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恋愛小説シリーズ

偽装結婚のつもりだったのに…… ~白い結婚を宣言した後で、相手が初恋の人だったことが判明しました~

作者: 青帯


 真空管しんくうかんラジオの音楽がかすかに聞こえる。

 それは僕がドライヤーのスイッチを入れた瞬間にかき消された。


 濡れた金髪に熱風を当てながら、洗面台の鏡に映ったバスローブ姿の自分を見つめる。

 21歳にしては幼いと言われる顔立ちだが、エメラルドグリーンの目の下には少しクマが出来ている。


 昨日は緊張でほとんど眠れなかった。

 翌日、つまり今日がレベッカとの結婚式だったからだ。

 ただし昼の式よりも、その後のことがもっと心配だった。


 初夜───。


 その瞬間を迎えようとしている。


 僕たちは半年ほど前、ここバルムンド帝国の首都で出会った。

 そして一ヶ月ほど前に結婚届を提出すると、二人の新居として首都のこの部屋を借りた。


 けれど一緒に泊まるのは今夜が初めてだ。

 婚前交渉もなければ、結婚後に関係を持つことも無かった。


 そもそも僕には、女性経験自体が無い。


 いやいや。

 心配しているのはもっと別のことだ。

 僕は重大な秘密を隠している。


「覚悟を決めなきゃ」


 僕はドライヤーを置いて深呼吸をした。


 脱衣所を出て寝室に戻ると、レベッカはベッドに腰掛けていた。

 先にシャワーを浴びたので既にバスローブ姿だ。

 まだ僕が戻って来たことに気付いていない。


 赤茶の瞳を上に向けて、サラサラなブラウンの前髪をフーフーと吹いている。

 手持ち無沙汰ぶさたのときのレベッカのくせだ。


 昔、同じ癖の女の子がいた。

 もう会えないけれど───。


 そう思っていると、レベッカが僕に気付いて前髪を吹くのをやめた。


 幼い仕草をやめるとガラッと雰囲気が変わる。

 髪は短めに切りそろえられていて凛々(りり)しい印象だ。


 一つ年下の20歳だが、大人っぽいと感じることが良くある。

 昼に教会で挙げたささやかな結婚式のときもそうだった。


 誓いのキスのとき、僕はドキドキしていた。

 ファーストキスだったからだ。

 レベッカは少しだけはにかんではいたけれど、手慣れた様子だった。


 違う違う。

 そういうことよりも、気にしなければいけないことは───。


「カイン」


 レベッカが僕の『名前』を呼んだ。

 僕は後ろめたさを感じながらぎこちなく微笑んだ。


「お待たせ。レベッカ」


「大丈夫よ。ラジオを聞いていたもの」


 ベッド脇の棚に置かれた真空管ラジオから聞こえるのは、今は音楽ではなく男の声だ。

 ニュースを伝えているらしい。


「何か気になるようなニュースはあったかい?」


「別に。いつも通り、バルムンド帝国を自画自賛するようなものばかりよ。ましてや国営の帝国放送だもの」


 新聞と同じくラジオの放送内容も当然検閲されているだろう。

 今の皇帝になってから言論統制はより酷くなったと聞いている。


 そして領土的な野心も───。


 だが皇帝の子息は親と違って英邁えいまいで、諸外国に対して友好的と聞いている。

 代替わりすれば帝国は侵略をやめるかもしれない。


「カイン。いつまでそんなところに突っ立っているの?」


 僕は寝室に入ってすぐの場所で立ち尽くしたままであることに気付いた。


