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短編

一つの恋が実るまで

作者: 猫宮蒼

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 とある小さな王国での話である。


 幼い頃より決められた婚約者と少しずつ仲を深めていったはずなのに、成人になる前の貴族たちが通い学ぶ学園にて出会った少女に一目で恋に落ちてしまった王子は、今まで仲が良かったはずのその婚約者を蔑ろにしてしまう。


 それはさながら、どこぞの娯楽小説のような出来事で。


 物語の中のようだわ、ときゃあきゃあ盛り上がる者や、いやあね現実は物語とは違うのに、と表に出さずとも不信感を持つ者。実に様々だった。


 娯楽小説では王子と恋に落ちる少女は大抵身分が低い。

 元は平民として暮らしていたが、実は父親が貴族の血を引く者で事情は様々だがその家に引き取られ貴族として暮らす事になった少女だとか。

 普通に最初から貴族として暮らしていたが、しかし没落寸前であるがためにそこらの平民とそう変わらない暮らしをしている者であったり。


 王子から見てそこらの貴族とは明らかに違うのだ、というのがわかりやすいもの、といえば間違いではない。



 物語の王子が何を思っていたかは作中で語られている事以外知りようがないけれど、それでもなんとなく想像できないわけでもない。


 どうせ婚約者との結婚は決まっているのだから、せめて少しの間だけでも自分の好きなようにしたい、だとか。たとえ婚約者と結婚しても真実の愛を貫いてみせるだとか。

 まぁ、そういう風に考えてはいるのだろう。


 話によっては婚約者を追いやってどうにか愛しい少女を自分の妻に……と画策する王子だっているけれど。



 物語ではない、この国で王子と出会い恋に落ちた少女は、子爵家の生まれであった。

 とはいえ子爵家の領地は王都から離れたところで、ぶっちゃけて言ってしまえば田舎暮らしだった事もあって貴族らしさがあるか、と問われればそこまでなかったのである。

 王都の近くで暮らしている男爵家のご令嬢の方が余程令嬢していると言えば、大抵の者は察するだろう。


 勿論、田舎めいた領地で生活する貴族が皆田舎者というわけではない。

 都会でのマナーもきちんと把握している田舎暮らしの貴族は大勢いる。


 けれども王子と恋に落ちた少女はそうではなかった。

 もう少し大人になっていたならば、その違いを彼女も理解できていたかもしれない。



 少女の家は、将来的に兄が継ぐ事が決まっていた。

 そして少女は嫁に行く事が決まっていたものの、まだ結婚相手は決まっていなかった。

 高位貴族は幼い頃に早々に婚約者を決められる事が多いけれど、低位貴族はそう簡単に決まらないなんてこともある。低位貴族に関しては政略結婚が難しい場合が多々あるのだ。

 高位貴族であればお互いの家の利になる事、というのは割とわかりやすくはあるのだ。領地があるならその領地を発展させるために必要なもの――技術や人材――を見れば今後どうするべきかは自ずと理解できるだろうし、領地がなくとも商会を立ち上げそちらで稼ぐ事もあれば、パトロンのような事をして資金援助をした先の店を大きくするだとか、才ある人材を発掘するだとか、やりようはいくらでもある。


 だが、経済的にも歴史的にも特に何もない低位貴族の場合は、そういった方法はやりたくともまず先立つものがない、なんてのもザラだ。

 領地を持たないところであれば、役人や文官・騎士といった己の実力でのし上がるような職に就かねばならなかったりするし、それすらままならないようであるなら寄り親に泣きついてどうにか職を斡旋してもらうなんて事もないわけではない。流石にそれはあまりにもあまりすぎて、滅多にない事ではあるが。

