第二章 4 リズカード・オーウェン
少年が襲われていたので助けた。
その場の若者たちが一人残らず戦意喪失しているせいで、なんだかきな臭く思えるそんな供述を、警察はすんなりと信じた。妥当性があるからではなく、被害者の少年がオルガンで、リズカードがフルシークレットだったからだ。
保護されたオルガンの少年は騒動が終わる頃には意識を取り戻しており、救急搬送ドローンに乗せられて搬送されていった。
一方、その場にいたミクシアンは一人残らず逮捕された。閃光でのショックは一時的なもので、ほどなくしてまっすぐ歩けるほど回復した彼らは、オルガンの少年の方が先に侮辱してきたのだと訴えたが、警察官は聞く耳を持たなかった。
本来なら警察署へ連れられ調書などを取らされるのだろうが、ここもフルシークレット権限で回避した。きっと事なかれ主義によりリズカードの存在は伏せられ、近隣住民の報告を受けた警察がオルガンの少年を保護したと報告されるのだろう。
リズカードは散歩から帰るような足取りで、『リズカード』のあるビルへと戻ってきた。エレベーターで六階へ行き廊下を進むと、エレカが扉の前の柵にもたれて待っていた。
「……お帰りなさい」
「戻った。心配をかけたならすまない。こういう性分なんだ」
リズカードは隣に立ちながら言う。エレカは夜でも煌々として眠らないミクロアの街を見つめながら笑う。
「知ってますよ、リズカードさんが困ってる誰かを放っておけないのは。『賢迅伝説』でもそういうキャラでしたし」
「む……それは何だかこっぱずかしいな。俺はただ……そうすることでしか、暴走する知性を扱えなかったというだけのことなのに」
「暴走する、知性?」
エレカがこちらを見てくる。リズカードは頷いた。
「ああ。俺は元々、出来の悪い子供だったが、ある日、戦争好きの領主に間違って徴用され、脳が飛び出すくらいの大けがを負った。その回復過程ではめるべきネジを間違えたんだろう、それ以来、何か考えて、理解してないと落ち着かなくなった。そのうち妄想や幻聴も出て、狂いかけたところで神父に相談したら『その能力は人々のために使え』って言われた。その教えが今でも、頭の深いところで息づいていて……困っている誰かを見過ごしたら、またあの狂いに襲われるような気がしてしまうんだ」
「そうだったんですか……そんなこと『賢迅伝説』には書いてませんでした」
「あまり話していないからな。知っているのはあの神父と、ネナ……後は、君くらいだ」
「ええっ」
エレカが目をまん丸にするので、リズカードの口端につい笑みが漏れてしまう。
「まあ、後はスナウか。これは本当のシークレットだ。くれぐれも誰にも言うなよ」
夜に溶け込んでどこにいるのかわからないスナウに言うと、どこからともなく返事が来る。
『安心しな。その賢迅情報はフェイク判定が出てるからデータベースには残らない』
「はは、そうか」
AIジョークに「ふふ……」とエレカも釣られたように笑う。それから、もの思うような表情をして、再び夜景に目を向けた。
「だから……一ヶ月前のゲートで捕まっていた私のことも助けてくれたんですね。リズカードさん、目覚めたばっかりで右も左もわからなかったのに」
「懐かしいな。作戦が全くかみ合わず、グダグダだったが……」
「中世でもああやってたんですか? それは俺の連れだ、なあ、アリスよ、って」
エレカはからかうように言う。羞恥心にリズカードは頭を抑えた。
「クインティトで俺を知らない人間はいなかったからな。あれでどんな連中も引き下がった」
「今とやってることは変わらないですね。フルシークレットの身分でビビらせて」
「そうだな。俺は変わらない。変わっていくのはいつだって世界の方だ。変わってしまった世界に……俺の居場所はあるんだろうか」
言ってしまってから、リズカードははっと口を噤む。この一ヶ月間、ネナのいる方へ近づいている実感もなく細々とした仕事をこなすうちに、抱くようになっていた気持ちがつい口に出てしまったのだ。
賢迅らしからぬナイーブな感傷を笑われるかと思いきや、エレカは真剣な眼差しでリズカードを見つめた。
「……ありますよ」
そう言って、リズカードの手を取って何か小さなものを握らせてくる。
エレカの手が離れてから指を開いてみると、そこには調味料用の小瓶が載っていた。しかも、中身はただの調味料ではない。リズカードが廊下の照明にかざしてみると、中に入った粉末がきらきらと輝きを帯びた。
「これは……ヴィス粒子?」
一緒に見上げたエレカは眩しそうに目を細める。
「はい。こっそり集めてました。それがないとリズカードさんは魔法が使えないんですもんね」
「いいのか? だって君は……」
「はい。ほんとは今も、自分の垢を渡してる感じがして恥ずかしいですけど……でも、さっきみたいな出来事があった時、私がいつでも一緒にいられるとは限らないですし、それでリズカードさんが危険な目に遭ったら嫌だなって痛感したんです。だから──」
エレカはつい、と視線を逸らして言った。
「今の時代でも魔法を使いたかったら、ちゃんと私のところに戻ってきてくださいね」
「エレカ……」
その健気な姿にリズカードは胸を打たれた。衝動的に両手で彼女の手を取ってしまう。
「ああ、なんと言ったらいいか……エレカ、心の底から感謝する」