「座ったら?」


 レベッカがベッドを軽く叩いた。

 僕はそこより少し離れた位置に腰を下ろした。

 二人の間にはもう一人座れるくらいの距離がある。


 僕はちらりとレベッカを見たけれど、彼女のバスローブ姿が眩しくて、すぐに視線を逸らした。


「そうだわ。ラジオ止めるわね」


「あ、うん」


 レベッカは言った通りにしてベッドに座り直した。

 僕との距離は空いたままだ。

 なんとなく気まずい雰囲気になり、二人とも口をつぐんだ。


 周りの住人の話声や物音も聞こえない。

 下の大通りには夜の今も車が走っているだろうけれど、この集合住宅の四階まではエンジン音も届いてこない。

 もうラジオの音もなく、静寂せいじゃくを重く感じた。


「あの、カイン」


 少し経ってからレベッカが沈黙を破った。


「あなたって、男前ね」


 レベッカは、僕の方を見ないでうつむきながら言った。

 彼女もある程度は緊張しているらしい。

 そう思うと、逆に僕は少しだけ落ち着いた。


「そうかな。レベッカは僕にはもったいないくらいの美人だよ」


「ふふ。ありがとう」


 二人で見つめ合った。

 僕の顔は火照っている。

 だけどレベッカの顔も少し赤い。


 魅惑的な唇に目が留まると、キスの甘美な感触がよみがえってきた。

 鼓動が高まり、男としての欲望が体を突き動かそうとする。


 でも、レベッカに伝えなくてはならないことがある。


「───あの」

「───その」


 僕が口を開いた瞬間、レベッカも何かを言い掛けた。


「───えっと?」

「───なあに?」


 まただ。


「───どうぞ」

「───お先に」


 どうしても同時になってしまう。


「……………………」

「……………………」


 僕は少し長めに待って、レベッカがしゃべろうとしないのを確認して切り出した。


「白い結婚を受け入れてもらいたいんだけど」

「白い結婚を受け入れてもらえないかしらね」


「…………はい?」

「…………はい?」


 二人できょとんとした。

 結局同時になってしまった上に、言った内容も一緒だった。


「確認させて頂戴ちょうだい。カインは、白い結婚にして欲しいと言ったのかしら?」


「うん。レベッカもそう言ったよね?」


「ええ。その───。夫婦生活はナシという意味の」


「意味は分かっているさ。僕も同じことを言ったんだから」


 見つめ合っているうちに、笑いが込み上げてきた。


「あははははは」

「うふふふふふ」


 二人で声を上げて笑った。


「あー、おかしい」


 レベッはひとしきり笑った後で、僕を見ながら小首をかしげた。


「私って、魅力ない?」


「まさか」


 僕はぶんぶんと首を横に振った。

 一緒にベッドに座っていると、抗えなくなりそうで怖い。


「違うのね。なら、カインが白い結婚にしたがる理由を聞いてもいいかしら?」


「それは」


「それは?」


 伝えなければ───。


「関係を持つのが申し訳ないからさ。君のことを、愛している訳ではないから」


 それを聞いたレベッカは、少しだけ寂しそうに微笑んで天井を見つめた。


「カイン。あなたはレベッカを妻とし、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も、貧しい時も富める時も、彼女を愛し続けることを誓いますか? はい、誓います」