 そこまでいくと貴族としてやっていくのも向いていないと思われるし、実際そうなる事が多いのでそれならさっさと爵位を返して平民になった方がマシではあるのだ。


 ただ、プライドの高い相手はそれを頑なに認めようとせずずるずると貴族の地位に縋りついているのだが。



 ともあれ、少女の家は政略結婚をするにもあまり旨味のない家であるのは事実であったので。

 結婚相手を見つけるのであれば、学園に通いその間にどうにかいい相手を、と両親に言われていたのである。


 実際低位貴族が結婚相手を見つける事になる場というのは限られている。

 社交の場か、学園か。

 学園を卒業した後は社交界で相手を探す事になるのだけれど、その頃には素敵なお相手というのは大体相手が決まっている。故に、学生の間に見つけられなければ売れ残りと言われる事も普通にある。

 なるべく学園にいる間に相手を見つけろ、と親が言うのは、別に成人後の社交界で相手を見つけるのが絶望的だからではない。

 学生時代であれば、周囲の異性は大体同年代だ。同じ年でなくとも、学園の中で同じ生徒の中から相手を見つけるのであれば年齢差は最低でも二つか三つ離れる程度で済む。


 しかし学生時代に相手を見つけられず、社交界へ出ればその年齢差は更に離れた相手もいるわけで。

 三つ四つ程度の年齢差ならまだよいが、下手をすればまだ社会に出てきたばかりの世間知らずを何としてでも嫁や婿どころか愛人に、なんていう行き遅れどころか最早誰からも相手にされていないような、悪評高く厄介な貴族に目を付けられる可能性がある。


 しかもその相手が自分の家よりも家格が上だと断るのも逃げるのも一苦労。


 どうにか事態を解決させたとして、そこに至るまでにかかる時間が長ければその間マトモな相手を見つけるのもままならないし、下手にそれらの件が噂になると周囲は面倒な相手と関わらないように、と距離を取る事もあるのでマトモな相手との縁が遠のくのだ。

 それならまだお互いが同じ生徒として直接その人の事を見極められるだろう学園で、相手を探す方が余程マシ。


 いつの頃からか、そういう風潮になっていた。



 だからこそ子爵家の少女も学園で素敵な相手に出会えたら、とは思っていた。

 具体的な事は何も考えていなかった。まるで他人事のように素敵な恋をしてみたいわ、なんてふわふわとした事しかなくて、具体的にこういった家柄で、こういった相手がいいわ、とまでは一切思いつきもしなかった。

 だからだろうか。


 その結果、とんでもない大物を釣り上げてしまったのだ。王子である。



 将来この国の王となる事が定められている相手。自分には勿論過ぎた相手。わかってはいるけれど、それでも――まるで物語のような恋を、期待してしまったのだ。


 そして、物語のようなハッピーエンドを。


 それが、自らの不幸になるとは気づかずに。




 ――レナード王子にとって婚約者であるミリェリシアという存在は、出会った当初は好ましい存在ではあった。当時、もう一人婚約者候補である令嬢がいたのだけれど、家格やその他諸々を考慮した結果ミリェリシアが選ばれた。ただそれだけである。

 幼いながらも愛らしい容姿は、確かにレナードにとっても好ましく映っていた。

 まるで妖精のような可憐さに、幼かった頃の王子は確かに恋をしたのだと思う。


 けれども、それはあくまでも幼子の恋。

 成長するにしたがって、恋は愛に成長――する事もなく、どころか気付けば恋という感情も朧げになりつつあった。仲は悪くなかった。ただ、あまりにも一緒にいすぎて、将来彼女が嫁になると頭ではわかっていても、レナードの中でのミリェリシアはさながら姉のような――実際には数か月ほどレナードより遅く生まれているのだが――そんな、家族同然の存在になってしまっていた。


 いずれは妻になるのだから家族としてみるのは間違いではない。けれども、どうしたって妻というより姉にしか思えずいつか妻として扱わなければならないと考えれば考える程、何かが違うと思うようになってしまっていた。


 幼かった頃は、そういった部分を考えずにただ好きという感情で接していたけれど今にして思えばその頃の好きも恋というよりは友情の延長線上にあるだけのものだったのではないか、と思うようになってしまった。

