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3. 肝の冷える外出

 それから私は、毎日私室に籠って邪法の勉強をするようになった。


 使用人さんたちに頼んで食事は部屋に持ち込ませてもらい、寝る間も食べる間も惜しんで邪法の書の解読に勤しむ。

 限られた時間の中では、全てを習得し切るのはまず無理だ。だから「破解の法」という、恐らくは一番簡単そうな攻撃系の術に的を絞り、これを懸命に読み進めた。


 時おり窓の外に血みどろのディスエルグ様を見ては震え、部屋の前を通り過ぎる乱暴な足音を聞いては震え、それでも邪法を学び続けること一週間。


 突然、私の部屋の扉が蹴り開けられた。


 バン! という音に驚いて飛び上がり、それから恐る恐るそちらを見る。


「ディ、ディスエルグ様……!」


 居たのは、外出用の服に身を包んだ『血みどろ辺境伯』だった。ただしこれまでとは違い、血塗れになってはいない。


「来い」


「えっ、ちょっとあの」


 私はディスエルグ様に腕を掴まれ、強引に連れ出される。


「乗れ」


 屋敷の庭まで引っ張って来られたかと思えば、次は馬に乗せられ敷地の外へ。


「降りろ」


 馬に揺られることしばらく、人里離れた林に到着すると、下馬させられた。

 すっかり彼のペースに乗せられ言われるがまま為されるがままだった私だが、そこでようやく気付く。


 あ、私ここで殺されてポイされちゃうんだ。


 「破解の法」はまだ解読途中で、術の「始点」しか覚えられていない。ディスエルグ様に斬られても、魔物に襲われても反撃できない。終わった。


「アリアンナ」


「……はい」


 私は頭を垂れる。ひと思いにやってください、という意図を込めて。第二の生、短かったなあ。身代わりの私がこんな目に遭うのだから、せめてアリアンナ様には幸せになっててほしい。せめて、この死に意味が欲しい……。


 ぎゅっと目を瞑って来たる痛みに備える私だったが、しかし。


「気分は」


「へっ?」


 振って来たのは剣ではなくぶっきらぼうな声。思わず顔を上げれば、ディスエルグ様がしかめっ面で、でも今までよりは若干柔らかい表情で、私を見下ろしていた。


「気分はどうだっつってんだよ。良くなったか?」


「は、はい……?」


 私は曖昧に頷く。すると彼はどかりと草の上に腰を下ろした。


「座れ」


「はあ……失礼します」


 まだ殺さない、のだろうか。ひとまず言われた通り、彼の隣にちょこんと座る。別に可愛い子ぶっているわけではない。シンプルに怖いし肩身が狭くて縮こまっているのだ。


 でも本当にどういうことなんだろう。遺言でも聞いてくれたり?


 私が悶々と考えていると、ディスエルグ様はおもむろに口を開いた。


「悪かった」


 あまりに予想外な言葉。私は目玉が飛び出しそうになる。


 謝った? 謝ったの? 名実共に恐ろしい『血みどろ辺境伯』が?


 びっくりしすぎて返答に詰まる私に、彼は更に続ける。


「お前も嫌々来てんのに、邪険にし過ぎた。俺は嫁とか心底いらねえ。雑魚い奴なんてもっといらねえ。家のために受け入れたけど、婚姻とかマジ最悪だ。……でもお前だって同じなんだよな」


 ん? 今さらっと悪口言われた? いや、まあ雑魚なのは事実だけど。

 しかし何と言うべきか、淡々と喋るディスエルグ様はどこか哀愁を帯びており、そう……何だか、人間らしい。気付けば私は、彼の言葉に黙して耳を傾けていた。


「俺はお前に興味なんて無いから、何においても干渉しねえ。だからお前も好きにしろ。金は家が潰れねえ程度になら自由に使って良い。どうせ俺の嫁なんだ、外聞なんて有って無いようなもんだろ」


「ディスエルグ様……」


 私は少し、自分のことが恥ずかしくなる。ずっと一人で被害者ぶって、内心で喚き散らしていたけれど、彼だってそうだったんだ。家の事情で、都合で、仕方なく。詳しい理由はわからないけれど、とにかく全然好みでもない女を娶るしかなかった。彼もある意味、被害者だったんだ。


「ってわけだ。それだけ伝えたかった。お前だけ気ィ遣うのはフェアじゃねえもんな」


 肩をすくめ、ディスエルグ様は立ち上がる。


「あの――」


 私は何を考えるより先に体が動き、彼を呼び止めようとした。


 が。


「魔物だ」


 ディスエルグ様は不意にそう呟く。

 彼が目を見開き、サッと視線を移したその先に私も目を向ければ、木々の陰からのそりのそりと魔物たちが出て来ていた。


 私は前に死んだ時のことを思い出して身震いする。

 そう、(アキラ)私を殺したのはちょうどあんな感じの奴らだった。


「五、六、七体……まずまずだな」


 情けなくも怯える私に反して、ディスエルグ様はニヤリと笑いながら剣を抜く。


 先ほどの話を聞いて、彼のことを少し理解できたおかげだろうか。その佇まいに、私は恐怖というより頼もしさを感じた。我ながら単純だが、彼のことが『血みどろ辺境伯』ではなく、ちゃんと一人の人間に見えたのだ。……けれども。