 レベッカは天井を見つめながら、結婚式の神父の言葉と僕の誓いを呟いた。


「そして私と誓いのキスをしたじゃない」


「うん」


「でも、愛してはいないのね」


「ごめん」


「なら、どうして私と結婚したの? プロポーズはあなたからだったわよね?」


 その通りだ。

 一ヶ月前、僕の方から結婚を切り出した。


「あなたはこの集合住宅の前まで私を連れてきて、君と結婚して一緒にここに住みたいと言ってくれたじゃない?」


「うん、でもそれは、僕がこの部屋に住みたかったからさ」


「あら」


 彼女の反応は、思ったよりも小さかった。


「奇遇ね。私も同じ理由でプロポーズを受け入れたのよ」


「えっ」


 僕の方が驚いてしまった。


「この集合住宅って、入居条件のチェックが厳しいでしょう?」


 それはその通りだ。

 まず外国人の入居は禁止されている。

 それにバルムンド人であっても、単身者にはまず貸し出の許可は下りないようになっている。

 身元の怪しい人間を警戒しているということだ。


「でも夫婦なら住むことができるわ」


 彼女はそう言うと窓に視線を向けた。


「そしてこの集合住宅は大通りに面している。定期的に行われるバルムンド帝国の軍事パレードが良く見えるはずよ。パレードカーに乗っている皇帝陛下もね」


 レベッカが僕を見つめてきた。


「だからあなたは私にプロポーズして、私はそれを受け入れた。そういうことではないかしら?」


 ああ。そうだったのか。


「どうやら、僕たちの目的は同じようだね」


「一緒に言いましょうか」


 レベッカが広げた手の平を僕に向けた。


 4。

 3。

 2。

 1。


 無言で指を一本ずつ折っていく。

 最後の小指が折られたとき───。


「バルムンド帝国皇帝暗殺」

「バルムンド帝国皇帝暗殺」


 僕たちは、周りに聞かれないよう小声で同じことを呟いていた。

 レベッカの瞳を見てそれが本気だと確信した。

 僕と同じように───。


「そのためにはこの部屋が必要。絶好の狙撃ポイントだもの」


「本当に、同じことを考えていたんだね」


 お互いにうなずきあった。


「でもそれだけに、部屋の貸し出しには規制がある」


「チェックは入念で、身元や結婚の記録はしっかりと調べられるわ」


「だからバルムンド人として結婚届けを提出する必要があった」


「ええ。そしてあなたは今、『バルムンド人として』と言ったわよね? つまり本当は違うということかしら?」


「うん。僕は別の国の人間さ。そして、本当はカインではないんだ。カインというバルムンド人は本当にいたけれど、既に外国で亡くなっている。僕はその人物に成りすましているというわけさ」


「ますます奇遇だわ。私も別の国の人間で、レベッカという亡くなったバルムンド人に成りすましているの」


 彼女はどこか嬉しそうに言った。


「成りすましのための人間を用意できることからして、あなた、素人しろうとじゃないわね。バルムンドとは別の国の諜報員でしょう?」


「まあ、ね」


 僕は肯定した。

 国も伝えていないし大丈夫のはずだ。


「だけどそれは君もだろう?」


「詳しいことを話すつもりは無いけれど、その通りよ」


 彼女もあっさりと肯定した。

 僕とは別の国の諜報機関の一員のようだ。


「強いて言えば、私の祖国は、バルムンド帝国から侵略されて交戦中の国よ」


「僕の国もそうさ」


 帝国はその強大な軍事力を背景に、いくつもの国と戦争を繰り広げている。


「僕の故郷の村は、幼い頃に侵略で焼き尽くされて残ってない。村中みんな殺されてしまったけれど、僕だけが生き残って諜報機関に拾われたんだ。諜報員として活動がしやすいように、僕も死んだことにされているよ」


「あら。あなたも私と同じ身の上なのね」


 詳しいことを話すつもりは無いと言った彼女が、あっけにとられたように言った。


「きっと私たちと同じような成り行きで諜報員になった人が、たくさんいるのでしょうね」


「うん」


 やるせない思いに襲われた。


「だから、バルムンド皇帝だけは許せない」


「全くもって同感よ。必ずこの世から皇帝を消すのだと、私は誓っているわ」


 同意だが、少し言い方が気になった。


「今、『私は』と言ったかい?」


「ええ。バルムンド皇帝暗殺は諜報機関からの命令ではないわ。私の独断。レベッカも、諜報機関には秘密裏に独自に探し出した成りすまし用の人間なの」


「僕だってそうさ。諜報機関の指令とは無関係に、カインに成りすまして皇帝暗殺を狙っているんだ」


 本当に何から何まで一緒だと感じた。

 まるで奇跡のような───。

 彼女も驚いていたが、やがて表情をほころばせた。


「なら、お互いにこれからもレベッカとカインということにしましょうか。カイン」


「そうだね。レベッカ」


 白い結婚と言い合ったときのように、声を出して笑った。


「でも、できればあなたの本当の年齢だけは教えてもらえないかしら?」


 レベッカが何かを思い出したように言った。


「どうしてだい?」


「あなたって見た目が幼いから心配なの。若すぎるようなら、危険な目に合わせるのは控えたいから」


「いやいや。21歳というのは本当さ。成りすまし用に同い年のカインという人物を選んだんだ。君は?」


「秘密」


 レベッカは唇の前で人差し指を立てた。


「でもあなたより少し年上とだけ言っておくわ。20歳のレベッカに成りすましているのは、サバを読みたかったからじゃないわよ。成りすませる人物の中では、本物の私に一番近いのが彼女だったの」