 恋を、したはずだ。

 けれどももうその頃の気持ちがまるで思い出せない。



 そんな時に出会ったのが、子爵家令嬢であるシャーリーだった。


 ミリェリシアと出会った時のような、とは言えないがそれでもレナードは彼女を見て、まるで雷にでも打たれたかのような衝撃を覚えたのである。

 そしてそこで自覚したのだ。


 あぁ、これこそが本物の恋なのだ……と。


 ミリェリシアに恋をした事はあったかもしれない。

 けれど、シャーリーとの出会いは恋をしたなんてものではない。まさに出会ったあの瞬間にレナードは恋に落ちたのだ。



 それからは己の気持ちに正直に向き合った。


 とはいえそれは周囲から見れば不貞そのものである。

 単なる友人としての距離感であったならまだ周囲も思う部分があったとしてもそこまで何も言わなかったはずだ。けれども、シャーリーは王子様との素敵な恋に夢見てしまったし、レナードもまた己の気持ちを偽れなかった。


 ミリェリシアが苦言を呈するのは当然の流れでもあった。


 シャーリーにはそこまで言わなかった。

 いくら本人が気を付けたところで、王子からやってきてしまえば一介の子爵令嬢がきっぱりと拒絶できるか、となるとそうもいかない。

 身分差を考えるのならば、下手な対応をしてしまえば最悪自分だけではなく家ごとどうにかなってしまうかもしれない。


 そう考えれば、シャーリーには軽く釘を刺すだけでそれ以上ミリェリシアが何かを言う事はなかった。


 問題はむしろ婚約者であるレナードである。


 彼女をまさか正妃にしたい、などと言い出すはずはないと思いたいが万一というのも考えられるし、もしそうなれば自分は側妃などごめんである。

 だからといってシャーリーを側妃にされても困るのだが。

 愛人、妾。そういったものとするにしても、正妻を蔑ろにするのが現状目に見える程明らかであれば、それを了承するわけにもいかない。

 正妻を優先した上であればまだいいが、そうしないとなれば正妃の立場が揺らぐ。

 国内で正妃の立場が侮られるだけで済めばまだしも、下手に国外に噂が広まれば国の印象も悪くなろう。


 学生時代だけの遊びで終わらせるつもりである、と言い切れるほどの覚悟があればまだしも、レナードの様子と言葉からどう考えてもそうではないのが窺えるのであれば、次期国王としての自覚をきちんと持ちなさいとミリェリシアが言うのも当然であった。



 だがしかし。


 許されない恋、というのはそういった障害になりえるものがあればあるだけ燃え上がる。

 ダメとわかっていてもやってしまうのは最早人としての業である。

 童話にだってよくあるやつだ。

 決してその部屋の中を見てはいけないと言われた娘がその部屋の鍵を拾い、好奇心から開けてしまった事で命を落とす結果になったり、決して見ないでくださいと美女に言われたにも関わらずつい覗いた男は美女が実は助けた鶴であったと知ってしまい、覗かれた事に気付いた鶴に逃げられたり。


 やるな、と言われても人間はつい好奇心からやらかすのである。

 好奇心でなくともこの場合は反抗心からのやらかしであった。


 ミリェリシアが正論で諭せば諭すだけレナードの心はどんどん頑なになっていったのである。



 シャーリーは物語にあるような恋を今自分がしているという自覚はあったけれど、市井に出回っている娯楽小説にある悪役令嬢に虐められているヒロインではなかった。

 確かに周囲の目は少々厳しいものもあったけれど、虐められるという事はなかったし、そしてまた虐められているという自作自演をすることもなかった。


 だからこそ、学園を卒業する前までにはせめてこの恋を綺麗なまま終わらせなければ……と思っていたのだ。その頃になってから結婚相手を学園で見つけるとかどう考えても不可能だろうけれど。

