第二章 2 エレカ・ヤヒメ
「ってことで、スワードの委託ミッション達成、おめでとー! 乾杯だーっ!」
「か、乾杯!」「乾杯」
その晩、事務所内でエレカ、リズカード、フーロはそれぞれ手に持った缶をぶつけた。ふたりはビールで、未成年のエレカにはノンアルコールのモックビールがあてがわれている。そういうものを口にするのは初めてだったので、どんなものかドキドキしていたのだが──。
「にがーっ!」
エレカは一口でギブアップして、ジュースに逃げた。おいしい。全然これで良い……。
「ッター! やはりあたしはこのために生きてきているのだと思う!」
「金属の味がする」
一方、フーロとリズカードはそんな反応。結局、用意したアルコールは全部、『お前は何もしてないだろ』とスナウに嫌味を言われているフーロの胃に収まるんだろう。
エレカとリズカードが『リズカード』の厄介になってから一ヶ月が経っていた。
求人から予想したように結婚相談なんて誰も持って来ず、ほとんどの業務は「雑用」が占めていた。その内容はといえば、『リズカード』の主要株主であるスワードが回してくるもので、大抵は中身のわからないものの運搬だったり、特定の人物や企業の実態調査、そのほかフェイクの拡散やサクラなど、確かに表向きにはできないような雑用といった感じのものだった。
そして、数日前になって突然『委託ミッション』のオファーが来た。要するに、最近精力的なスワードへの貢献が認められたので、危険で難しくはあるものの多額の報酬を用意できるヤマを回してやる、というようなものだ。なんとしてもお金が欲しいフーロは即刻、受諾した。
内容は、キース・エーデルスタインという構成員が、スワードに渡すはずだったデータを海外へ横流ししようとしているから、その阻止をしろという旨だった。
「キースはこの一週間行方をくらまししてて、留守宅を捜索したけど既にもぬけの殻。課金して位置情報もマスクしてる。もうルール違反の高飛びする気マンマンってことね……ただまあ、ロンダリング役のオルガン運び子たちは特定しちゃってるから、最後の子に代わってもらって指定の場所行けば、本人に辿り着くっしょ。そしたらリズ様が叩いて終わりよ」
フーロの余裕ぶった言葉に、リズカードは眉をひそめる。
「追跡を断つために、わざわざ居場所を特定できないオルガンを雇ってロンダリングしているのだろう? どうしてその居場所を掴めているんだ」
入社当初の彼からはこんな質問は出なかっただろうが、この一ヶ月の間、スナウを教師として版歴二〇八七年の知識をすっかり吸収していた。賢迅の名にふさわしい理解力・順応力に、エレカは畏怖すら感じる。
一方、同じく一ヶ月でリズカードという存在に慣れ、賢迅も頼ってしまうような上司キャラを確立したがっているフーロは、胸を張って答えた。
「そりゃ、フィクサー・ミトラルがオルガンの半グレたちも手先にしてるからだよ!」
「なるほど。オルガンで情報の流出経路をカモフラージュするのは、こういう手合いの常套手段だから、あらかじめ手を回してあるのか」
「こらこら、先回りして全部言うんじゃないよ! あたしの立場がないじゃん!」
『まー、賢迅公相手に立場なんて最初からねーって』
そんなスナウの軽口を無視してフーロは声高に言った。
「ま、ここまで材料は揃えてもらってるんだ。作戦会議といこうぜ!」
──作戦会議の結果、最もオルガンらしい見た目のエレカが運び子の代わりとなり、魔法で透明化したリズカードがそれに同行。うまく挑発して人の目につかないところへ誘い込み、最後は魔法で拘束する、という筋書きを作った。
そして、作戦通りにうまくいった。キースの身柄はスワードの寄越した自動運転のトラックに乗せられて、データの入ったカードもろともどこかへ運ばれていった。報酬は後日、振り込まれるとのこと。それとは別に、エレカが受け取った現金については自由にして良いらしく、それを元手に打ち上げをしよう、という流れになったのだった。
