7. 予期せぬ警告
「ありがとうございました、ケイリー。お庭のことを沢山知れて、とても勉強になりました」
「いえいえ! また御用がありましたら、いつでもお申し付けください!」
たっぷりお庭の案内をしてもらったのち、私はケイリーさんと別れてお屋敷の中へと戻る。
あのお客様……エルヴィス・スフィリア様がお屋敷内に居ると思うと、ちょっと緊張しちゃうな。もし対面することがあったら、失礼のないようにしないと。
私はルゼリアさんにお庭の報告をするため、階段を上がっていく。
さっきは二階に居たけれど、今はどこだろう。まあ、取りあえず順番に見て回って行けばいいか。
と、廊下の角を曲がると。
「アリアンナ!」
「ディズ様」
ちょうどどこかへ移動するところだったのだろう、ディズ様と鉢合わせた。彼は私を見るやパッと顔を明るくし、遠慮などとは無縁の足取りで距離を詰めてくる。
「退屈させて悪いな」
「いえ、お気になさらず。お客様とのお話は順調ですか?」
「まあまあだな。……ん?」
ふと言葉を止め、ディズ様はすん、と鼻を鳴らす。いったいどうしたのだろうか、と首を傾げる私に彼はひと言。
「庭に居たのか?」
もしかしなくても、匂いで判断されましたね?
別に、庭に居たことも草の匂いが付いていることも、恥ずかしいことではないのだけれど。でもなんか感覚的に! 恥ずかしいのでやめていただきたいです!
……なんて言えるはずもなく、私は平静を装って返事をすることにした。
「はい、庭師のケイリーにお話を伺っていました。……ディズ様の好みに沿うよう、いろいろ工夫をしているそうですよ」
ついでにさりげなく、ケイリーさんの頑張りを伝えてみる。使用人さんたちがディズ様のことを想っているのだと知ってもらえれば、日頃の態度が軟化するかもしれないからだ。
自分のために使用人さんたちが頑張っていると知ったらディズ様は嬉しい、ディズ様から優しく接してもらえたら使用人さんたちは嬉しい、それを見たら私も嬉しい! みんな嬉しい、最高の展開だ。
今より雰囲気が良くなったお屋敷を想像しながら、私はディズ様の反応を待つ。
と、彼は薄く笑って言った。
「……知ってる」
何というか。とても、優しくて……寂しそうな……少なくとも、いつもの彼とは全く異なる声色だ。目を伏せ気味にした表情も、まるで別人のよう。
いや、違う。私はこんな彼を知っている。あれはそう、初めて同衾した時に、「ありがとう」と言った――。
「これから客と昼飯を食うが、お前も一緒にどうだ?」
「え? ええと……」
声に思考を遮られ、私は我に返る。いつの間にか、ディズ様は普段通りの様子に戻っていた。
ともあれ尋ねられたからには答えなくては。私は慌てて思考を回す。
「お仕事のお話を邪魔しては申し訳ないですし、今回は遠慮しておきます」
「そうか。ま、晩飯はいつも通り二人で食えると思うからよ」
魔物討伐に関するアレコレみたいに、強引にでも……みたいな展開をほんのり予想していたが、ディズ様は案外すんなりと引き下がった。どういう基準で素直だったり強引だったりするのだろうか、と今更ながら疑問が浮かぶ。
未だ掴めないディズ様の内心を考えてみながら、私は踵を返した彼の背を見つめた。と、その時。
「兄さま」
後ろから声がして、私もディズ様も振り向く。そこに居たのは、金髪の若い男性。エルヴィス・スフィリア様その人だった。
ディズ様は口をへの字に曲げ、しかしあまり不快そうなふうでもなく、現れた彼に応える。
「エルヴィス、先に食堂行ってろっつっただろ」
「すみません、兄さま。奥方にご挨拶をしておきたくて」
言って、エルヴィス様は私の方を見てニコリと笑った。いかにも貴族の方らしい、上品な笑顔だ。魔物討伐をしている時のディズ様とは正反対と言える。
「ああ、紹介してなかったな。こいつが言ってた『客』だ」
親指で雑にエルヴィス様を示し、ディズ様は私に軽く説明した。政治の話をしに来てる人に対する振る舞いとしては、いやに砕けている。ディズ様らしいと言えばそうなんだけども。
というか、「兄さま」ってことは。
「弟さん……なんですか?」
「いいや、勝手に呼んでくるだけだ。別に血は繋がってねえ」
なんだ違うのか、と私は肩透かしを食らった気分になる。
