ネトコン一次通過した皆様に惜しみない祝福と少しだけ嫉妬を込めて
通過した人が周囲に多すぎてがお祝い回り切れないので(悔しい) このエッセイをお祝いのメッセージとさせてくださいね。
ネトコン一次通過作品発表されましたね。
今年は相当な狭き門となったわけですが――――見事通過された皆さまおめでとうございます!
え? 本音ですか? うわああああん、羨ましい!! ですけどね。
正直昨年はめっちゃ凹んでました。毎回私の活動周年記念に発表合わせてきやがって……私に何か恨みでもあるのかにゃ? 猫パンチ喰らわせるぞってね。
お察しの通り今年も通過無し。
でも今年は全くのノーダメージでした。全然悔しくも無いし、もう少し凹むかな? って思っていたのに明鏡止水の境地ですよ、いやあ成長したなあ……そこ、小説は成長していないとか言わない!!
なぜ今年はノーダメージなのか?
それは簡単なことで、ネトコンに対する認識が変わったからです。
私、以前まで周囲の影響もあってネトコンは一種のお祭りだと思っていたんですね。
他のコンテストと違って、一次に関してはジャンルなど関係なくチャンスがあって盛り上がれるものなんだって、そう思っていました。
だからとにかく参加して楽しまなきゃって、そう思っていたんです。だって周りがお祭り騒ぎしているのに遠くから見ているだけなんてつまらないじゃないですか。
でも、前回と今回参加してみて、わかってしまったんです。
あ……これガチな奴だって。
考えてみれば当たり前の話で、いくらお祭り級の大規模コンテストとは言え、選考側は本気に決まってる。
通過した作品をみればわかる。
言い方は誤解を招くかもしれないけれど、名作を求めているわけじゃない。
商業化するために求められている形式と必要条件を満たしているのかどうかでちゃんと選んでいる。
私は、そういう作品が苦手だから自分で書いてる。求めているものが無いから書いているのであって、そんなモノが通過するはずがないのは自分が一番理解してる。
負け惜しみでもなんでもなくてね。だからダメージは無い。
まあ……私の話はどうでも良くてですね、
だから――――一次通過された皆さまは、すでにその力を持っている書き手なのです。
そこから先へ行けるかは、参加企業との相性や求められているジャンルや流行りにも左右されてしまいますし運の要素も大きく影響してくるでしょう。
でも!! 力はある。
通過できなかった人が力が無いとは言いません。下読みさんとの相性もありますし、ここでも運の要素は大きい。
しかし通過した人は間違いなく力はあるんです。求められているものを作品として出せる力をすでに備えている。
誇ってください。受賞するとかしないとかは問題じゃない。二次で落ちようが何も否定なんてされない。積み上げたものは絶対に嘘をつかない。
人気とかポイントとかブクマとかPVとかそんなの関係なく凄いんですから!!
だから――――まさか書くのやめるなんて言いませんよね?
受賞しなかったから諦めるなんて傲慢なこと言いませんよね?
それを持っているということがどれほど持っていない大勢の人にとって恋焦がれるものであるのか、自覚してください。まったく無自覚系主人公はこれだから……。
どうか一次通過の誇りを胸にこれからも書いてくださいね!!
私の屍を踏み越えてゆくのは構いませんが、痛くしないように。
その手は人を楽しませる力を持っているんです。
心を救い 癒し 価値観すら変えて 生きる力を与えることだって出来るんですから。
え? 私はどうするのかって?
あはは、私はそういうの興味ないんで(精一杯の強がり)
そして――――頑張ったのに通過できなかった皆さま、目一杯落ち込んで凹んで恨み言を吐いて嫉妬して羨んで――――涙が枯れ果てるくらい泣いたらね、
また一緒に書こうね!! 他の誰でもない、自分自身を震えさせる小説を!!
とにかく通過した皆さまおめでとうございます~!(雑に終わらせてごめんね)