、鳥遣いが荒いな……って、なかなかハードな話してたんだな』


 スナウはそう言ってぱたぱた飛び上がると、遠慮なくリズカードの肩にとまって、またのんびりと欠伸を漏らしたのだった。

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