「──っていうか、エレカちゃん、運び子役ぴったりすぎてビビったわー! スナウ飛ばして見てたけど、タメ口新鮮すぎてかわいかった〜」
既に顔を赤くし始めたフーロが上機嫌で言う。エレカは苦笑した。
「そ、そうですかね……?」
個人的にはやんちゃだった子供時代を見られたようで、なんとも言えない恥ずかしさがある。
「うんうん、っつか前から言ってるけどさー、できるんならフランクに喋ってよー! 友達みたいに!」
「と、友達って……フーロさんは私のボスなんですよ」
フーロは会社を持っているにしてはかなり若く、エレカとそこまで年齢が離れているわけではないのだが、上司は上司、丁寧な口調を外すのは抵抗がある。
それでも納得いかないフーロはじたばた暴れ出した。
「そんなの関係ないやい! ねえ、お願いお願い! 前までのあたしなら平気だったけど、あの喋り方を知ってしまったあたしにはもう、その品のある口調は耐えられない!」
「ええ……り、リズカードさん……」
エレカは助けを求めてリズカードを見ると、やけに真面目腐った顔で喋り出す。
「そもそも中世にはそんな堅苦しい話し方はなかったぞ。スナウに訊いたよると、その語調の原型が出来たのはおおよそ版歴一四〇〇年ごろといい、この時代は──」
「わーっ、賢迅モードになってる!」
「ウィー! リズ様ナイス迎撃! ねえ、ねえ、ほらほら、リズ様がこうおっしゃってるんだから、エレカちゃんも合わせなきゃ、ねえねえ?」
「う、うーん、社長命令というなら……」
『エレカ嬢』
そこへスナウがやってきて、エレカの耳元で囁く。
『どうしても嫌だったら、然るべき所に出せばハラスメント認定されるぞ』
「は? スナウ何吹き込んでんだてめー! 焼き鳥にするぞ!」
『はっ、食えるもんなら食ってみな!』
いきりたったフーロは、スナウと追いかけっこを始めた。広くもない事務所内でよくも動き回れるな、と変に感心するエレカに、賢迅モードから帰ったリズカードが言葉を向ける。
「それにしても、君が砕けた口ぶりをしているのを見たら、本当にオルガンの若者としか思えなかった。君にオルガンの血は混じっている、というのは正しい気がする」
「で、でも、ゲートでのスキャンでは、私の遺伝子情報に親から継いでいるはずのオルガンの特徴はないって……」
「ここは未来だ。何かトリックがあってもおかしくはない。そのタネが知れれば、オルガンの親族である証明もできるんじゃないか」
「た、確かに……」
理解を深めるにつれ、リズカードの頭脳は冴えてきている。エレカはこの一ヶ月間、ただ必死に仕事をこなすだけで、ちっとも前に進めていないと思っていたが、リズカードのその言葉で少しの希望を見出せたような気がした。
「え? エレカちゃんハーフのミクシアンなの?」
と、追いかけっこ中だったフーロがピタッと動きを止めてエレカを見る。
「あっ……は、はい。データ上は、ですけど……」
エレカは気まずさを覚えながらうなずく。実際、あまり知られてほしくないことではある。生存圏の区分けがなされているクインティトでは、オルガンはオルガン同士、ミクシアンはミクシアン同士で家庭を築くのが普通で、ハーフは不貞な関係の中で生まれた子と見なされる。
フーロには面談の時に打ち明けるつもりではいたけど、顔を見ただけで採用を告げられてしまったので、言う機会を逃してしまっていた。
今になってそのことを知ったフーロはにわかに顔色を曇らせる。
「……エレカちゃん、さ」
「は、はい」
その声音にエレカは背筋を伸ばした。もしかして、黙っていたことに気分を害したのだろうか。スナウもぴたっと動きを止めて様子を窺うので、余計に緊張が募る。
やがて、フーロは目をキッと見開くと、大きな声で言った。
「おカタい言葉遣いは禁止って言ったでしょ! 言い直し!」
「そ、そっちか……」『そっちかよ』
エレカはスナウと一緒になってぼやいた。
それから「う、うん、で、データ上は、だけど……」と、恥ずかしさだとか言いにくさを押して言い直すと、フーロは満足そうに笑いながらフーロの隣に座った。
