第二章 3 リズカード・オーウェン
「オルガン野郎が、ぶっ殺してやる!」
いきりたった若者が殴りかかってくる。リズカードはその一撃を冷静に避けると、その胸ぐらを掴み、勢いをそのままに近くのビルの壁に放り投げた。壁面に衝突した若者は、大の字で倒れ込む。
『おい、後ろ!』
スナウの甲高い声が響く。振り向くと別の若者が腕を伸ばしリズカードを拘束しようとしていた。リズカードはその手首を掴むと、ぐいっと引き寄せて膝を喰らわせる。
『賢迅公、喧嘩やれんのか!』
「これでも戦争は幾度も生き延びている」
周囲を見渡すと、まだ四人、戦意の残った連中がリズカードを睨んでいる。
『それでもらしくねえんじゃねえか! こんな不利な状況に突っ込むなんて!』
上空でスナウが吠える。俺らしくない。そうだろうか。リズカードは考えつつ、後ろを振り向く。そこには血まみれの少年が倒れていた。
きっかけは小さな悲鳴だった。祝宴の席、エレカが身の上を話している最中、どこからともなく聞こえたのだ。そうなるといてもたってもいられず、リズカードはその声の主を探しに、そっと事務所を抜け出した。めざとく気がついたスナウもついてきた。
声の主は事務所の入ったビルを出て、隣のブロックの路地裏にいた。その少年は複数の若者に囲まれて暴行を受けていた。
「スナウ、警察だ」
『もうコールしてる。そのうち来るだろうから……って、おい、何してんだ!』
リズカードは構わず若者の輪へ歩いて行った。少年は人形のようにぴくりとも動かない。これ以上、暴行が続けば命に関わるかも知れない。警察が来るまで時間を稼いでおくべきだ。
「おい」
「ああ? なんだ、おめえは……」
近づいてくるリズカードへ、若者たちが一斉に視線を向ける。
「事情は知らないがもう十分だろう。放してやれ」
「十分? 十分ってなんだよ」
息荒く、ひとりの若者が言った。
「俺たちはこいつらに一生、搾り取られるしかねえんだ。その仕返しに十分なんてねえ。一生かかって殴っても十分にはならねえんだ!」
リズカードは殴られている少年がオルガンであり、逆恨みをしたミクシアンたちがリンチを加えているのだと把握した。
「オルガンたちの築いたシステムの中では、確かにそうかも知れない。だが、その少年が実際君たちに、一生分の殴打に値する何かをしたのか?」
「何だおめえ、こいつの保護者か?」
「こちらが先に訊いている。質問に答えられないのか?」
「ああん? さっきから舐めた口きいてんじゃねえぞ──」
「わかった。答えられないのならいい。ただし、俺にはそちらの質問に答える準備がある」
リズカードはぞろぞろと周りに集まってくる若者たちに向けて言った。
「俺はその少年の保護者ではない。だが、オルガンだ」
若者たちは堰を切ったようにリズカードに襲いかかった。
『前だ、前!』
スナウの声で前を向くとパンチを喰らった。衝撃で視界がゆらぐ。
「うおらっ!」
ふらついたリズカードへ別の若者が蹴りを繰り出してくる。リズカードはその足裏を左の掌で受け止めると思い切り捻り上げた。腱をギリギリと軋ませる。「うがあああ!」と足の主が声をあげて倒れ込んだ。ついでに先ほどパンチをくれた奴へ、同じように拳を返してやる。相手は錐揉みに地面へダイブした。
「千年前の傭兵に比べればぬるいな」
『比較対象がおかしいだろ』
手についた汚れをはたいて落とすリズカードに、スナウが呆れた様子を見せる。
「おい、こっちだ!」
顔を上げると、新たな若者たちが走ってくるのが見えた。ミクロアはストラトの中でも特にミクシアンの数が多い。仲間は芋づる式にやってくるのだろう。
「警察はまだか」
『さっきやっとコールに出た。もうすぐ来るはずだ』
「……あんまりエレカたちに心配をかけたくはないんだが」
先ほど殴られた頬に指を触れると、ぴりっと痛みが走る。痣になっているようだった。
『いやもう……今更だろ』
スナウが言った瞬間、駆けてきたミクシアンがリズカードに殴りかかってきた。
──魔法を使えれば。
攻撃をいなしながらリズカードは思い、ベルトに結わえた麻袋につい手が伸びかける。しかし、ここはそれほどの場面か。ヴィス結晶の秘める魔力なら、きっとここにいるミクシアンを全員殺し、遺体を分解したとしても余裕でお釣りが来るだろうし、そこまでする必要性はもちろんない。単に時間を稼げれば良く、大した量もいらないのだが……。