「ふふ、ククク……」


「……ディスエルグ様?」


「ギャア~~~ッハハハハ!!」


 ディスエルグ様は、明らかに貴族が出すべきではない笑い声と共に魔物の群れに突っ込んだ。直後、一体目の魔物が剣で両断され、肉片が私の所まで飛んで来る。べちゃ、と落下したそれを見、また視線を前に向ける頃には、既に三体目が肉塊と化していた。


「オラ死ね! 死ぬな! 俺を楽しませろ!!」


 前言撤回、彼は紛うことなき『血みどろ辺境伯』だ。今さっきまで感じていた頼もしさはあっと言う間に恐怖に上書きされ、ついでとばかりに血しぶきが顔にかかった。


 悪魔じみた様子で狂喜し剣を振るうディスエルグ様に魔物たちは果敢に立ち向かうも、一体また一体と怒涛の勢いで斬り刻まれ彼を彩る化粧と化していく。そんな調子で、ほどなく魔物は最後の一体を残すのみとなった。


 もうこれは勝負が決まったも同然だ。私はガタガタ震えながら、一応その行く末を見守る。と、その時。


「あっ……」


 ディスエルグ様に飛び掛かるかと思われた魔物は、途中でくるりと方向転換し、後ろに居る私の方へと走って来た。勝てない相手より、弱い獲物を狙うことにしたのだろう。冗談じゃない。


 虚を突かれたディスエルグ様はそれでも素早く振り向き、魔物を仕留めようと後を追わんとするが、私は直感的に理解した。彼が魔物を斬るより、魔物が私に喰らいつく方が早い。


 死ぬのか。また、魔物に殺されるのか。


 (アキラ)私の魂が悲鳴を上げる。刹那、(アリアンナ)私の体が急速に熱を帯びた。


「ッ来ないで!」


 咄嗟に両腕を前に突き出す。


 カッと掌に未知の感覚が走り、次の瞬間――目の前の魔物が破裂した。


 破裂。それはもう、粉々に。

 一秒にも満たない出来事だったからよく見えなかったが、たぶん内側からはじけたのだと思う。バラバラと魔物だったものの残骸が降り注ぐ中、私はその場にへたり込んだ。


「た、助かった……?」


 何が起こったのかはなんとなくわかった。「破解の法」が発動したのだ。

 生命の危機に無意識下で底力が発揮されたのか、土壇場で努力が花開いたのか、アリアンナ様が何か体に仕掛けていたのか……原因は不明だが、ともかくあの未知の手ごたえと魔物に起きた変化は、邪法と考えるほかない。


「お前」


 ディスエルグ様に呼ばれ、私は我に返る。ぎこちなく「はい」と返事をすれば、彼はしゃがんで私の顔を覗き込んだ。


「今の、邪法だな?」


 そうだ、ガッツリ見られてたんだった。


 急いで誤魔化さなければ。せっかく助かったのに、タブーである邪法を使った罪で死刑! なんてことになるのは御免だ。絶対にしらを切るんだぞ、アキラ。


「えーっと、何のことやら」


「邪法だな?」


「ひゃい」


 物凄い早さで圧に負けた。『血みどろ辺境伯』に凄まれて白状せずにいられる人間が、いったいこの世にどれだけいるかという話だ。


 私は再び頭を垂れ、「ひと思いに」のポーズをとる。今度こそもう駄目だ。

 しかしディスエルグ様は、あろうことか私の肩に腕を回した。


「すげえ! すげえすげえ! お前やるなあ、ええ? この時代に邪法使うなんて最高じゃねえか!」


 それは純粋な称賛の言葉だった。彼は肩を組んだ状態で、私を揺さぶりながら嬉しそうに笑う。ごちごちと頭がぶつかって正直痛いが、想像と正反対の反応をされ、私も思わず口元が緩む。


 なるほどさすがは『血みどろ辺境伯』。大抵の物事に対する基準は、強いか強くないかにあると見た。邪法使いを見逃すのは貴族として大問題な気がするが、まあ命拾いしたんだから良しとしよう。あと褒められて嬉しい。邪法を使えるのはアリアンナ様のおかげだけど。


「えへへ、それほどでも……」


 私が照れ笑いをすると、ディスエルグ様は腕をほどき、今度は正面から私の両肩を掴んだ。


「気に入った! 俺と一緒に戦え!」


「あえ」


 急転直下、一気に体から血の気が引く。何、何ですかそれは。どうしてそっちに話が転がるんですか。


 笑顔を凍り付かせる私に構わず、ディスエルグ様は太陽のように笑った。


「俺とお前で思う存分暴れて、魔物をぶち殺しまくろうぜ!」


 転生してからもう何度目になるだろうか。私は空を仰ぎ、神様に祈った。


 本当に。勘弁してください。

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