第一章 2 リズカード・オーウェン
下山するうちに、ひとつ気がついたことがある。
やはり、魔法が全く使えないのだ。山の中だけの話ではなかったらしい。
「空気中のヴィス濃度が薄すぎる……何故だ」
ヴィスが希薄化している原因はわからないが、リズカードが魔法を使えるチャンスは残されたヴィス・スティック三本分のみということになる。となると、生き埋め状態からの脱出、くらいの事態が来るまで、魔法は控えておかなければなるまい。
気軽に魔法を使えないとなれば、頼れるのはこの身ひとつだけだ。リズカードはにわかに不安を覚え始めた。
やがて、山道を下り切らないうちから街にさしかかった。傾斜のきつい土地だというのに、数階建ての箱状の建物が林立し、あちこちに店らしい看板が立っている。それらの文字を見る限り、形式としての言語は千年前から大きく変わっていないようだった。
同時に人の姿も見つけた。若い男がふたり、建物に背を預けて会話をしている。リズカードからしてみれば最初に会った未来人だ。千年前に見た貧しい小作人よりもかなり小綺麗な格好をしているが、なんとも言いがたいくたびれた雰囲気があった。
「失礼、訊きたいことがあるんだが」
リズカードが言葉を向けると、男ふたりは目を丸くした。それから、リズカードのことを上から下までじろじろと見ると、顔を見合わせて「なあ……余りって」「あったと思う。見てくる」と言葉を交わし、片方の男が去って行った。
「……何か?」
その背中を見つつ訊ねると、残った方の男は物珍しそうな顔でリズカードを見る。
「いえ、ちょっと……それで、なんですか?」
「ああ、いや、だから訊きたいことがあると」
「えーっと、それは聞いたんで、その、何を訊きたいのかなと」
こめかみをぽりぽり掻きながら男が言う。言葉は通じるのに、コミュニケーションが微妙に通じない。リズカードは焦れったく思いながら口を開く。
「なら問うが、最短でルイモンド島に行くにはどうすればいい」
リズカードにあるのは千年以上前の知識でしかない。現在では風景が違いすぎて、場所の見当もつかなかった。
「ルイモンド島?」
しかし、男はあからさまにピンと来ていない顔をすると、着ている服のどこからともなく一枚の板を取り出して、眺め始めてしまった。目の前にいるはずのリズカードのことなど忘れてしまったような態度に面食らう。
「なあ、知らないのか? 知らないなら知らないで、そう言ってもらえれば……」
男が謎の板から目を外し、訝しそうな目線でリズカードを見たので、思わず口を噤んでしまう。なんだ、このこっちが悪いみたいな空気感は。何もかもがわからない。どこか別の世界に来てしまったようだ。
「ルイモンド島って中枢区じゃないですか」
やがて、男はぽつりと言った。
「何? トロポス?」
「ええ。トロポスで、しかも、ライゴーのリゾート地だからまあ、無理ですね」
知らない単語が次々に出てきて、リズカードの頭が熱くなってきた。いや、知らないのは当たり前だ。全てを一度に理解するのではなく、少しずつわかる情報を切り出していかなければ。
「無理というのは、何故だ」
「何故って……本気ですか?」
「本気で言ってる。俺には何もかもがわからないんだ。教えて欲しい」
殊勝な態度に出たリズカードに男は困惑した顔を見せる。
「どんな思想を持ったコミュニティーの出身か知らないですが、まあ、実地まで行けばわかりますよ」
「いや、だからその、実地に行くための方角と手段を知りたいんだ」
「方角?」
「東西南北のことだ、まさかなくなったわけないよな」
「ええ……そんなの知る必要ないですよ」
「は……?」
リズカードは愕然とする。目的地への方角を知ることなしに、どうやって行くんだ。時代が進んでも、絶対に変わりようがないことだろうが。
そんな彼を放っておいて男は再び謎の板を見始めてしまう。リズカードは限界だった。
「……時間を取らせて悪かった。他を当たってみることにする」
そう告げて立ち去ろうとしたのに、男は「あ、ちょっと」と彼の腕を掴んで引き留める。