「い、いえ……こんなことしかできなくて、私……」
エレカは俯いてしまう。つい、やってしまったスキンシップに恥じらっているのかと思いきや、リズカードはその手が少し震えていることに気がつく。
「……そんなに俺が倒れているのが怖かったのか」
そう訊ねると、図星だったのだろう、エレカはばっと顔を上げた。
「あ、当たり前です! リズカードさんがいなくなってるだけでもびっくりしたのに、探しに出かけたら、怒ってるミクシアンの人たちに倒れてるところを囲まれてて……それを見て最初、死んじゃったのかと思って頭が真っ白になりました」
「──それは悪かった」
「でも、それとはまた違う怖さもあるんです……」
エレカは自分の手を掴むリズカードの指へ、すがるように額を押し当てて言う。
「今日はたくさんの怒りを浴びました。さっきのミクシアンの人たちだけじゃなくて、今日のミッションで捕まえた人も、私に対してものすごい怒りを向けていました。リズカードさんが傍にいてくれなかったら、怖くて足が竦んでいたかも知れないです」
「確かに、君みたいな子を相手に角材を持ち出すくらい、キースのキレ方は凄まじかった」
「ミクシアンの抗議活動も最近はだんだん規模を増しきていますし……なんだか、いつか私もあの怒りの中に取り込まれてしまわないかって、不安で……」
その言葉にリズカードははっとする。エレカ自身も差別的なミクシアン政策で全てを奪われてしまったのだ。そんな彼女にしてみれば、キースやさっきのミクシアンたちの怒りは決して他人事ではない。エレカが本当に怖れているのは、自分自身の怒りがそうした大きなうねりの中に組み込まれてしまうこと、なのだろう。
そんな彼女に必要なのは確かな心の拠り所だ。
それがこのヴィス粒子の小瓶にかかっているのだ。
「わかった」
リズカードはエレカのくれた小瓶の感触と、彼女の額の熱を指に感じながら言う。
「この小瓶は君の心と思って大切に使うし、何があっても決して君をひとりにしないと誓う。だから、どうか──安心してくれ」
「……約束ですよ」
「ああ。約束だ」
そうリズカードが告げると、ようやくエレカは顔を上げて安らいだ表情を見せたのだった。
その時──和やかな雰囲気を吹き飛ばすように、事務所のドアがドカン! と開いた。
「なぁあああい!」
そう叫びながら、フーロが飛び出してくる。ぎょっとして硬直するふたりが重ね合わせた手に、自分の手も重ねてぶんぶん振りながら、ぽろぽろ涙を流しながら訴えかけてくる。
「ない、ないんだよ! どっかいっちゃった! 盗まれたのかも! そしたらもう絶対に返ってこないよう、どうしよお……」
「落ち着けボス。何がなくなったんだ」
リズカードはフーロの手を引き剥がしながら訊ねる。フーロは子供みたいに両手で目元をぐずぐず擦ると、涙声で言った。
「カギ……」
「カギ? どこの」
「事務所の……」
「この扉のか? ここは電子錠だろう」
ドアノブがそのまま認証機になっており、登録されたミクシアンなら触れるだけで、オルガンなら指紋と掌紋を読み取ってロックが開くようになっている。クインティトにある物件はほとんどがそうなっていて、物理的なカギというシステムは絶えて久しいらしい。
「それとは別に高い金払って物理カギを作ったの」
しかし、フーロはそんなことを言う。普段は注意していなかったが、確かに扉には後付けとわかる鍵穴がついていた。
「本当だ。なんでまた」
「あたしは会社持ってるんだって、形あるものとして感じておきたかったから」
フーロは自分の会社に「リズカード」とつけてしまうくらい並ならぬ思い入れを持っているが、物理カギもその一環らしい。
そんな涙目になったフーロの頭にスナウがとまって言う。
『でもそれ、ちゃんとスペアがあるんだろ。どうせカギ拾って侵入する奴もいないだろうし、そっち持っておいたらいいじゃねえか』
するとフーロはキッと目を怒らせて、頭上のスナウを引っ捕らえた。
「お前は何もわかってねえなあああああ! あのスペアはパパとママが引退して、こっちに越してきた時に渡す用だよ!」
『ぎぎぎぎぎぎ! やめてオレ挽肉になっちゃう──』
「あ、あの……」
あわやスナウがスクラップになりかけたところで、おずおずとエレカがポケットから何かを取り出した。
「もしかして、カギってこれのこと……? さっきフーロさんが寝ちゃった時に、床に落ちてたんだけど」
フーロはエレカの掌に載った金属片を見つめて、それから「あったああ……」とその場にへたり込んだ。それはリズカードが知るカギよりもずっと小さく、精巧な作りをしていた。
「本当にごめんね、これ、カギってわからなくて、うっかり持ってっちゃって……」
「ううん、知らなかったんならエレカちゃん悪くないし」
『そうだ。ボスがちゃんと情報共有しておかないのが悪い』
「なんだお前さっきから、はっ倒すぞ」
聞いている限り、こっそり抜け出したリズカードを探しに、エレカがカギを携えたまま出かけていってしまったのが、フーロご乱心の真相らしい。
──今度からは情報共有を心がけよう。
エレカからもらったヴィス粒子をさっそく使い、こっそり魔法で治療した頬を掻きながら、リズカードは心の中でそう誓ったのだった。