 わかってはいるのだ。

 ただ、それと同じくらい密かにでも最後は王子と結ばれるかもしれないという可能性を夢見てしまっていた。


 その思考は一歩間違えるとギャンブルで負けがこんでる人間に似ていたのだが、シャーリーがその事実に気付くことはなかった。

 仮に、ミリェリシアがもっとシャーリーに対して厳しく忠告をしてきたならばもうちょっと危機感を持ったかもしれない。

 けれどもミリェリシアにはそこまでする義理はなかったし、義務なんてもっとなかったので。


 だからこそシャーリーは命を落としたのである。



 シャーリーはとある日、授業が早く終わった事もあって町で少し店を見て回ってから帰ろうと思い立った。

 遠い領地で暮らしている貴族であれば学園に通うとなれば自宅からは難しいので寮生活だったりタウンハウスでの生活になったりするのだが、シャーリーは幸いな事に王都で暮らしていたし学園から自宅までそこまで離れていなかったので、勝手知ったるなんとやらでいくつかの店を見ていた。元は田舎暮らしであったが、学園に通う前に親戚が家を貸してくれたのである。故に、シャーリーは学園に通う前に王都のあちこちを見て回り、すっかり慣れたものであった。

 高位貴族の令嬢であったなら、一人で外を歩くなど危険だからと護衛がついたかもしれないが、シャーリーは護衛をつけなければならないほどのやんごとない身分でもない。

 幼い頃から人の多い町の中を移動する事はたくさんあったから、慣れもあった。


 危険な場所とそうでない場所の区別はハッキリしていたし、間違っても治安の悪い区画へ行くなんて事もない。それ故に、そこで賊に襲われて殺されるだなんて考えてもいなかっただろう。想像だってしていなかったに違いない。


 あっという間の出来事だった。


 周囲でそれらを目撃した者がどうにかしようなんて考える暇もないくらい一瞬だった。

 護衛もいない無防備な令嬢。自衛手段も持っていなかった女。

 襲った者からすれば、楽な相手だっただろう。

 油断しきった非力な女を殺すだけなのだから。



 シャーリーを殺した相手は、ミリェリシアの派閥と敵対している家の者が送り込んだ刺客だった。

 雇われた殺し屋――というよりは金に困っただけの輩であった――はあっさりと捕まって、ついでにその家も処罰された。

 本来ならば殺されていたのはミリェリシアのはずだったのだ、とレナードが知った頃には、とっくに手遅れであった。


 当時、婚約者候補になれなかった家の一つ。それが今回凶行に及んだ家だった。

 ミリェリシアが邪魔であったのは確かだが、それでもシャーリーがいなければこの凶行に及ぶ事はなかった。ただ、もしレナードがシャーリーを選ぶような事になるのであれば。シャーリーは子爵令嬢。

 それよりも身分が上である我が家でも、チャンスはあるのではないか?

 ミリェリシアが死ねば、少なくとも新たに婚約者を選ばなければならなくなる。

 レナード王子がシャーリーをと指名したところで、国王も王妃もそれを簡単に許すはずもない。新しく婚約者を選定するとなれば、シャーリーも候補に含まれる可能性はあるけれど、そして他の家の者にもチャンスを与えてしまう可能性もあるけれど、それでも――


 我が家の娘が選ばれる可能性もゼロではない。


 そう考えての犯行だった。もし新たに婚約者の選定が行われれば、選ばれる自信はあったのだろう。そうでなければこんな事をするはずがない。

 とはいえ、送り込んだ刺客が殺した相手を間違えた事で早々に事件は明るみに出て、その家の娘が新たな婚約者に選ばれる事は未来永劫可能性すらなくなってしまったわけだが。


 シャーリーを殺した相手は、わざと間違えたのではなく本当にシャーリーをミリェリシアだと思い込んでいた。

 外見が似ているというわけではない。

 金に困っただけの、殺人という犯罪を躊躇わない男は貴族に関してそこまで詳しいわけではなかった。ただ、レナード王子の見た目は絵姿で見せられていたので知っていたし、そして王子の婚約者である女性の名前がミリェリシアであるという事も。けれど刺客はミリェリシアの姿を知らなかった。


