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16話

 湿気った夕暮れ時の感触が、肌をそうっと撫でる。私たちは教室の鍵を健脚するため職員室にまで赴いていた。

 

「……で、中世といっても区分けが千年ぐらい続いちゃってるので、西ローマ帝国が瓦解した直後の中世なのかビザンツ帝国滅亡秒読みの中世なのかでもだいぶ前提条件が変わりますしね。例えばよく頭の悪い国王が民に圧政を敷いて贅の限りを尽くしているところに颯爽と主人公が駆けつけて現代知識なりチート魔力なり筋力なりでざまぁ展開に持ち込むお約束があります。これは中世ヨーロッパでは絶対にあり得ない構図なんです。当時はキリスト教全盛期で、教会、特に聖職者や教皇の権力はそれはそれは凄まじくて。一応すでに王国なんかは存在していたんですが、まだ国民国家のようなシステムではなかったのであくまでも大まかな、ざっくばらんな勢力圏に過ぎなかったんです。だから人々の認識だと自身のことをどこどこの国民よりは誰それの領民であるといった方が正しいはずです。定説七回の十字軍遠征を得て教会側が疲弊したのをきっかけに王権が伸長したって流れです」

 

「詳しいね。将来は歴史の先生」

 

 福本さんとは気兼ねなく会話のキャッチボールができる。私はヘタクソだからよろよろのフライしか投げてこないと思わせといてから球速一四〇キロのサイドスローを見舞ってしまうことが多々あるものの、福本さんはグローブを目一杯に広げて受け止めてくれる。デッドボールまがいのやつはサラッとスルーしてくれる。

 

「あっいえ、先生は先生でも私はラノベ作家として先生になりたくて」

 

 抜群の安心感からついつい余計なことも喋ってしまう。関わる前までは気難しい子だと決めつけて避けていた自分が恥ずかしい。

 

「夢があるっていいと思うよ。わたしもデザイナーになる」

 

「断言しちゃうんですか」

 

「うん。それ以外だと多分、使い物にならな過ぎて食っていけない」

 

 暫し無言の時間が過ぎる。私には忌むべき性質があって、少しでも暇があれば脳内で思考がほっつき歩いてしまう。そのせいで日常生活すらままならないのだ。虚構が現実に侵食してしまっている。

 

 今は渡辺さんの演技を思い返していた。すごいよかった。ボキャブラリーが消失してしまうほどには。もう渡辺さん一人でいいんじゃないかな。

 

 私は小説を作成している時、アニメや映画などの映像作品をノベライズしているようなような気分になる。すでにあるものを文字に直しているような感じだ。そのせいで視覚と聴覚情報以外が削ぎ落とされた駄文になってしまう事故も多発するのだけれど。ともかく、私は感動した。夢想していた架空の人物の言動をそっくりそのまま見せつけられたのだから。解釈一致とはまさにこのこと。表現者としてこれ以上に幸福なことはない。

 

 不意に福本さんが立ち止まってこちらを振り返る。相手が会話を仕掛けてきそうならこちらも応じるフォームを取らねば無作法というもの。人間関係は先読みが大事って雇われのゴーストライターが書いたであろう実業家の本で読んだ。まるで将棋だな。脳内再生を停止して聞く体勢を取った。

 

「どうしました?」

 

「葵ってさ、バレエ大っ嫌いなんだよ」

 

「うぇ?」

 

 話の脈絡が見えない。雲行きが怪しくなってきた。どうした急に。

 

「葵のお母さんがね、プロのバレリーナになりたかったそうで。でも才能がなかった。始めた時期もかなり遅い方だったらしい」

 

「そ……それで嫌々やらされていた、と?」

 

 なるほど。自分が叶えられなかった夢子供に託し系ペアレントだったのか。テレビなんかでありがちな毒親の雛形みたいな母なのかもしれない。

 

「最初の頃は楽しかったって言ってた。習い事の試しにバレエを選んだまでで、親もそこまで介入しないし。だけど下手に才能があるのがいけなかった。先生に特別扱いされて、(おだて)られて。そしたら親もやる気になっちゃって。そっからが地獄」

 

 結末は目に見えている。十中八九、渡辺さんへの廃課金がスタートし、レッスンの量が次第に増加する。甲子園常連校のようなスケジュールでまだ幼い子供がこなせるわけがない。駄々を捏ねても強制連行だ。幼少期において親の存在は唯一神のようなものだし、未発達な知能では反抗も難しいだろう。

 

「で、でもですよ。なんでいきなり…………」

 

「杖ついてるじゃん。あれね、中学の時に捻挫した時のもので。捻挫自体は一ヶ月しないで治ったんだけどさ、バレエしたくないからって親に嘘ついてる今も」

 

「………………えぇ」

 

 そうだったんだ。つい先程まで、偶に見せる表情は達観だと思っていた。違った。諦念だったんだ。

 

「ひとりぼっちだったんだよ。ずっとね。学校でも、バレエ教室でも。重ねちゃったんじゃないゆうかのことをさ。昔の自分と。頑張っても空回りして、辛そうにしてる子を放って置けなかったんじゃないかな」

 

 ひとりぼっち、か。

 

「それだけ。話はこれでおしまい」

 

 福本さんは何事もなかったかのように歩き出した。彼女にとっては、当然の事実であったのだろう。

 

 私は何も、知らなかった。

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