1. 不運な転生
神様。私、アキラは善良な村娘です。
両親のことはあまり覚えていませんが、心温かな村人たちに育てられ、また彼らと共に慎ましやかな幸福を享受して生きてきました。もう十八歳ということで近々町の青年を紹介してもらう予定であり、彼と絆を結び結婚した暁には必ずや幸せな家庭を築こうと意気込んでいました。
しかし定命の存在として死は避けられないものです。たとえそれが魔物に襲われるという残酷な出来事でも、最期は受け入れねばなりません。私はそれをよく理解しておりますし、実際、未練はあれど抗えぬ運命には身を委ねる心づもりでありました。
ですから、神様。このようなお戯れはおやめください。
このような――血みどろの辺境伯と結婚させるなどということは!
***
目を開けると、真っ先に飛び込んで来たのは、絵でしか見たことがないような豪華な天蓋だった。
「あ、れ……?」
夢かな。ううん、それにしては意識がハッキリしてる。
……あ、そうか。これがあの世ってやつかも。だって私は、村で魔物に襲われて……死んだんだから。
私は体を起こそうとするけれど、どうにも力が入らなくて諦める。これからどうなるんだろう、村のみんなは悲しんでるかな、魔物は無事に退治されたんだろうか、なんてことをボーっと考えていると、ガチャ、と扉の開く音がした。
「お嬢様! お目覚めになりましたか!」
辛うじて顔をそちらに向けると、メイドさんが私を見て笑顔を浮かべていた。
……お嬢様? どうして私なんかを、お嬢様って呼ぶんだろう。あの世のお世話係さんなのかな?
「ああ、ご無理はなさらずに。いま旦那様とお医者を呼んで参りますので」
私が何か言いたげにしているのを察知したのか、彼女は私をやんわりと制止する。それから持っていたトレーか何かを近くのテーブルに置いて、部屋を出て行ってしまった。
「……?」
何だろう、この状況。あの世にしてはちょっと変だ。私は「あー、あー」と声を出してみる。掠れているのを加味しても、はて私ってこんな声だっけ。
「困惑しておられますのね」
突然、左側の耳元から声がして、私は反射的にそっちを見る。どうして今まで気付かなかったのだろう。ベッドサイドの椅子に、黒髪のきれいな女性が座っていた。彼女はゆったりとした口調で、優しく私に語り掛ける。
「仕方のないことですわ。ですがご安心を。わたくしが懇切丁寧に教えて差し上げますから」
「だ、誰……」
よく見ると、女性は僅かに透けていた。幽霊、というほどおどろおどろしくは無い。もしかして、神様だろうか。
ぐるぐると思考を巡らせる私に、彼女はそっとどこかを指差す。力を振り絞って上体だけ起こし示された方に視線を向けると、立派な装飾の姿見が。そして――そこに映っていたのは、目の前の女性と同じ顔をした私だった。
「……私?」
「ええ。ですが、いいえ。貴女が、わたくしですわ」
「???」
彼女はおもむろに立ち上がる。一介の村娘である私とは違い、気品のある佇まいだ。
「単刀直入に申し上げましょう。貴女はわたくし、伯爵令嬢アリアンナ・トゥーラの体に転生したのです」
「えっ……」
滑らかに飛び出して来た言葉に、私は絶句する。にわかには信じ難いことだが、姿の変わっている私と、今の私と同じ姿だけど半透明になっている彼女……状況からして、納得せざるを得ない。
「じゃ、じゃあ私、あなたの体を乗っ取っちゃったってことですか!?」
「そうですわ。しかし気に病むことはありません。貴女が『アリアンナ』に転生することは、わたくし自身の望みなのです」
知らない人、それも御令嬢に成り代わってしまうなんて、と狼狽する私だが、反して女性、あらためアリアンナ様は至って落ち着いている。
「な、なんでそんなことを……?」
ますます困惑は深まるばかり。アリアンナ様は私の問いに答えようと口を開いた――が、同時に勢いよく部屋の扉が開き、初老の男性と白衣を着たお医者様が入って来た。
「アリアンナ! おお、無事でよかった!」
あ、私、本当にアリアンナ様になってるんだ。私を見て喜ぶ男性、たぶん伯爵様かな。彼の様子を目にして妙な実感を得るが、それでも意味がわからない。とりあえず、他人だって言った方が良いのだろうか。
「あの、私は……」
しかし私の言葉を遮り、男性は涙ぐみながら喋り始めた。
「せっかくお前が覚悟を決めてくれたのに、全てが無駄になるかと……。いやはや、良かった! 婚姻の準備は順調に進んでいるからな。安心……はできないだろうが、まあ『血みどろ辺境伯』とて正式な結婚相手にそう手荒な真似はせんだろう」
……うん? なんだか途轍もなく物騒な単語がチラホラ聞こえてきたんだけど。
というか『血みどろ辺境伯』って、あの?
野蛮で凶悪で魔物殺しに快楽を覚えるっていう噂の?