 僕は少し安心した。


「なるほど。君のことを大人っぽくて魅力的だと思うことが多かったけど、気のせいじゃなかったみたいだ」


 彼女は噴き出した。


「確かにあなたよりは大人ね。それに諜報員として女を使うことがあったのも確かだわ。でもそれはせいぜいキスまでよ」


「そうなの?」


「ええ。男の興味を引き付けてコントロールするためには、抱かれるのではなく、もう少しで抱けそうだという状態にする。それがハニートラップのマニュアルなの」


「ふ、ふーん」


「ことに及ぼうとした男を睡眠薬で眠らせてサヨナラしたことは何度もあるわ」


 彼女は僕から視線を逸らした。


「でも、まあ、その。私、まだなの」


 彼女は少しはにかんだ様子で、髪をかき上げた。


「だから、あなたに白い結婚をお願いしたという訳なの」


「あ、ああ。それは構わないよ」


「良かったわ」


 彼女は安心したように息を吐いたけれど、すぐに不愉快そうな顔になった。


「男の人ってそうなの? 一度抱いた女への興味って、薄れてしまうものなのかしら?」


「い、いや。僕は違うつもりだけど。でも分からないな」


「どうして?」


「僕にも、その、経験がないから」


「あら」


 彼女が驚いた様子を見せた。


「未経験の男なら、白い結婚なんて言わないで求めてくると思っていたわ」


「それは、そういう気持ちが無いわけでもないけれど、やっぱり君に申し訳が無いから。皇帝暗殺を実行する際は、高跳びしてもらう手筈なんかもきちんと整えるつもりだったし」