「そうかあ、道理でオルガンぽいわけだね」
「う、うん……は、話してなくて、ごめん……」
すんなり受け入れてもらえたのは良かったが、慣れない口調にドキドキしてしまう。
「しかし、遺伝子スキャンでもオルガンの痕跡は見出せないのだそうだ。これに何か心当たりはないか、ボス」
リズカードが訊ねる。「ボス」とはフーロが悦に入るために呼ばせているものだ。彼女は何事も形から入るのが好きだった。今もボスという響きに「んふっ」と気持ち良くなっている。
「そりゃもちろんありますとも! と言いたいとこだけど……ないなあ。体内のミクシア自身がDNA持ってるから、スキャンは絶対確実だし」
「DNAを二進数化したクァジデオキシリポ核酸か……照会先の身元データベースが改変されている可能性は?」
「身元データはクインティトとかいろんな企業都市を束ねる政府の管轄下だからねー。クラッキングしたら、ライゴーのお偉いさんだろうが不正作出で逮捕よ」
エレカは俯いて、ぎゅっと両手を握り合わせる。
「でも、病院が発行する出生データには、私の父親がダルタイン=ライゴーだってはっきり書いてあるし……ばあちゃんが、死に際に嘘を吐くなんて思えない……」
その言葉にフーロは目を大きく見開いた。
「でえっ! ダルタイン=ライゴーって、あのライゴー三長者のひとりの?」
「うん。本当の母親の方は誰かわかんないんだけどミクシアンで、私を産んだけどいろいろあって育てられないって、知り合いだったばあちゃんに養母を頼んだって」
父親とは別に、母親の話は少しずつ聞かされていたことだった。しかし、改めて身の上を口にすると、エレカ自身が何かをしたわけでもないのに、どうしてか負い目を感じてしまう。
フーロはごくごくビールを飲み、感慨深そうに息を吐いた。
「ふぅん……難しい家庭なのに、よくぞまあ、こんなオルガンチックに育ったもんだね」
「まあ、見た目だけはね。ただ、中身はボスと同じで野心があったっていうか……本当は私、ストラトの大学に行こうとしてたから」
「え、そーなん?」
フーロが目を丸くした。
クインティトでミクシアンが成り上がるには、大きくふたつのルートがある。ひとつはフーロのように、スワードにコツコツ献金して会社の株式を譲渡してもらい、それを元手に拡充していくもの。誰にでも可能性は開かれているが、必要な資金が本当に膨大なので気が遠くなるほど地道に稼ぐ必要があり、ゼロから始めると二世代かかる場合もある。
もうひとつはシンプルに高等教育を修了することだった。オルガンの大半と、ストラトに住むミドルクラス以上のミクシアンの子供が当たり前のように享受するルートで、こちらも膨大な学費と優秀な成績を出して、ライゴーグループの企業へ就職するのがゴール。
「うちはばあちゃんがもらってた、あってないような年金暮らしで大学の費用なんて出せないから、奨学金で全額まかなえるように死に物狂いで勉強してた。友達も作らないで部活も入らないで、ひとりで黙々と……まあ、そしたら奨学金制度が変わって、ミクシアンは最大で半額しか受け取れなくなって詰んじゃったんだけど」
「なんそれ、マジ?」
「それと同じ時期にばあちゃんが死んじゃって……養子縁組はしてたけど、ミクシアン同士だったから相続税の控除がないらしくって、ほとんど税金で持ってかれちゃった。家も差し押さえられて、学校も学費払えるアテがないから在籍できなくなって、ばあちゃんのお墓作ったら後はもう何も残らなくて……」
これがオルガンだったら、奨学金は返済不要で全額出るし、相続制は五千万ネスタまで控除され、身寄りがいなくても後見人代理の弁護士が立てられて、資産を正しく整理してくれる。
エレカはただミクシアンだったというだけで、全てを失ってしまっていた。
今まで積み上げてきたものも、抜け出そうとしていた生活そのものも。
「私はただ……普通の暮らしが欲しかっただけだったのに」
「エレカちゃん……」
フーロは小さな声で呟くと、ぐわっとビールをあおった。一気に中身を空にすると缶をその辺に投げ捨て、エレカと向き合う。