弟だから贈り物を沢山してきてるんだと思ったんだけどなあ。そうなると、エルヴィス様はディズ様を慕っているから、兄と呼ぶし贈り物もするっていう話になる。
でもそんなに慕う理由って何だろう。エルヴィス様も戦いが好きだったりするのだろうか。
そんな憶測を巡らせる私に、エルヴィス様はゆっくりと歩み寄る。窓から差し込む光が、彼の金髪をキラキラといっそう綺麗に輝かせていた。
「アリアンナ・トゥーラ殿……ですね?」
「っはい。お初にお目にかかりますわ」
間違えないように、間違えないように、と私はアリアンナ様の記憶を頼りにして、慎重にお辞儀をする。
……いけたかな。ちゃんとできたかな。
不安に思いつつ顔を上げれば、エルヴィス様は変わらず優しい表情でいらっしゃった。私はこっそり安堵で胸を撫でおろす。
「私はエルヴィス・スフィリアと申します。かねてからスフィリア侯爵家とガロメル辺境伯家の橋渡しのような役割を預けられておりまして、本日もその役目を果たすために参りました」
なるほど、付き合いは長いんだ。エルヴィス様の自己紹介を聞き、私は少し疑問を解消させる。幼馴染、とまでいくかはわからいないけど、交流が多ければ仲が深まることもあるだろう。
「貴女のことは兄さまから伺っています。とても仲睦まじくされているようですね」
「……まあ……はい」
ここは「はい」と即答すべきところであろうが、私はうっかり本心を表わすかのように歯切れ悪く答えてしまった。
だって仲睦まじいって言っても、魔物討伐に関しては半分私が連れ回されてるみたいなものだし……それ以外の時も私はまだ、どうしても本当の身分の違いに恐縮しちゃってるし……。
決してディズ様のことは嫌いではないしドキッとすることだってあるけれど、素直に仲良いです! とは言えないっていうか、何と言うか。
もだもだと若干の後ろめたさと共に考える私とは対照的に、ディズ様は私の肩をぐいっと抱きよせた。
「自慢の嫁だぜ! な、アリアンナ!」
「あ、あはは……」
私はまたもや曖昧な反応をしてしまう。エルヴィス様に察してほしいような、でもそうなると彼とディズ様の関係が悪くなるかもしれないから、察してほしくないような。
まあ一番悪いのは臆病で、本音と建前どっちつかずのままな私なんだけど。
「不束者ではありますが、ディズ様の伴侶として精一杯尽くさせていただいています」
とにかく今は、無難な態度を見せておこう。私は貴族語彙――私が勝手に言ってるだけの造語。貴族の方が使うような語彙のことである――をどうにか引っ張り出し、それなりの挨拶の言葉を並べる。
するとエルヴィス様は、笑顔のまま、すうっと目を細めた。
「そうですか」
「……?」
ほんの僅かな表情の動き。しかしそれが、私はいやに気になった。
どうされたのだろう、私、何かまずいこと言ったかな。にわかに不安がぶり返す私だったが、ほどなくエルヴィス様は私から視線を外した。
「兄さま、食堂へ参りましょう」
「あ? もういいのか?」
「ええ。……それでは失礼します、アリアンナ殿」
ディズ様は今度こそ立ち去り、エルヴィス様もその後に続く。
……かと思われたが、一瞬、足を止め、私の方に近付いて。
「あまり調子に乗るなよ」
そう、耳打ちをした。
それはもう、びっくりするほど冷たい声色だった。
「またいずれ、ゆっくりお話をしましょう」
予想外すぎる言葉を投げつけられ硬直する私に、エルヴィス様は再度優しげな素振りでそう言い、去って行く。
私はしばらく呆然として、その背中が見えなくなってもなお、立ち尽くしていた。
「……はい!?」
何十秒も遅れて、やっとそれだけ口から転げ出る。
な、何? 何あの方? 調子に乗るなよって……何が? 私、できるだけ無難な対応したよね?? わかんない! 何が駄目だったの私!?
困惑の嵐に揉みくちゃにされていると、ディズ様たちが去ったのとは逆の方向から、バケツを持ったルゼリアさんが歩いてきた。彼女は明らかに挙動不審な私を見るや、怪訝そうに眉をひそめる。
「奥様? いかがなさいましたか?」
「ル……ルゼリアさん……!」
まともな人が来てくれた。それだけでこの上なく安心感が湧いてくる。私は勢い余って零れそうになる涙を抑え、言った。
「お庭はとても素敵でしたし……使用人の皆さんは最高です……!」