そんなことを考えていたら、ふいに右脚の感覚がなくなった。見ると、小ぶりな針がふくらはぎに刺さっている。スタンニードルだ。警備ボットなどが搭載している鎮圧用の武器で、針が着弾した衝撃で超高速で震動し、神経系の伝達を一時的にシャットアウトする。設計図が流出しているため、それさえ掴めば3Dプリンターで簡単に作成ができる。現に、遠くで射出用の銃を構えるミクシアンの姿が見えた。
リズカードは躊躇なく針を抜いたが、右脚はしばらく痺れが残る。チャンスとばかりに跳びかかってきた若者の攻撃をいなしてやり返すのに精一杯で、あえなく転倒してしまった。
「くそっ……」
地を這う視界には、殺気立ってこちらに走ってくるミクシアンの足、足、足……。
もうどうしようもない。リズカードは血まみれで横たわるオルガンの少年を見やった。
──最悪、彼が助かればそれでいい。
警察が来るまで、ミクシアンたちのヘイトをこちらに向けさせ続ける。できるだけ意識が保ってくれると良いが。
やがて、先頭を駆ける誰かがリズカードの脇に辿り着いて、足を止めた。
リズカードは急所を隠すように身体を丸め、目をつぶって来たる衝撃に備える。
「リズカードさん!」
しかし──降ってきたのは攻撃ではなく、ある意味で今、一番聞きたかった声だった。
目を開くと、そこには息を切らしたエレカがいた。
「エレカ……何故、ここに」
その疑問は、周りのミクシアンたちにとっても同じことだった。
「何で女がいる! どけ!」
「きゃっ!」
ミクシアンがエレカの腕を掴んで強く引っ張った。エレカの姿が視界から消え、代わりに舞ったヴィス粒子が散らす外灯の光だけが残される。
その光景に、リズカードの頭にガッと血が上った。俺の恩人に何をする──。
怒りに駆られたリズカードは腕を振ってヴィス粒子を集め、エレカに向けて叫ぶ。
「エレカ、目を塞げ!」
「は、はい!」
リズカードはエレカの返事を聞き届けるや、その魔法を発動した。
「閃迅」
次の一瞬、その路地裏は全てを覆い尽くす白光に包まれた。
それは現代でリズカードが開発した魔法だった。「閃迅」という名の通り、凄まじい強さの光が無音で明滅し、その光源を捉えた視神経に大打撃を与えるのだ。モデルのフラッシュグレネードと違って強い音は立たないため、穏便にことを済ませるのに向いている。
「あああああっ!」
強烈な光を喰らった若者たちは皆、目を抑えて悲鳴を上げた。
そのまま、涙が止まらなくなったり、パニックで近くの仲間を殴りつけたり、嘔吐したり、そのまま気絶して動かなったり──彼らは一様に戦意を失っていく。運良く直視を避けられた者も、そんな悲惨な状況を見て腰を抜かし、そのまま逃げるように立ち去っていった。
「リ、リズカードさん!」
唯一、まともにその場に立っていたエレカが駆け寄って、リズカードが立ち上がるのを助けてくれた。
「悪い、エレカ。助けられた」
「ほ、ほんとですよ! 知らないうちにこんな大喧嘩始めて、何考えてるんですか!」
「その大喧嘩の真っ只中を突っ切って、俺のもとまで来た子に言われたくはないが……」
『まあ、どっちもどっちだったぜ』
スナウが間に入って、あんまり気持ちの良くないまとめ方をする。
『そんなことより、警察のサイレンが聞こえるだろ。どうするんだ? こんな死屍累々じゃ、どっちが加害者かわからないぜ』
確かに遠くから甲高い電子音が聞こえてくる。リズカードは肩を落とした。
「やっとお出ましか。エレカ、来てくれたばかりで悪いんだが、話がややこしくなりそうだから、君は先に事務所に戻って欲しい。スナウ、念のため護衛を頼む」
『はいはい、鳥遣いが荒いな』
「えっ、リズカードさんは……?」
心配そうな顔をするエレカに、リズカードはサイレンのする方を指さして言う。
「警察みたいな権力相手なら、フルシークレットってステータスはよく刺さるはずだ」
「で、でも……」
「下手に話を広げて、フーロにも迷惑かけたくないだろ。説明は戻った後にいくらでもする」
「……わかりました」
エレカは少し不満げな表情を見せたが、それが最適解だとわかったのだろう。大人しく踵を返すと、後ろ髪引かれるように何度か振り返りながら、その場を後にした。
その背中を見送っていたリズカードはふと視線を感じて振り向く。オルガンの少年が意識を取り戻したのか、大きな瞳でこちらをじっと見つめて、か細い声で言った。
「あ、あんた……オルガン……?」
こんな時でも気になるのはそれなのか、と内心思いつつリズカードは答えた。
「いや……何者でもない。結婚相談所『リズカード』の従業員さ」