「んでもさ、エレカちゃんのすごいとこは諦めなかったところだね。自分がダルダインの娘だって信じてストラト来るの、ビビんなかった?」
「うーん……なんていうか、ただ実の父親に会いに行こうって、それだけしか頭になかったからあんまりビビってはいなかったかも。ただ、いてもたってもいられないって感覚だけ……」
「うへえ、すごすぎ。下手すれば前科ついてたんに」
「本当にそれは危なかったよ。でも、そのお陰でリズカードさんにも、フーロさんにも会えて。なんにも良いことのなかった私の人生で、こんなラッキーがあるなんて思ってなかったから……やけっぱちでもストラトまで上ってきて良かったなって」
自然と本音が出てしまう。最初はこの世界の心得のないリズカードと、ちゃらんぽらんなフーロの間にあって、エレカは不安と緊張の日々を過ごしていたが、この一ヶ月、案外やってこれている自分に驚いていた。
そう、悪いことばかりが念頭に来てしまうけれど、良いことだって同じくらい世には転がっているものなのだ。エレカはその幸運を今、深く感じていた。
「そっか、そっか、ぐすっ……うえー、そうかあ……よかったあ……」
突然フーロが変な声を出すので驚いてその顔を見ると、どぼどぼと大粒の涙を流していた。
「あたしも、苦労したからわかる……エクソスの工場でバカみたいに働いて、薄っぺらい賃金頑張って貯めて……いざ、会社持てるとなったら、ビビって動けなくなっちゃったんだ……で、パパとママにお前に夢託してんだよバカって散々言われてやっと出てきて……でも、あたしなんかに夢叶えられんのかなって、ずっとずっと不安でいっぱいで……」
「フーロさん……」
「ぐす、うえっ、だからさ、頑張ったなあ、あ、あたしたち……」
そのまま身を乗り出して、ぎゅっと抱きついてくる。アルコールで火照った体温がエレカの身体へと染み渡ってくる。
「う、うん……」
エレカもその抱擁に応えて腕を回した。フーロの痩せっぽちだけど、柔らかな身体の線を感じながら深く息を吐くと、これまでずっと、心の底で張り詰めてきた緊張がみるみる緩んでいくのを感じた。
誰かとこうして抱き合うなんて──初めてかも知れない。
他の人の温もりがこんなに不安を和らげてくれるなんて知らなかった。エレカはもっと安らぎが欲しくて、フーロの身体を強く抱きしめる。すがりつくように。
そうしてゆっくり息を吸い込んだ時、エレカは思わず身を固くした。
「うっ……」
濃い臭いが鼻の奥を突いた。忘れていたが、今のフーロは酔っ払いだった。
更に言うと、信じがたいことにフーロはあまりシャワーを浴びない。そうして溜まった臭いに加え、涙と鼻水、髪の染料の臭い、アルコールの臭いが入り交じって──にわかに触れ合う肌にもべたつきを感じ始めてしまう。
常に清潔でいたいエレカには、ちょっとばかり耐えがたかった。
「や、やだああああっ!」
「ふげぇっ!」
エレカはほとんど反射的に突き放した。思ったより簡単にすっ飛んだフーロは、椅子や食器を巻き込みながら、床に敷いてあった寝袋へずぼっと倒れ込む。
「あ、ごご、ごめん! だ、大丈夫?」
派手な音が立ったので、エレカは心配して駆け寄った。割とふかふかの寝袋だったので、怪我はないと思いたかったが、フーロは目を閉ざして返事がない。エレカは焦った。
「フーロさん、フーロさん! ……って、あれ?」
よくよく耳を澄ますと、フーロはすーすー、と寝息を立てていた。横になったら気持ちよくなって、そのまま眠りに落ちてしまっただけらしい。エレカはほっと息を吐き、その寝顔を眺める。いい加減、この潔癖もなんとかしないと──。
ふと、近くの床に何かが落ちているのを見つけた。薄く細長く加工された金属製のもので、先端の方はギザギザと複雑な装飾が施されている。
「何だろう……リズカードさん、これ何か知って──って、あれ?」
訊ねようと顔を上げて、エレカは呆然とした。
リズカードとスナウの姿がない。事務所にいるのはエレカと、眠りこけるフーロだけだった。