 だから、放課後にレナードがシャーリーとデートに洒落こんでいるのを見て、彼女がそうだと思い込んだのだ。堂々と浮気して別の女とデートしているなんて思いもしなかった。

 殺人を平気で犯せる倫理観しかないくせに、そっちの倫理観はマトモなのどういう事なの、とは事情聴取した兵士の正直な感想である。



 その話を聞いてレナードはおおいに嘆き悲しんだ。

 犯人の供述に嘘がなければ、つまりそれは、シャーリーが死ぬ原因を作ったのは王子なのだから。

 仲睦まじい様子を周囲に見られるような事をした自分の安易な行動の結果、恋をしていた相手が死んだのだ。


 これに関してミリェリシアに非はない。


 シャーリーにも忠告はしていたし、王子には苦言を呈していた。だというのにそれらを無視し続けたのだ。素直に聞き入れていれば、レナードのせいでシャーリーが殺されるという事だけはなかったに違いない。その場合はミリェリシアが予定通り狙われていた事だろう。

 忠告をした時、いずれも学園で周囲に目撃者がいたのもあってミリェリシアは婚約者に蔑ろにされつつあったがそれでも王子に正しい道を示そうとしていたというのは疑いようもない。


 それでも恋に盲目になっていた王子はシャーリーをそばにおいていた。

 どう考えても悪いのはレナード王子だ。


 ミリェリシアはその後レナードとの婚約を解消するべく動いた。

 堂々と浮気するような男。仮に学園にいる間だけの遊びだと言われたところで、それを今更信用しろというのも無理な話だ。

 それに、そうであるなら事前にきちんとこちらに説明しておくべきだったとも思っている。


 しかし何の説明もなしにレナードはシャーリーとの仲を深め、ミリェリシアを蔑ろにしつつあった。

 苦言を呈しても聞く耳を持たなかった。


 その様子を見ていた生徒たちは、将来の王の姿を想像して落胆もした。

 もし道を間違えそうになっていたとして、それを正そうと耳に痛い事を言ったところで聞き入れてはもらえないのだろうな、と思えるだけの光景。レナードが将来本当に王になってこの国は大丈夫だろうか? という不安もじわじわと漏れ広がっていった。


 国を良くしていこうと思っても、将来の妻になる相手との話し合いもマトモにできないのであれば、自分に王妃はとてもじゃないが務まらない。それどころか、話し合おうとすればするほど頑なにこちらの話を聞かない者を王に、というのもどうかと思う。ミリェリシアとその父親である侯爵が王へ訴え、レナードとの婚約は解消された。

 どのみち今から信頼関係を築こうとしたところで難しいだろう。

 それなら新たな相手を選定した方がいいのかもしれない。王はそう考えた。


 幼い頃は家柄重視で選ばれた婚約者であったが、今選ぶのであれば家柄というよりは王妃になる相手の資質をもっと重視できるのではないか。ミリェリシアとレナードの間にもう信頼関係はないけれど、それでも他の令嬢となら新たに関係を構築できるかもしれない。


 歩み寄る事もないだろうとわかりきっている相手との婚約を続けさせるよりは、新たに選び直した方がマシだとなって。


 当時婚約者候補に選ばれなかった家のまだ婚約者のいない令嬢たちも含め、新たにレナードの相手を選ぶこととなったのである。



 ――最終的に選ばれたのは、当時ミリェリシアと同じく婚約者候補でありながら選ばれなかった令嬢であった。シェリアーシュ伯爵令嬢は、少し前まで隣国へ留学していたが既にそちらでの学園で学ぶ事は終えてしまったので早々に帰国を決めたのだが、結果として新たな婚約者の選定があると知って、名乗りを上げた。

