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第二章  1 キース・エーデルスタイン

 ストラト区ミクロア十番街。場末の薄暗い酒場で敢えて隅の席に座ったキース・エーデルスタインは、しきりに貧乏揺すりをしながらある人物を待っていた。


「はやくこい、はやくこい……」


 キースは今日、地下組織スワードから脱走する。脱走者の九十九%は債務不履行──借りた金が返せないことが原因だと聞くが、キースはそんな凡庸な連中とは違う、もっと大きな野望を抱えていた。


 スワードは部署だとかシマを持たない、ミクシアンのネットワークに拠って立つクラウド式の組織だった。加入しているミクシアンたちは定期的に一定の金を払うだけで保護と連帯を得られ、望めば仕事も割り振られる。代わりに、構成員同士で利益や資産の融通、互助を義務づけられており、ひとたび命令が下れば従う必要があった。また、クインティトから離れることも許されていない。


 他の裏社会組織と違う点として、スワードには上下関係や舎弟制度などなく、全ての構成員はフィクサー「ミトラル」が一律で管理し、タスクを割り振っていた。一応、ミトラルは特定の個人という建前になっているものの、スワードの構成員はミクロアだけでも数万人いると言われている。そんな数をひとりで捌ききれるわけがなく、また誰もその姿を見たことがないから、普通に考えてミトラルの正体は管理AIの亜流だろうと結論付いていた。


 キースは機械の手先なんてゴメンだ、と常々思っていた。AIなんて所詮、人間の神経モデルを模倣し、データの物量でゴリ押しして、それっぽいことをするソフトウェアに過ぎない。


 しかし、親が死んで借金だけ残された彼はスワードにすがるほかなかった。ミクシアンの場合、遺産は税金としてほとんど持っていくくせに、借金は子に全額残される。オルガンに搾取され、AIに顎で使われるだけの人生……恐ろしいほどの屈辱だ。日々、歪んだ感情がキースの中に鬱積し、ドス黒い溜まりとなっていた。


 ただ、スワードから依頼された、とあるクラッキング案件の中で転機が訪れる。いつものようにかすめ取ったブツを納めようとしたキースだったが、ふと気になってその中身を覗いてみたところ、思わず大声を上げてしまうくらいヤバイものだった。


 それはとある軍事企業が開発した、新しい軍用ドローンの情報だった。五つの独立した楕円モジュールによる異常な機動力を誇り、一台で汎用機二十台分の制圧力を持つという。キースは即刻、その情報を外国へ流すことに決めた。クインティトの技術力は世界屈指のもので、更に軍事機密となれば引く手あまたで確実に大金になる。


 もちろん、普通に情報を海外へ送信すれば一瞬で足が着いてしまう。そこで、スワードにはダミーのデータを納品し、一方でスワードとは無縁のはずのオルガンの半グレを雇い、本命のデータを記録カードにエクスポートさせ、また別で雇ったオルガンに渡すように指示した。そうして、受け取った奴にもまた、更に別で雇った奴に渡すように言う。そんな具合で一週間ほど無意味なリレーをさせ続けた。野暮ったい方法だがそれだけに効果はある。


 記録カードは今、アンカーであるキースの元へと戻ってこようとしていた。それを受け取り次第、空港へ急行して予約していた便に乗って、買い手のいる外国へ向かう。安全に飛び立つための手回しはこの一週間で周到に済ませておいた。抜かりはない。


「……遅いな」


 キースは時計を見ながら舌打ちする。実際、指定した時間から数分過ぎただけなのだが、緊張と焦燥からか、苛立ちが止まらない。昔は感情を知らない冷血漢とか言われていたのに、ここ一年くらいですっかり血が頭に昇りやすくなった。まあ、こんなイライラとも今日でおさらばだ。さあ、はやくこい、はやくこい……。


「あの」


 やがて、声をかけられる。

 キースがさっと振り返って見ると、口元を黒いマスクで覆った少女が立っていた。場末の雑然とした雰囲気に似つかわしくない、ナチュラルなセミロングヘアに清潔感のある服装、オルガンの王道を往くような見た目の可愛らしい子だった。

 ああ、スキャンして確かめるまでもない。運び子だ。


「これ、ここに座ってる人に渡してって言われたんだけど」


 少女は要領を得ないように言って、一枚の記録カードを差し出す。それは確かにキースが待ちわびたものだった。キースが何も言わずに反射的に手を伸ばすと、驚いた少女はぱっとポケットの中に突っ込んでしまう。


「なに、いきなり怖っ」

「おい、それだ。渡す相手は俺で間違いない。はやく渡せ」

「ほんと? そんなに大事なものなの?」


 少女は怪訝そうに見つめてくる。キースは舌打ちをして、着ているジャケットの内ポケットから紙幣の束を取り出す。


「ああ、こんだけポンと出せるくらいにはな」

「え、何これ。現金だ。初めて見た」


 少女は興味津々に紙幣を眺めている。全く、これだからガキは。


「……ほら、さっき見せたのよこせ」

「あ、うん──はいっ」


 少女はポケットからカードを取り出すと、ひょいとキースに放ってきた。ふわっと宙に浮かぶカードを見て、キースは鳥肌が立った。

 バカが、一体どれだけ価値があると思ってる!