「あなた、良い人ね」


 彼女が目を細めた。


「それにやっぱり男前」


「そ、そうかな?」


「ええ。さっきそう言ったのは、白い結婚にして欲しいと告げたときに傷つけないためではあったけど、本音よ。これまで恋人はいなかったの?」


「いたことはないよ」


「ちょっと不思議だわ」


 レベッカは少し考えた後で、何かを思いついたような表情になった。


「あっ。もしかして、殺されてしまった村人の中に好きな女性がいたとか?」


 僕の胸を、微かな痛みが貫いた。


「当たっちゃった?」


「うん。でも、ちょっと違うんだ。僕の好きだった人は村にはいなかった。その少し前に、家族で別の国に移住していたから」


「そう。不幸中の幸いね」


「いや」


 僕は首を横に振った。


「彼女の移住先の国のその村も、数年後にバルムンド帝国に侵略されて焼き尽くされてしまったんだ。彼女も、亡くなった」


「そう。お気の毒に」


 レベッカが目を伏せた。


「その村の人たちのこともだけど、カインのことが気の毒だわ」


「そうだね。家族たちや同じ村の人たちは殺されてしまっていたけれど、いつか彼女に会えるかもしれないという希望があったのに、それされも打ち砕かれてしまったから」


 彼女は12歳で亡くなった。

 10歳の諜報員だった僕は、それを聞いて帝国への復讐心をたぎらせた。

 後年になって墓参りをしたとき、名前と生没年が刻まれた彼女の墓標を確認して決意を新たにした。


「カインは、その女性にみさおを立てているのかしら?」


「いや。一緒に過ごしたのは本当に幼い頃のことだから。でも恋愛とかは、彼女への弔い合戦が終わってからという気持ちは、あるかもしれない」


 レベッカが満足そうにうなずいた。


「本当に私たちってそっくりね。私も同じことを思っているの」


「そうなの?」


「ええ。今はそういうことはあまり考えられないけれど、皇帝を葬ったら、恋も、それに結婚もするつもり。幸せになることだって、復讐だと思っているから」


 幸せになることだって復讐───。


「そうだね。うん。良いことを教えてくれてありがとう」


「どういたしまして」


 お互いに笑いあった。


「ねえ。皇帝を葬って逃げ延びることが出来たら、その、肌を合わせてみる?」


「えっ」


 僕はどきりとした。


「皇帝のに服す時期にそういうことをするのって、最高の復讐だと思うから。嫌?」


「嫌じゃないけど───」


「何よ。その言い方。まあ、がっつかれても引くけど」


「あはは……」


 彼女は少し唇を尖らせて、前髪をフーフーと吹き始めた。

 その瞬間、心が動いた。


「うん。抱きたい、かな」


 彼女が前髪を吹くのをやめて、僕を見つめてきた。

 恥じらいがこもってはいるけれど、強いまなざしだと感じた。


「なら、キスしてくれる?」


「えっ?」


「結婚式のときの誓いのキスは偽物だったでしょう? 皇帝殺害と、その後のことを約束して、誓いのキスをしましょう」


「あ、うん」


 彼女が距離を詰めてきた。


 僕たちは抱擁しあいながら、唇を重ねた。

 唇の甘美な感触。

 彼女の体温。


 そのまま一緒にベッドに押し倒したくなる衝動に、僕は耐えた。


「ん」


 唇を離した時、彼女が微かに吐息を漏らした。

 それからしばらく見つめ合っていたけれど、同時に顔を逸らした。


「な、なんだか気まずいわね」


「う、うん」


「ラジオをつけるわ」


 彼女は立ち上がると、真空管ラジオの前まで行ってスイッチをひねった。


『皇帝陛下の崩御ほうぎょが確認されました』


 衝撃的なニュースがラジオから流れた。


「なん、ですって?」


 彼女が驚きの声を上げた

 僕も立ち上がって彼女の隣に並んだ。


『繰り返します。皇帝陛下がお亡くなりになったことが確認されました』


 ラジオが詳細を告げている。

 数時間前、バルムンド皇帝の乗った車が皇居に到着する直前、男女の二人組が近づいてきたらしい。

 そして大爆発が起こり、車は炎に包まれたのだという。

 鎮火後に皇帝は病院に搬送されたが、既に亡くなった後だったとのことだ。

 男女は爆発で跡形もないのだという。

 二人による自爆テロ、暗殺の可能性が濃厚らしい。


 チャンネルを他に変えみたけれど、同じニュースばかりだ。

 そのまま一時間近くラジオを聞いて、皇帝暗殺は間違いないことを悟った。


「肩透かしを食らった気分だわ」


 レベッカがラジオを止めた。


「うん。なんだか力が抜けちゃったよ」


 どちらからともなくベッドに戻ると、床に足を付けた状態で後ろに倒れ込んだ。


「皇帝を殺したいほど憎んでいるのは、私たちだけではなかったということね」


 レベッカが天井を見つめながら呟いた。


「そうだね。皇帝に同情する気はないけど、暗殺を決行した男女は気の毒だよ」


「跡形もなく消し飛んでしまったんだものね。その二人って、夫婦か恋人同士だったのかしら?」


「分からない。僕たちみたいに、暗殺するために手を組んだだけだったのかも」


 レベッカが寝そべったまま僕のほうに顔を向けた。


「ねえ。プロポーズだけではなくて、街で私に声を掛けてきたのも、あなたからだったわよね?」