 新たに婚約者となるべく集められた令嬢たちの中でも群を抜いて美しく優秀であったシェリアーシュ令嬢は、シャーリーという相手がいたという事を知ってか知らずか、レナードのこれからを支える事を誓い、傷心であったレナードに寄り添いその後彼の心を掴んだのだとか。


 健気に支えるその姿にレナードが絆されたかどうかはわからない。

 が、彼女が王妃となった後の治世はそこまで悪くなかった事だけは確かである。




 ――ミリェリシアはどうにか無事に婚約解消できたことを安堵していた。

 もしあのままレナードの婚約者であり続けたならば、命がいくつあっても足りなかっただろう。

 何故ならミリェリシアは幼い頃より密かに嫌がらせをされていた。

 証拠も残らないくらい巧妙なそれ。周囲に訴えた所で考え過ぎではないか? だとか、悪く受け取っているだけじゃないか? とか、たまたまじゃない? なんて言われるような、命の危機を感じる程でもなければ怪我をするような事もないくらい些細な嫌がらせ。

 周囲に訴えれば訴えるだけ、自分の立場が悪くなるようなそれを、ミリェリシアはどうにかのらりくらりと受け流してきていたが、それでも心にいやぁな気持ちが残るのは言うまでもない。

 感情を周囲に露骨に表してはならない、と言われていくら平気な顔ができていたとしても、心に嫌な気持ちは残り続ける。


 それでも成長するにしたがって、この程度の嫌がらせならまぁ可愛いものねと思えるように精神が図太くなってはいたのだけれど。


 嫌がらせをしていた相手はわかっていた。

 当時婚約者候補であったシェリアーシュだ。

 幼い頃の彼女は王子に一目惚れをした。

 彼女は将来結婚する相手は彼しかいないのだと思ったらしい。

 同じ婚約者候補となっていたミリェリシアはそのせいでシェリアーシュに邪魔な女だと早々に認識されてライバル視されていた。


 幼い頃から彼女は狡猾だったと言えよう。

 自分に向ける負の感情を周囲には悟らせなかったのだから。猫を被るのが随分と上手だった。


 結局家格でもってミリェリシアが婚約者に選ばれたけれど、それでもシェリアーシュは諦めなかった。

 宣戦布告までされたのだ。そして、その後からだ。小さな嫌がらせと言い切れるかどうかも微妙な嫌がらせが周囲で起きるようになったのは。

 犯人は間違いなくシェリアーシュである。けれども彼女は幼い頃からずっと巧妙で狡猾で、証拠らしい証拠は残さなかった。


 ミリェリシアは幼い頃からその無駄に優秀な部分に恐れおののいたほどだ。

 もし彼女が伯爵家の生まれではなくミリェリシアと同じ侯爵家であったなら、間違いなく選ばれたのは彼女だったと思う。


 シェリアーシュはレナードの婚約者が決まった後、露骨に王子にアピールをするような真似は一切しなかった。けれども王子に恋をした心は、ずっと恋の炎を燃やし続けていたらしい。


 彼女が王子の周囲でアピールをしなかったのも作戦の一つなのだろう。

 周囲で王子にきゃあきゃあ言うような令嬢はそれなりにいた。その他大勢に成り下がる真似をするつもりはなかったに違いない。


 王子に近づきたくて仕方がなかっただろうに、彼女はその欲望を抑え込んだ。王子の近くには決して近寄らなかったが、それでも情報収集は怠らなかったに違いない。



 学園に入る前、実はミリェリシアはとても憂鬱だった。

 何故って今まではそこまで会う機会のなかったシェリアーシュも同じ学園に通う事になってみろ。今まではちまちました嫌がらせで済んでいたものが、間違いなく接触できる回数が増えるのだ。質も量もグレードアップするに違いなかった。そうなれば自分の身が危うい。