「悪い子は血みどろ辺境伯に連れて行かれるぞ」って親が子どもを叱る時の? え?
それで私……アリアンナ様がその人と!?
「す……すみません、私ちょっと記憶が……」
「おっと、目覚めたばかりだというのにすまないな。嫁入りまではまだ日がある。ゆっくり休んでくれ」
男性はお医者様に私の熱や脈なんかを測らせると、二人してさっさと部屋を出て行ってしまった。
私は左隣を見る。またもやいつの間にか、アリアンナ様が立っていた。
「……嫌な予感しかしないのですが」
「お察しの通りですわ」
ニコ、と彼女は笑う。
「貴女はこれから、わたくしの身代わりとして! 『血みどろ辺境伯』ディスエルグ・ガロメルの元へと嫁ぐのでしてよ!」
堂々と、それはもう、高らかに。アリアンナ様は宣告した。喉が元気だったら私、叫んでただろうな。「嫌です!!!」って。
「彼のお方は血と肉塊を好む戦闘狂。しかも言葉や立ち振る舞いまで下品。そんな方に嫁入りするなんて、誰だって嫌でしょう? わたくしだって嫌ですわ。ですからこうしましたの」
「外道ですか?」
「うふふ、使ったのは邪法ですわ。外道が、邪法。少し韻を踏めますわね」
「ひ、他人事だと思って……!」
「もう他人事ですもの」
ようやく事情が掴めた。アリアンナ様は『血みどろ辺境伯』との婚姻がどうしても嫌。だから邪法を使って、私の魂を自分の体に入れた。こうして整理すると至ってシンプルだが、余計に酷さが増す。
「というわけで、わたくしは次の生を受けに行きますわ。頑張ってくださいまし、どこかの誰かさん」
「ちょっと!? ッゲホ、私を置いて行くんですか!?」
むせながら悲鳴を上げる私を余所に、彼女はすうっと宙に浮かぶ。ていうか実質死ぬようなもんなのに、思い切りが良すぎませんかアリアンナ様!
嫁入りが文字通り死ぬほど嫌だったんですか!? 噂通りに、そんなに酷い方なんですか『血みどろ辺境伯』って!
「心配ありません。記憶は魂に刻まれるものですが、体の方にも複製されているはずですわ。上手く扱えるかは別ですけれど、まあ好きに使ってくださいまし」
「心配しかありません!!」
アリアンナ様はどんどん体が透けて、見えなくなっていく。やがてキラキラとした光の粒となり、空中に溶け消えていった。
「さようなら。またご縁がありましたら、お会いしましょう」
どの口で仰ってるんですか。本当に。
***
「それじゃあ、達者でな」
「はい、お、お父様……」
一週間後。私は何の問題も無くお嫁に出された。
馬車の走り去る音を聞きながら、見張り台のように建つ要塞じみたお屋敷を見上げて、私は溜め息を吐く。絶望である。しかしどうしようもない。
「アリアンナ」が『血みどろ辺境伯』に嫁ぐのは、最近やや落ち目のトゥーラ家に箔をつけるため。例え悪名高くとも辺境伯は辺境伯、その地位はトゥーラ家のために利用できるとのことだ。
『血みどろ』と結婚だなんて心底不安だし嫌でしかないものの、残念ながら、私には困っている人を見捨てるほどの度胸は無かった。
ともあれ、決まってしまったことは仕方がない。これも運命だ。もしかすると『血みどろ』は風評被害で、本当のディスエルグ辺境伯様は良い人かもしれないし。何事もやってみなくちゃわからない。
よーし、自己暗示自己暗示。今の私は村娘のアキラではなく、伯爵令嬢アリアンナ。お家のために辺境伯に嫁ぐトゥーラ家の次女。ですわ。
「行くぞ……!」
まずはファーストコンタクト。少しでも良い印象を持ってもらって、辺境伯のご機嫌をとるのだ。トゥーラ家と、自分の命のために。
私は高くそびえる門の前に立ち、ノッカーに手をかける。これをゴンゴンってやれば良いんだよね。そっと持ち上げて――
――ドガン!!
「はぇ」
私は硬直する。ノックの力加減を間違えたからじゃない。その前に、私の背後から、逞しい脚が物凄い勢いで門を蹴ったからだ。なんだっけこういうの。足でドンってするやつ。
「あァ? ンだテメエ」
骨の髄を掴まれてベキベキに折られるような、ドスの効いた声が頭の上から降ってくる。冷や汗でべしょべしょになりながら振り返ると、そこには非常に不機嫌そうで、魔物の死骸を肩に担ぎ、血みどろになっている若い男性が立っていた。
「俺の屋敷に何の用だ」
鮮やかな赤色の長髪と、黒っぽく変色した魔物の血で、目がチカチカする。あと死ぬほど鉄臭い。身長たっか。威圧感やば。顔こわ。
あの、はい、初対面ですがわかりました。この人が『血みどろ辺境伯』ですね。
神様、もう勘弁してください。