「うん」


 約半年前、街で彼女を見かけたときのことだ。


「バルムンド人の女性なら、誰でも良かったのよね? 目的は、結婚してこの部屋を借りることだったんだもの」


 その通りだが、彼女に声を掛けてしまったのには理由がある。


「でも、気付いたら声を掛けてしまっていたんだ。その、君にかれて」


「ふふ。もしかして、あなたが昔好きだった女性に似ていたからとか?」


「そうだよ」


 僕は微笑んでレベッカを見つめた。


「でも一緒に過ごしたのは幼い頃のことだと言っていなかったかしら?」


「うん。最後に会ったのは彼女が9歳で、僕が7歳の頃さ」


「なら似ているなんて思うかしら? 7歳だと、あなたの記憶も曖昧だと思うわ」


「確かにね。でもはっきりと覚えていることがあるんだ」


「何を?」


「彼女の、前髪をフーフーと吹く癖」


 今でもはっきりと思い出せる。

 彼女が手持無沙汰の時に、よく前髪を吹いていたことを。

 それを見るのが好きで、遊ぶ約束をした時間にわざと遅れていったこともある。

 怒られたけど、それも嬉しかった。


 初恋。

 憧れの女性だった。

 そう気づいたのは、彼女が村からいなくなった後だった。


「半年前、君は街角にたたずんで前髪をフーフーと吹いていた。それに魅かれて、思わず声を掛けていたんだ」


「そうだったの」


 彼女は体を起こすと、わざと前髪を吹いた。

 僕も寝そべるのをやめてベッドの端に座った。


 レベッカがこうしているのを見るのも好きだ。

 無言で彼女を見つめていた。


 レベッカは僕の視線に気づくと、苦笑して前髪を吹くのをやめた。

 そしてその後ではっとした様子になった。


「ねえ、カイン。最後にその女の子に会ったのは彼女が9歳で、あなた7歳のときだったと言ったわよね?」


「うん」


「それにその子は、家族と一緒に別の国の村に移住したそうじゃない」


「そうだよ」


「そして前髪を吹く癖があった女の子。それって、たぶん私よ」


「えっ」


 僕は唖然とした。

 彼女も困惑気味に僕を見ている。


「いやいや。その女の子の移住先の村も帝国に焼かれて、皆殺しにされてしまったんだ。お墓だって確認したよ」


 だがレベッカは首を横に振った。


「あなたと同じで、私も諜報員と活動しやすいように死んだことにされたと言ったでしょう? お墓もそのための工作の一つ。中には誰も眠っていないわ」


「まさか」


「そして私の本当の名前は───」


 レベッカが口にしたのは、紛れもなくあの女の子の名前だった。


「そしてあなたは、私が移住前にいた村でよく一緒に遊んでいた二歳年下の男の子。本当の名前は───」


 その名前も僕の本名に間違いなかった。


「生きて、いたんだね」


「あなたこそ」


 レベッカの目から涙が流れた。

 同時に、僕のほおにも熱いものが伝った。


 僕たちは抱き合ってお互いの名前を呼び続けた。


 泣き止むとベッドに寝そべって、離れ離れになってからの話をした。


 彼女は以前住んでいた僕の村が襲われたことを、しばらくの間知らなかったらしい。


 それを知ったのは移住先の国の村が襲われて、一人生き残った彼女が諜報機関に拾われてからしばらく後のことだったそうだ。


 そのときや偽装した僕のお墓を訪ねたときに、帝国への復讐の想いを強くしたことも、同じだった。


「家族もあなたも失ってしまった。だからバルムンド皇帝を葬ることが、私の生きる支えだったわ」


「僕もさ」


「でもバルムンド皇帝は死んでしまったわね」


「うん。僕たちの代わりにやってくれた人たちがいるから」


「だけど私たちの復讐は終わっていないわ」


 横になったまま見つめ合った。


「そうだね。幸せにならなくちゃ」


「それに皇帝が死んだときに、復讐のためにすることがあったでしょう?」


 彼女が悪戯っぽく笑った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 僕たちはそれぞれの国の諜報員をやめた。


 そしてカインとレベッカという平凡な夫婦として、バルムンド帝国の首都で暮らし続けた。


『カイン。あなたはレベッカを妻とし、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も、貧しい時も富める時も、彼女を愛し続けることを誓いますか?』


『はい、誓います』


 教会での誓いは現実に変わった。


 男は一度肌を合わせた女性に対しては興味が薄れる。

 他の男はどうなのか知らないけれど、僕は違っていた。


 僕は彼女を愛し続けた。

 もしかしたら、彼女のあの癖をずっと見ていたかったからなのかもしれない。


 彼女の前髪を吹く癖は、髪が白くなっても変わらなかった。




 ―― fin ――





最後まで読んで下さってありがとうございます。

スパイが活躍しやすいように中世ではなく近代っぽい世界観にしました。


少しでも楽しんで頂けましたら嬉しいです。

感想、評価、ブクマ、リアクションなど頂けますと励みになります。

どうぞよしなに。

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