 だから、シェリアーシュが隣国へ留学すると聞いた時とても安堵したのだ。

 だがしかし、そこに現れたシャーリー。恋に落ちた王子。

 シェリアーシュが隣国へ行ったとはいえ、レナードを諦めたとは到底思えなかったミリェリシアは最悪の展開を想像した。


 シェリアーシュが直接情報を集めるわけではない。彼女の信用している相手経由で情報は送られるだろうけれど、その信用している人物がどこまで信用できるかをミリェリシアは知らない。

 なので、微妙に事実とは異なる情報を送られる可能性を考えた。

 シェリアーシュが無駄に賢い事をミリェリシアは知っている。だからこそ、こちらの情報を手紙という形で送られたとして、書かれていない部分も勝手に察した場合、そしてその察したことがミリェリシアにとって面倒極まりない事になった場合。


 自分は無駄死にする可能性がとても高いという事に思い至ってしまったのである。


 レナードがシャーリーを選んだあとで、婚約を破棄、もしくは解消した場合であってもその情報が伝わる前にシェリアーシュがいよいよミリェリシアを邪魔だと判断して亡き者にするかもしれない。

 そうなれば本当に無駄死にである。正直その死因は勘弁願いたかった。


 同じ殺されるにしても、自分が何かをした結果、それで憎まれたりして……とかならまだわからないでもないけれど、こんな死に方になったなら間違いなくミリェリシアは死んでも死にきれない。


 だからこそミリェリシアは手紙を書いたのだ。あえてこちらの情報をシェリアーシュに伝えるために。


 そして、できれば自分は婚約者を辞退したい事も。

 確かに婚約者に選ばれたのは自分だけれど。

 ミリェリシアは正直そこまでレナードの事を好きか、と言われてしまえばシェリアーシュ程の熱量もなかったので。彼のためなら命だって惜しくないわ! 何が何でも婚約者の座に在り続けて、いずれは妻になるの!! と言えるくらいの情熱があったのであればまた違ったかもしれないが、そこまでの熱量はなかったので。

 貴族に生まれた以上義務を果たさねばならないという程度には気持ちはあったけれど、学園でのシャーリーと一緒にいる姿を見ているうちにミリェリシアのレナードへの想いなんて、必要最低限からちょっとだけ上、くらいのものしか残っていなかった。


 なのにシェリアーシュに命を狙われるような事になったりすればやってられない。


 だからこそミリェリシアはシェリアーシュに話を持ちかけた。

 学園でのレナードの動向。シャーリーの存在。一応婚約者としての義務として最低限の苦言を呈したけれど聞いてくれず、ますますシャーリーとの関係が燃え上がった事。

 これを原因として上手い事婚約を解消できやしないだろうかというミリェリシアの正直な気持ち。


 今まで敵だった女は、ミリェリシアの願い通りどうにか味方につける事ができた。


 シャーリーを殺した真の黒幕はシェリアーシュである。


 シャーリーを殺そうと刺客を送り出した家は実のところシェリアーシュの家と同派閥であった。恐らくはうまい具合に誘導されて実行したのだろう。シェリアーシュがそれとなく人を誘導して自分の思い通りに動かすなんて赤子の手をひねるより簡単であるという事を、ミリェリシアはよく知っている。過去の嫌がらせは大体そういう手法だった。

 あの家は要するに、シェリアーシュによって用意されたトカゲの尻尾だ。


 ミリェリシアがレナードと行動を共にしていない事を知った上で、レナードの顔を知っていながらミリェリシアの事を知らないような人物にシャーリーをミリェリシアだと勘違いさせて殺すように仕向けた。

 仮に刺客がミリェリシアを知っていて、本当にこちらを殺そうとしていたのならその場合は自分に密かにつけていた護衛が動いただろう。シャーリーが死ぬまで密かに万が一の事を考えてドキドキしてすらいた。


