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15話

 看板の製作が終わっても、役者の男の子たちは一向に来ない。台本の流れが机上の空論だと高確率で事故ってしまうので、実際に演技や演出を交えて再現可能かどうか確認するのはマストだ。そろそろリハーサル練習を進めなくては。されどアクターが集まらない。水筒を呷っている渡辺さんに困っていると相談したら、「あたしに任せて」と臨時で演技してもらうことになった。

 

「どっからやれば?」

 

 渡辺さんが髪を慣れた手つきでお団子にまとめる。ヘアゴムを咥えた姿が妙に色っぽい。

 

「あっとりあえず頭から、エイブルが旅立つ場面まで通しでお願いします」

 

「オッケー」

 

 軽々しく了解の旨を告げると、地べたに左右の脚を一直線にして開いた。上半身をベタリと前に倒す。前々から体の動きが滑らかだなとは思っていたけど、こうも目の前で見せつけられると感嘆の息が漏れ出てしまう。

 

「すご………………軟体動物……」

 

「普通の人は天地がひっくり返ってもムリ。あたしは鍛えてたから」

 

「はえぇーすっごい…………」

 

 つくづく彼女のことが羨ましくなる。体は自在に動き声は通る。顔もすこぶる良いし話し方から察するに地頭だって良い。それにどこか達観している。私みたいなのとは遺伝子の時点で出来栄えが違うんだろうな。

 

「にしても、主役級なんていつぶりだろ」


「えっ葵ちゃん子役でもしてたんですか?」

 

「違う違う。そんなんじゃない。バレエ。習い事でね」

 

「へえ」

 

 小説家という生き方を選ぶ人間は往々にして自身の人生を放棄している。中には崇高な志を携え死地に赴く報道写真家のように、メインキャストたちに親身になって寄り添いいついかなる状況でも主人公たちの物語を詳細に、情熱的に文字に起こす作家も少なくない。ヒーローまたはヒロインにその責務を押し付ける。自分は安全圏からそれを眺めていることで満足している。途中でサイリウムを振り回したり黄色い声援を送ったりもするだろう。でもそれだけ。

 

「…………あっだから! だからそんなに体柔らかいんですか!」

 

「ゆうか、もしかして気づいてなかったの…………」

 

「あっはい。全く。今知りました」

 

「うそ」

 

「昔ね、地元の教室に通ってた時は『ドン・キホーテ』っていうお話で何回かやらせてもらって」

 

「ディスカウントショップ」

 

「あっあの私読んだことあります。訳本ですけど。イダルゴ出身のセルバンテス先生渾身の冒険小説! 騎士道物語の過剰摂取で頭がおかしくなってしまった主人公が自身をベテランナイトだと思い込んで始まる」

 

「違うけど?」

 

「え、どこがです」

 

「主人公はキトリっていう宿屋の娘で、ドン・キホーテは脇役。金持ちなだけの貴族に結婚を強いられてるけどバジルって名前のー、キトリの恋人が自殺未遂して阻止するっていう話でしょ」

 

 刹那、思考がフリーズした。自意識がリブートすると同時に、本心がまろび出る。

 

「それって原作の後篇に出てくる一部じゃないですか! 原作改変も甚だしい! 許せませんよ! そいつら死刑です! 万死に値します!」

 

 発した声が平常時よりも震えてる。原作者にアポも取らずして都合の良いように作品を改竄する。唾棄すべき愚行。

 

「そんなキレなくても」

 

「そーなの? ……そーいやそんなんだったような」

 

 少し前に誤用した怒髪天を衝くという言葉に実感が湧く。ヘアスタイルが逆だったりはしないが、頭頂部の辺りがムカムカする。理解が地に足ついた。これなら正しい用法も忘れまい。

 

「プティパ、ゴルスキーを代表に様々な振付家によって改訂されてる、だって」

 

 福本さんがウィキペディアでまとめられている上演史を見せてくれた。なるほど、バレエ団の芸術監督であったマリウス・プティパ氏は対ボリジョイ劇場決戦兵器としてドン・キホーテを魔改造したようだ。彼による初演版、改訂版にも差異があり、初出しではモスクワの庶民向けに素朴な喜劇として、バージョンアップ後はペテルブルクの観客のストライクゾーンをスナイプするべく貴族的で洗練された、醇乎たる舞踊としてチューニングされたらしい。顧客層を的確に定め、エンターテイメントとして、アートとしての品質を確保する、と。

 

 あれ? 私が理想とするクリエイター像だ。


「……最終的に、ドン・キホーテは成功したんですよね」

 

「うん。多分だけど、元のまま脚本に落としてたら歯切れの悪いものになってただろうね」

 

「なんか、複雑な気分」

 

「創作に他者を入れることは決して悪いことじゃない」

 

 わたしも人のこと言えないんだけど、と前置きをしてから。

 

「頑張れば初めから終わりまで全工程一人でできちゃうから、どこまでも独りよがりになりやすいんだよね。洋裁もそうなんだけど、わたしたちが作ったものは人にあげること念頭に。作り手の期間が長いと受け手の感性とどんどん乖離するから。外の意見大事。特に劇とかなんかはそう。お遊戯会レベルですら四十人の人間が携わる。自分だけじゃ絶対に作れない」

 

 事実として、セルバンテス先生は生涯貧しかった。ドン・キホーテ自体はヨーロッパ各地でバズり散らかし、かのシェィクスピアもこの作品に触れ、影響を受けていた可能性が高いとも考えられている。しかし版権をワゴンセールのごとく投げ売りしてしまった上に海賊版が数多く出回ったせいで、息を引き取るその日まで彼の生活が改善されることはなかった。過去の話だからここからは憶測。彼はタレントベースの作家だと思う。だからこそセルフプロデュースなしにスペインを代表する文化人として後世で讃えられるようになったんだろう。それでも時代の潮流は刻々と変化する。いずれ万人から飽きられる。であれば、第三者にバトンを渡して近代化改修を施してもらい、現代戦でも通用する作品としてのリライティングは「アリ」なのかもしれない。

 

「ねー、もう始めたいんだけどー」

 

 渡辺さんに催促されるまで考え込んでしまった。両頬をパシンと(はた)いて目を覚ます。私は原作者兼監督。私がしっかり向き合わないで一体誰がこの作品に向き合ってくれるというのだ。

 

「あっわかりました! どうぞ!」

 

 拍子木がぶつかった。カチンコなんて持ってないが、明瞭にそれを察知できた。

 

 リアルとフィクションの空間が分たれた。そんな気がした。

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