「お金、どうもー。そんじゃあね」


 キースが血眼になってそのカードをキャッチした時には、少女はそう告げて踵を返していた。


 ──オルガンだからって舐め腐りやがって。


 不愉快だが、データが手に入ったことには変わりない。後はこれをアナログな方法で流出させるだけだ、とキースは安堵と共に手にしたカードに目を落とし──時が止まった。

 彼の手に収まっているのは、ゲームソフトのカートリッジだった。


「オルガンだからって舐め腐りやがって!」


 毛穴から血が噴き出そうなほどの怒りが沸いた。絶叫して、キースは立ち上がる。

 少女は「うわ」と驚いた顔で振り返ると、走って店の外へと逃げ出した。キースは店内の椅子やテーブルを蹴散らしながら、最短距離でその後を追った。


「おい、待て!」


 キースは大声を張り上げ少女の後を追う。走るスピードはこちらの方が上だ。そのことに希望を見出したキースはいっそう息巻き、突進するように駆けた。

 距離が縮まるのを見て焦ったか、少女は屋台市の広がる路地裏に逃げ込んだ。建物の中に店を構えられない人々が作り上げた雑多な空間で、屋台骨だとか席だとかでごった返しているから、うまく撒けるとでも思ったのだろうか。残念ながら、今は昼間で人気は全くないし、何よりもその奥は袋小路だった。


「バカめ」


 キースは怒りのままにすべてのものを突き飛ばしながら走る。

 ほどなくして、少女は行き止まりに手をついた。息を荒くしてキースの方を振り仰ぐ。

 その仕草、表情に思わずキースの嗜虐心が刺激された。弱く、愛されるべきものを、徹底的に痛めつけたくなる衝動──そこに今まで、キースが味わってきた数々の屈辱が合流し、凄まじい暴力衝動がキースを支配する。


「畜生、舐めた真似しやがってよ……」


 キースは付近の角材を拾うと、ゆっくりと少女に近づいた。


「オルガンのガキ風情が……俺がミクシアンだからってバカにしてんじゃねえぞ……」


 あまりの憎悪に声が震える。一歩進むごとにキースは頭の中で何度も少女を打ち据えた。殴って殴って殴って泣かせて喚かせ跪かせて、その後、めちゃくちゃにしてやる。忘れられないくらい蹂躙してやる。二度と外を歩けないようにしてやる。

 それから俺は海外に飛んで、一生困らないだけの金を得て、最高に幸せに暮らす。

 ああ、なんという最高の逆転劇。こうでなきゃ、人生なんかやってられるか──。


「あの……勘違いしてるみたいだけど」


 ふと、追詰められた少女は困ったように言うので、キースは眉をひそめた。


「何?」

「私、ミクシアンなんだよね……」


 この見た目で? その告白には少し驚いたが、かといってキースがやることは変わらない。相手が誰であろうと、与えられた屈辱を返さなければ腹の中の怒りは収まらない。


「……それが、どうした!」


 怒髪天をつき、ついにキースは角材を振り上げる。

 その時、どこからともなく声が響いた。


固着(パゴマ)


 次の瞬間、まるで全身を巨大な手でガッチリ掴まれたように、キースの身体が動かなくなった。緩んだ手から角材がすっぽ抜けて、建物の窓ガラスをぶち破る。


 ──い、一体、なんだ、これは……。


 困惑するキースの目の前、虚空からいきなり男が現われて、キースの顔面を鉄のような拳で殴りつけた。衝撃に視界が眩むと同時に足をすくわれ、受け身もとれないまま地面に全身を打ちつける。猛烈な痛みに呻いているうちに、キースはなすすべもなく組み伏せられてしまった。


「よし。抑えた。君、怪我は」

「だ、大丈夫ですっ」


 身体を縛られて、突然現われた男と少女のやりとりを聞いてなお、キースはどうして自分が敗北し、地面に横たわっているのかわからなかった。

 そんな彼の頭の近くに少女がしゃがみ込んで告げる。


「えっと、すみません、スワードからの要請で、機密データ及びキース・エーデルスタインの身柄を確保せよ、ということだったのでそうさせてもらいました」

「お、お前……組織の手先か……」


 少女の細い指がつまんだ見せる記録カードに、キースは歯噛みする。スワードはミクシアンによる組織だから、このオルガン然とした少女は絶対に無関係だと思い込んで油断していた。


「えっと、正確には違うんですけど」


 だが、そう言って少女は頬を掻き、今度は男の方がキースの顔をのぞき込んで言った。


「こちら、結婚相談所『リズカード』だ。またのご利用、お待ちしている」

「なに……うぐあっ!」


 残念ながら、二度めの殴打をくらって気絶した拍子に、キースの頭からその屋号は抜け落ちてしまったし、スワードに捕縛され、軍事機密を持ち出そうとした咎で刑務所送りとなった彼が、今後二度とエクソス・ストラトの敷居をまたぐこともない。

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