 シェリアーシュが隣国へ留学し、優秀な成績を修め早々に卒業してこちらに戻ってくるタイミングも、ミリェリシアからの情報で狙いすましたかのようにばっちりだった。


 優秀な令嬢、という点でミリェリシアと似たような雰囲気を感じ取る可能性はあったけれど、しかしレナードにとってはほとんど接点のない、シャーリーとの事にも悪感情を持っていないような令嬢というのはさぞ目新しく映っただろう。

 他の婚約者候補に名乗りでた令嬢たちは学園でも時折王子へアピールしていた事もあって、王子からすればどう映ったかは……まぁなんとなく想像できる。

 シャーリーがいた時はともかく、いなくなってから途端に群がり始めたと思えばあまりいい感情は持っていなかっただろう。

 けれどもシェリアーシュは隣国にいて、シャーリーの事は噂程度でしか知らないからか他の令嬢とは異なる反応だった。それもまた、王子には好感触に思えたのだろう。

 実際全て、彼女の思惑通りであるというのに。

 というか、シャーリーを殺したのは彼女も同然であるのだが。


 まぁ、シャーリーがいなければ自分が殺されて次の婚約者の座におさまっていたのは確かなのでミリェリシアがレナードに向けて何かを言うつもりはこれっぽっちもない。

 幼い頃からの初恋を叶えるために、シェリアーシュは様々な事を考え暗躍した。

 最悪邪魔者を消してでも、というくらいに熱烈な想いを悟らせないようにして、周囲の人間をうまく使って。


 そんなシェリアーシュにとってもシャーリーの存在は予想外だったのかもしれないけれど、結果的に邪魔な婚約者は辞退してその座を自分に譲ったようなものだし、シャーリーを殺すよう仕向けたのも実は自分なのにそんな事にも気づかず寄り添うシェリアーシュに絆されてしまった王子は昔と変わらず愛らしいしで、シェリアーシュの望む結果が舞い込んできたのだ。

 そう考えると、すべてがすべて彼女の掌の上だったのかもしれない。


 敵に回せば恐ろしい相手なのだけれど、そうでなければ問題はない。

 彼女が王妃となればレナードの事はうまく転がしてくれるだろうし、もしまた他の女に目移りしたとしても。シェリアーシュが泣き寝入りするとはとてもじゃないが思えないので、きっと邪魔な女は知れず消されるとは思うのだけれど。

 それ以前に彼女ならレナードに目移りさせる余裕すら与えたりしないだろうな、とミリェリシアは思っている。根拠はない。けれども、そう思うのだ。根拠もないのに確信できるのが恐ろしい。



 もしもミリェリシアの忠告を聞いてシャーリーが素直に身を引いていたならば、彼女が殺される事はなかったとは思う。その場合ミリェリシアが婚約を解消する手間がかかったに違いないけれど。

 レナードももっと真摯にミリェリシアの苦言を聞いていたならば。

 そうしたら、冷めきる前の気持ちはまだ残っていただろうし、であればシェリアーシュと水面下で争う事もやぶさかではなかった。


 けれどもそうではなかったので。

 ミリェリシアはシェリアーシュとやりあってまでレナードを繋ぎとめようとは思えなくなっていたし、であれば結果はいずれ同じ事になっていたに違いない。


 愛情深い相手に想われた結果がこれ、と言うべきか。



「……とりあえず。

 未来の王妃の座からおりたのだから、わたくしの今後の身の振り方を考えなければなりませんね」


 婚約は破棄ではなく解消なので自分の経歴に傷がついたわけではない。

 けれども、幼い頃から婚約者が決まっていたしその婚約がなくなったからとてすぐ次の相手が見つかるわけでもない。

 でもまぁ、命の危険は去ったようなものなので。


 もうそれで充分なんじゃないかしら、とミリェリシアは思うのだった。

 タイトルもあらすじも間違ってないはずなのにここまで胸ときめかない恋愛ものを流石に異世界恋愛ジャンルに投稿するのは憚られたので安定のその他ジャンルです。


 次回短編予告

 同じ手段を使ったのに結果が異なったヒロインと悪役令嬢の話。

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