「もう来るので待っててください」
「来る? 何が?」
「タクシーです」
「だからなんなんだそれは!」
リズカードは泣きたくなってきた。わからないことだらけで、わからないことをわかるように訊くこともままらない。考えようにもとっかかりがない。なのに、知らない間に何かが進行している。未来は意味不明だ。
せめて、気楽に時間旅行という気分で千年後までやってきたのなら、こんな未来人との遭遇も楽しめているのかも知れない。だが、あいにく呑気な旅路ではなかった。この土地、クインティトで暮らす人々を守るためには──誰かがこうするしかなかったのだ。
と、そんな回想に耽るリズカードの耳へ、軽快な回転音のようなものが聞こえてきた。
見ると、金属製の箱が灰色の道に沿ってこちらに走ってきている。リズカードはトンネルを抜けた時に見えた街の景色の中で、同じような物体が行き交っていたのを思い出した。
「あれか? タクシー……」
「乗って、目的地を言えばそこに着くんで」
男はなんてことのないように言ったが、これだけでもリズカードには衝撃だった。
「目的地を言うだけで着くのか!」
確かに、それなら道も方角も知る必要がない。その発想は革命的だった。
その箱は機械仕掛けのようで、中は向き合った二組の座席が置いてあるだけで御者もいない。動力が何か知らないが、馬と違って休憩も餌も必要なさそうだった。
正直、半信半疑の状態ではあるが、その技術力にリズカードは震えた。
異常だ。そんなことが再現できるなんて──未来は意味不明だ。
「何と礼を言えばいいか。ありがとう」
リズカードが声を上ずらせて礼を言うと、停車したタクシーに乗り込んでいく。その様子に男は呆れたようにこめかみを掻いた。
「自動タクシー呼んだだけで大げさだな……あっ、それと」
その時ちょうど、さっきどこかへ去って行ったもう一人の男が大きな袋を持って戻ってきて、座席の座り心地に目を見張っていたリズカードにそれを渡した。
「これはなんだ?」
「その、着てる服、中世から持ってきたのかって感じなんで、うちの事務所に余ってた服です。どうせ処分する予定だったんで、どうぞ着て下さい」
「なっ」
確かに自分の服装は、千年前から着っぱなしの黒ずんだチュニックだった。対する、男ふたりの服装は上下にパーツの分かれた、機能的で清潔感のある服装をしている。こちらが未来の標準なのだろう。このまま人だかりに移動したら、大恥をかくところだった。
「あ、それとその中にタクシーパスも入ってます。取引先からもらうんですけど毎回使わないまま期限切らしちゃうんで、よかったら使ってください」
よくわからないが、いいものもおまけしてくれたらしい。
リズカードは袋を抱え込むように、若者たちに頭を下げた。
「すまない、心の底から礼を言う。こんな言葉も常識も通じないような、見知らぬ人間にここまでしてくれるとは」
「え、そりゃ……」
ふたりは顔を見合わせて、それからはにかんだ表情で言った。
「困ってる人を助けるのは当然じゃないですか」
その言葉に胸の辺りが熱くなった。
「なあ、君たち、名前は──」
リズカードは訊ねたが、彼らが答えを訊く前にタクシーはスタートしてしまった。ふたりの姿はみるみる遠ざかり、あっという間に見えなくなってしまう。
「なっ……未来は一期一会ということか」
リズカードは座席に腰を下ろしながら唸った。再び会うことはないかも知れないが、この恩は一生忘れないだろう。
それから、リズカードは座席に深くもたれながら、さっきの短い会話を反芻してみた。僅かなやり取りだったというのに、あんまりにもわからないことが多すぎる。トロポスという土地、ライゴーという謎の名前、ルイモンド島が化したというリゾート、突然見つめる謎の板、自動で動くタクシーとかいう箱、「中世から持ってきた」ような服……。
全ての要素が行く当てもない欠片となって、リズカードの頭の中を漂っている。
「未来は意味不明……もはや人の心だけが頼りだ」
リズカードは袋の中から、譲り受けた服を取り出しながら呟いた。




